CMやニュースなどを通して、“ゲノム”というキーワードがより身近なところまでやってきた。とはいっても、ゲノムという単語を聞いた多くの人は「何だか難しそうで、正直よく分からない」というのが本音だろう。多少、生物学の心得がある人なら「細胞内にあるすべてのDNAをひとまとめにしたものの総称」ぐらいの感覚かもしれない。

ゲノムはこの数年で一気に近しい存在になっているはずなのに、なぜか親近感が湧きにくい。そんなゲノムをインダストリー(産業)と融合することでビジネス的な側面から新しい可能性を考えようというワークショップ「GENOME THINKING(ゲノムシンキング)」が電通JAMの主催で2018年9月20日に開催された。

このイベントには、製薬や化学などゲノムに近しい業界はもちろん、広告や自動車などゲノムとは普段関わりすらないという企業からもビジネスパーソンが参加している。

ゲノム構築は未知の価値に出会うためのブラックボックス

最初にゲスト講師として招かれた東京工業大学生命理工学院 相澤康則先生から、ゲノムの基礎からそれを取り囲む環境、そして最新の研究状況やゲノムの持つ可能性について発表がなされた。

相澤先生(以下、敬称は省略)「ゲノムというのは、たくさんの遺伝子が入ったセットです。遺伝子はたんぱく質を作る材料のことをいい、このたんぱく質が体内で様々な働きをしていきます。もうひとつ違った言い方をするのであれば、ゲノムはわたしたちの体内における物質変換ネットワークのOS(オペレーションシステム)です。ひとつひとつの細胞内において、たんぱく質が決められた動きをすることで物質変換ネットワークが働いています。このネットワークを支配しているのがゲノムなのです。」

ゲノムがわたしたちの体には欠かせない要素であることは理解できるだろう。ではなぜ、“ゲノム”からわたしたちは新たなビジネスの可能性を考える必要があるのだろうか。相澤先生は次のように語る。

相澤「今回、未来のある地点から何が起きるかを逆算して考える、バックキャストというのがひとつのテーマとなっています。ゲノムから何かを作り出す、構築するというのは『融通がきくブラックボックスを手に入れたこと』と同じだと考えてください。もちろん、全てのものがゲノムシンキングで解決できる訳ではありません。しかし常識に縛られずに地球上のあらゆる遺伝子を使い、インプットとアウトプットをより具体的に考えることで、その組み合わせや可能性は無限大になるのです。」

ゲノムシンキングよって進化し続ける事業が産まれる

続いて、電通事業共創部の志村彰洋氏から、ゲノムを産業と結びつける考え方やそのあり方について具体的な事例を交えたプレゼンがおこなわれた。

志村「ここにいる皆さんはビジネスの中で、デジタル的な技術やツールにはよく触れられている方が多いのではないでしょうか。このワークショップでは、ゲノムという生物的なOSに触れられるようになったらどのような可能性が広がるか、そして実現できるかを考える機会にしてもらいたいです。」

さらに志村氏は、現在の技術力の高さに対して思考力が追いついていないことへと話を続けた。

志村「今はできることの方が多すぎるため、どのようにデザインしたら良いかという思考の方が追いついていません。僕はゲノムシンキングという思考法を使ってもらうことによって、想像力が技術に追いつくことを体感し、その過程の中で新しいビジネスや事業を作ってもらえたらと思います。」

ゲノムシンキングによって作り出された商品のひとつとして、志村氏はDNAGLASSを例に挙げた。DNAGLASSというのは、2016年にサントリーと電通が共同開発したビールグラスだ。2017年度グッドデザイン賞を受賞している。


DNAGLASS

志村「DNAGLASSは、ひとりひとりのゲノム情報を解析することによって、その人が一番美味しく飲めるビールグラスを3Dプリンターを使って作り出したものです。ゲノム解析の結果で、香りを楽しみたい人のグラスは口が大きくなっていたり、量が飲めない人のグラスは容量が小さかったりと、その人に合わせたグラスができます。ゲノムは私たちが思っている以上に、自身の情報をつまびらかにしてくれ、それをグラスなど違った形に転写することでゲノムのあり方を表現することが可能となるのです。」

他にも、酸化しないリンゴ、筋肉が3倍になったキングサーモン、微生物の塩基配列をもとに楽曲を作り、CDと微生物に記録させた音楽家やくしまるえつこ氏の話など、その話題は多岐に渡った。

志村氏はこれまでの事例を踏まえ、次のように語る。

志村「皆さんが現在デジタル上で描かれている事業のボードマップは、ゲノム技術を使うことでさらに違った未来を提供できるのではないかと考えています。これによってスマートセル・インダストリーという市場が生まれ、2030年には80兆円ほどの規模になると期待されています。」

志村氏は以下のようにセッションを締めた。

志村「ゲノム構築まで発展することによって、それまでの前提条件は変化します。さらに個体自体が進化することによって、そこから産み出される答えも進化します。僕たちはこれをゲノムシンキングで実現したいのです。その結果として、止まらない事業である進化事業が作り出せるのではないかと考えます。」

正解がないゲノムシンキングによって飛躍的に高まる発想力

ワールドカフェと題されていたワークショップでは、これまでのプレゼンを参考に4〜5人一組となって「ゲノム・テクノロジーの進化は、どんな社会(ビジネス)変革を起こすのだろうか?」というテーマで付箋を使ってどんどんアイディアを出しておこなった。

最初は、初対面の緊張からかアイディアが出にくかったテーブルもあったが、どのテーブルも誰かがアイディアを出せばそれに触発されて次第に議論が活発化していくのが周囲から見ていても肌感覚でわかる。何度かのメンバーローテーションを繰り返す中で、「〇〇とそこにある△△を組み合わせてこんなのはどうでしょう?」など、残っているアイディアを使ってより意見を昇華させている人が登場しはじめたのは印象的だった。

そして議論が活発な中で、ハーベストという「実現させたい、ゲノムで加速する 2030年 “ものづくり”の未来」を1枚の用紙にまとめる作業に移行した。最初のチームに戻っての作業だったこともあり、「私のアイディアが、こんな風に変わったのですね!」、「この発想はなかった」という声がちらほら聞こえてきた。

そこから、「2030年の実現させたいゲノムで加速する未来社会のイメージの具体化」に入っていく。

最後の発表では、

  • ゲノムを使って自身や物の老化スピードをコントロールする。それによって100年劣化しない車や元の自分に戻れるサービスなどを作ることで新しい価値を提供する
  • 産まれた瞬間に自身の遺伝子の価値が分かる。良質な遺伝子を獲得するために、自然界や危険な場所で活躍する遺伝子ハンターが登場する社会

など、常識に縛られていては出てこないような意見が各チームから発信されていた。

参加者からは「仕事の垣根を超えて、意見を出すことができた」、「周囲の意見をベースに、『これは無理かも」と考えず『やって見よう」」と思えるような前向きなディスカッションができたという声が挙がった。

答えは進化する。議論が活発になるからこそ見える新しい未来

ゲノムシンキングを通して、インプットとアウトプットを一緒に考えることで、新しいビジネスのアイディアやその一歩がみえてくることを今回のワークショップに参加して体感した。

相澤先生が次のようにワークショップを締めくくった。

相澤「いろんな方が違うアイディアを出しておもろいワークショップでした。ゲノムから商品を作るのではなく、社会の枠組みを変えるところまで話題が発展したのには驚きました。本当に遠くまで議論が飛んでいたので、これは現実と繋げたときに思いもよらない方向にスパークする可能性があります。情報を物質に変換できるのはゲノムだけです。身近な生活の中にどのようにして落とし込んでいけるのか、ぜひ引き続きゲノムシンキングを通して考えてみてください。」

ゲノムはただ生物の遺伝情報を伝えるだけの箱ではなく、私たちの生活とその常識を根本から変える可能性をひめたアイテムである。ゲノムシンキングは、発想を巡らせた分だけ、自分たちが知らなかった未来へと導いてくれるコンパスのように思えた。

Photo:Ai Sugimoto