欧米を中心に、このところキッチンスペースが縮小傾向にある。背景にあるのは、フードデリバリー・アプリの大盛況。2030年には家庭の食事が完全にアウトソーシングされるとのシナリオも描かれている。
一方、主要都市の不動産価格の高騰を背景に、キッチンやリビングルームをシェアする形のホテル型アパートも人気で、キッチンを中心に据えた伝統的な家や家族のあり方が変わりつつある。
近年建てられた住宅では、キッチンスペースが縮小している。料理が完全にアウトソーシングされる日も近い?(Commonウェブサイトより)
キッチンスペースは縮小傾向に
毎日の食事を用意するためのキッチンは、家の中心的存在だった。2000~2010年に建てられた都市部のアパートには、キッチンアイランドを併設したオープンキッチンがあるのが主流で、キッチンスペースは大きいのが良しとされる傾向にあった。
しかし、近年は主要都市部の不動産価格の上昇を背景に、アパートのサイズが縮小。これに伴い、キッチンスペースが真っ先に削減されているという。
英メディア『ザ・ガーディアン』によると、ニューヨークを拠点とする不動産エージェントの「シティリアリティ」は、「現在の若者向けアパートにはほとんどキッチンアイランドがなく、最小限のカウンタースペースがあるのみ」とコメント。
また、英不動産保証組織の「LABCワランティ」によると、イギリスのキッチンスペースは1970年代のレベルに比べて10%減少し、2018年現在は平均で13.44㎡だという。
豪シドニーの建築会社SJBも「キッチンは常にオーストラリアの家のセントラルポイントだったが、今は急ピッチで縮小している」とコメント。
背景には料理をしなくなってきたライフスタイルの変化があり、今の若い世代は前世代ほどキッチンスペースを必要としなくなったことを理由に挙げている。
2030年、家庭の食卓はデリバリーが主流に
フードデリバリーが大盛況。スマホのアプリで簡単にオーダー・決済ができる(Takeaway.comより)
キッチンスペース縮小の背景にあるのは、オンライン・フードデリバリーの台頭だ。スマホのボタン操作でオーダーから決済までできるフードデリバリー・アプリが全世界的に人気で、若者の生活ツールとして定着しつつある。
スイスを本拠地とするUBS銀行は、2018年のオンライン・フードデリバリー市場が350億ドル(約4兆円)に達したと推定。今後、年率20%以上の成長を維持し、2030年には約10倍の3,650億ドルに達すると予想している。
フードデリバリーといえば、以前はピザやケバブなど、あまりヘルシーでないものが中心だったが、近年はヘルシー指向のメニューも急増。さらにデリバリー登録するレストランの増加で、消費者の選択肢はグッと広がっている。
フードデリバリー・マーケットプレイスを運営する「テイクアウェイ・ドットコム」のIRマネジャー、ヨリス・ウィルトン氏は、
「マレーシアなど東南アジアの国では、外食の方が安くて美味しいから家で料理しない……というような食のカルチャーがありますが、この利便性を求めるトレンドは欧米にも押し寄せてきています」
とコメント。
タイなどでキッチンのないアパートも多々見られることを考えると、ニューヨークやロンドンでキッチンが縮小していることも納得できる。
UBSによれば、この先、複数の食品会社が材料をシェアする「ダークキッチン」で調理された料理がドローンで配達されるようになれば、デリバリーフードのコストはさらに50%低下する見通し。
2030年までに家庭で用意される食事のほとんどが、オンラインのデリバリーに取って代わるシナリオも描けるという。
またUBSは、以前は家で作られていた衣服が、今や完全に工業化されたことを指摘しており、「現在は料理とデリバリーを工業化する初期段階にあるのかもしれない」と結論づけている。
キッチンはシェア、コリビング・スペースも人気
ロンドンやニューヨークでは、キッチンやリビングルームをシェアするコリビング・スペースが増えている(The Collectiveのホームページより)
都市部の不動産価格の高騰や1人暮らし世帯の増加を背景に、キッチンやリビングルームをシェアしようという動きもある。といっても、一軒家をシェアする従来の学生アパートのようなものではなく、家具付きで、コーヒーやオリーブオイル、キッチンペーパーといった共有アメニティが完備され、共有スペースは定期的に清掃サービスが入るようなホテル型アパートである。
欧米ではこうしたアパートを運営するスタートアップが急速に成長しており、新しい不動産市場として注目されている。
ニューヨークを本拠地とする「Common」は、ニューヨーク、ワシントンDC、サンフランシスコ、シカゴ、シアトルでホテル型アパートを運営するスタートアップ企業。水道光熱費やインターネット代、洗濯機・乾燥機使用料、共有アメニティ、清掃代を含んで1か月2,000ドル前後の賃料でこうしたアパートの部屋を貸し出している。
これらの都市でスタジオタイプのアパートを借り、自分で水道光熱費などを負担した場合に比べて500ドル以上のコストが削減できるため、若者を中心に人気を博している。
アパートの住民は「メンバー」として登録され、アプリやイベントを通じた交流も盛んだ。新しいコミュニティの形としても注目されている。
同社は2017年12月にシリーズCのベンチャー・ファンディング4,000万ドルを調達しており、これからグローバル展開する計画だ。
ロンドンを拠点とする「The Collective」もこうしたアパートを運営するスタートアップ企業。ロンドン西部の「オールド・オーク」では500人以上の住民がコリビング・スペースをシェアしている。
同社はコリビングのポートフォリオを現在の2倍に拡大する計画で、海外ではドイツとアメリカ市場を視野に入れているという。
キッチンのない家は、新しい家族観の始まり?!
こうした新しいタイプの家は、キッチンを中心に据えた伝統的な家族観を打ち壊す可能性もある。
ハーバード大学デザイン大学院(GSD)のウィールライト賞を受賞したプロジェクト「キッチンレス・シティ」を進めるスペイン人建築家のアナ・プイジャナー氏は、『ArchDaily』とのインタビューで、
「私たちがもうキッチンなしでは生きていけないぐらい、長い間、キッチンは政治的道具に使われてきました。……キッチンには女性の役割、政治、理想の家族構成といった20世紀のイデオロギー的価値が植え付けられています」
と指摘したうえで、キッチンをなくすことはこれまでの価値観に「挑戦することだ」としている。そして、キッチンをなくすことは「私達が家事をアウトソーシングして、報酬のある仕事をするように促す」との見方を示している。
かつてソビエト連邦のスターリン時代にも「キッチンをなくすべき」との考えがあった。ニュースサイトの「NPR」によると、元ブラウン大学教授のセルゲイ・フルシチョフ氏は、「共産主義の理論ではすべての人々は平等で、女性はキッチンでの奴隷的労働から解放されなければならなかった。アパートにキッチンはあってはならず、カフェテリアに行って食べるのです」と説明している。
料理のアウトソーシングによるキッチンの縮小やキッチンのシェアによる新しいコミュニティ作りが、限りなく共産主義の理想に近づいているのは、興味深い事実である。果たして資本主義の行きつく先にキッチンは消滅していくのだろうか?――今後の発展が注目される。
文:山本直子
編集:岡徳之(Livit)