2018年1月、アマゾンのシアトル本社敷地内に登場した緑地ドーム「The Sphere」。4階建てのドーム型建物には4万本もの樹木・植物が植えられており、アマゾン社員のワークスペースやミーティングルームとして利用されているという。

The Sphereの登場は、近年機運が高まっているオフィスの緑化ムーブメントを象徴する出来事と捉えることができる。アマゾンのほかにもマイクロソフトやアップル、ツイッターなどオフィスの緑化を進める大手テクノロジー企業が増えているのだ。


アマゾンの緑地ドーム「The Sphere」

特に高い生産性が求められる大手テクノロジー企業。シンプルでミニマリストなオフィスの方が生産性が高まりそうな印象だが、なぜ緑化を進めているのか。

それはオフィスの緑化が生産性を高めるだけなく、社員のメンタルヘルスを向上させる可能性を秘めているからだ。

このムーブメントは、英エクスター大学の心理学者、クリス・ナイト教授らが2014年に発表した論文が大きく影響していると考えられる。オフィスデザインと心理・生産性の関係を10年研究してきたナイト教授はこの論文で、緑のないオフィスに比べ、観葉植物を置いたオフィスの方が社員の生産性が15%向上したと結論付けたのだ。


緑のないオフィス

この研究のほかにも樹木や植物を見ることでメンタルヘルスが向上する可能性を示唆する論文は多数発表されている。その多くは、人は植物を見るとストレスレベルが軽減すると指摘している。ストレスレベルの低下で、目の前のタスクに集中できる精神状態になり、生産性が高まると考えることができる。


植物を配置したオフィス

人間がこれまで太陽光を浴び自然のなかで進化してきたことを考慮すると、コンクリートやプラスチックだけの空間では息が詰まりストレスがたまるというのは想像に難くないだろう。

進化の過程から、人間は本能的に自然を求めるという「Biophilia(バイオフィリア)仮説」を提唱したのが、米国の著名生物学者エドワード・O.ウィルソン博士だ。1984年にハーバード大学プレスから出版された『Biophilia』で提唱された仮説だが、一般的に注目を集めるようになったのは最近のことだ。おそらく、人間の心理や身体に自然が与えるポジティブな影響を示す研究の増加にともない、この仮説を支持する人々も増えてきたためだろう。

この仮説は「バイオフィリック・デザイン」として、オフィスや建物のデザインに応用されるようになっている。緑を見て、触れ、体感することでリフレッシュしたり幸福感を得られる空間をつくりだすことを目的としたデザインだ。

自然のポジティブな影響を示す研究に加え、バイオフィリック・デザインへの関心の高まりから、オフィスの緑化を実行、または検討する企業が増えている。一方、このトレンドはリテールショップや空港にも波及しており、緑化で消費者の購買意欲を刺激する取り組みが進められている。

リテールショップの緑化で購買を促進できる可能性

店舗の緑化に精力的に取り組んでいるのがアップルだ。

アップルのサンフランシスコ・ユニオンスクエア・ストアでは、店舗内に本物の木を配置、また太陽光を取り入れる大型のガラス窓を採用し、屋内ながら自然を体験できる空間をつくりだしている。2017年にシカゴに登場したストア、東南アジア初となるシンガポールのストア、2018年マカオに登場したストアでも木を配置した自然を体感できる空間となっている。


マカオに登場したアップルストア(アップルウェブサイトより)

これら最近オープンしたアップルストアのデザインを手がけているのが、英国の建築デザイン会社Foster + Partnersだ。アップルストアだけでなく、ロンドンのミレニアム・ブリッジやロンドン・シティホール、シンガポール最高裁判所の建物などを手がけた世界的な建築デザイン会社。同社ウェブサイトのポートフォリオを確認してみると、自然を取り入れたデザインが多く、バイオフィリック・デザインが広く求められている状況が反映されている。


Foster + Partnersが手がけたシンガポールのSouth Beach

リテールにおけるバイオフィリック・デザインはどのような効果をもたらすのか。さまざまな研究が実施されており、興味深い結果が示されている。

緑があると消費者の店舗やプロダクトに対する評価が上がる可能性がある。学術誌Journal of Forestry2005年12月号に寄稿された論文で示された研究結果だ。この研究で実験参加者はショッピング街や店舗の写真を見て、その環境やプロダクトの価値をスコアで評価。写真は緑の多いものとそうでないものが使われた。

結果、緑の多い環境は高いスコアとなり、緑があることで、ショッピング街や店舗、プロダクトが魅力的に映る可能性が示されたのだ。また緑が多い場合、ショッピング街に出向く頻度も上がることが示唆された。


緑のないショッピング街

さらにこの研究では、緑が多いとプロダクトが魅力的に映るため、消費者の支払い可能額も高まることが示されている。たとえば、サンドイッチなどの簡易アイテムであれば20%増、カメラ・ジャケット・腕時計などは25%増、ギフトや高額なディナーなど特別なものは15%増となった。


緑が多いショッピング街

緑の空間を音で再現し、売上を高めることもできるかもしれない。英国のサウンド・マーケティング会社The Sound Agencyが英グラスゴー空港で行った実験によると、空港内に鳥のさえずりやせせらぎなどリラックス効果のある音を流したところ、免税店での売上が10%増加したというのだ。

緑に加え、自然光を取り入れるのも効果があるようだ。1990年代にはウォルマートが自然光を取り入れた実験を実施したが、自然光を取り入れたセクションの売上が増加したという。2000年頃にも米国の小売店で大規模な自然光実験が行われ、このときは40%の売上増になったと報告されている。

店舗での買い物はストレスがたまる場合が多い。欲しい商品が見つからない、欲しい商品はあるが予算を超えている、限られた予算での購買意思決定、さらには情報過多による集中力低下ということも起こりうる。ストレスを軽減する効果があるといわれている緑や太陽光、これらを店舗や空港に導入することで客のストレスレベルを下げ、ポジティブな感情を引き起こし購買につなげることが可能となるようだ。

バイオフィリック・デザインはオフィスやリテールショップだけでなく、住宅や医療機関、学校などでも採用され始めている。ストレス社会といわれる現代だが、バイオフィリック・デザインによってストレスフリー社会に移行することができるのか。今後の展開に注目していきたい。

文:細谷元(Livit