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「人生100年時代」の到来が謳われ、日本でも生涯にわたる「リカレント教育」が注目を集めている。欧米では、会社で勤めてから大学に戻り、もう一度学習することは一般的なこととして捉えられている。一方、日本では一社に勤め上げることをこれまでの常識としていたため、成人してからの教育の役割は会社が担ってきた感がある。
しかし、会社の終身雇用制度はもはや限界を迎え、技術革新によってあらゆる業界の変化する速度も高まっている。特に顕著なのがデジタル領域だ。そうした時代にあり、今年(2018年)10月、「デジタル版ハーバード大学」と名高いスウェーデン発の教育プラットフォーム「Hyper Island(ハイパー・アイランド)」が日本に上陸する。
時代の変化を見越して20年前に設立されたその “学校” の成り立ち、最先端の教育方法から、そのサービスが果たして日本にどれだけのインパクトを与えるのかを考察する。
2050年、100歳以上の日本人は100万人を突破
ハイパー・アイランドについて紹介する前に、リカレント教育が注目を集める日本の現状、またその背景について見ていこう。
2018年にWHO(世界保健機関)が発表した「World Health Statistics 2018: Monitoring health for the SDGs」によると日本の男性の平均寿命は81.1歳、女性は87.1歳と世界最高水準。100歳以上の高齢者の人口は2017年時点ですでに6万7,000人を突破した。国連の統計によると、2050年までに日本の100歳以上の人口は100万人を突破する見込み。現在50歳未満の日本人の多くは、100年以上生きる時代を迎えることになるだろう。
日本だけではない。厚生労働省の「主な諸外国の平均寿命の年次推移」によると日本を含む先進国の平均寿命は右肩上がりで伸びている。
厚生労働省「主な諸外国の平均寿命の年次推移」より
このように、日本や諸外国では人々の平均寿命が伸び、「人生100年時代」が到来すると言われている。今後は学校を卒業して、就職し、そのまま同じ会社で一生を終えることはよりいっそう難しくなるはずだ。政府もこの状況を鑑み、「人生100年時代構想会議」を主催。2017年11月の第三回会議ではリカレント教育が議題に上がり、人々が新しい技術を獲得することや、新しい職種に転身できることの重要性が話し合われた。
人生100年時代を生きるためのリカレント教育
リカレント教育とは、生涯にわたって教育と就労を交互に行う教育システムを指す。平均寿命が伸び、急速に変化する社会に適応していくためには、生涯を通して学び続けることが重要という考え方だ。
このリカレント教育という概念は、今回取り上げるハイパー・アイランドの発祥の地であるスウェーデンの経済学者ゴスタ・レーンが提唱したもの。それが1970年の経済協力開発機構(OECD)で取り上げられたことで国際的に知られるようになった。
欧米ではRecurrent education(リカレント教育)、Lifelong education(生涯学習)とも言われる。日本の場合は「生涯学習」という言葉の方が馴染んでいるかもしれない。日本の社会人大学院、社会人向け専門学校などもリカレント教育に該当する。
「人生100年時代構想会議」には、ベストセラーのビジネス書『LIFE SHIFT』の著者リンダ・グラットン氏も出席し、リカレント教育の重要性を指摘した。その中で、特に今後はデジタルスキルの獲得とクリエイティブ・シンキング(創造的思考)やエモーショナル・インテリジェンス(情動知能)などのソフトスキルの獲得が非常に重要だと発言している。
現状の日本では、明治大学や日本女子大学など大学機関も社会人に向けたリカレント教育を提供しているが、デジタルスキルとソフトスキルの獲得、この両方を満たす学校の選択肢はいまだ少ない。そしてそれは世界でも同様の課題だ。
そんななか、20年も前からこの問題を予測し、カリキュラムを組み、多くの優秀な人材を輩出してきた学校がある。卒業生の多くは、卒業後、あるいは在学中に、SpotifyやIDEOなどを含む、自身が希望する会社、業界で働く機会を得ている。その人材輩出力から「デジタル版ハーバード大学」と名高いその学校の名前は「Hyper Island(ハイパーアイランド)」。スウェーデンの刑務所を買い取ってスタートした。
スウェーデンの軍用刑務所を買い取って校舎にハイパー・アイランドは誕生した(公式サイトより)
時代の変化に適応した、新しい “学校”
ハイパー・アイランドは、Jonathan Briggs(ジョナサン・ブリッグス氏)とDavid Erixon(デヴィッド・エリクソン氏)、Lars Lundh(ラーズ・ランドー氏)によって1995年に設立された、デジタル・クリエイティブ・スクールだ。
スウェーデンだけではなく、アメリカ、イギリス、シンガポール、ブラジルなどにも姉妹校がある。
あなたの未来を選ぼうというコピーが印象的なハイパー・アイランドの公式サイト
テクノロジーがもたらす変化によって、これまでのものの見方や価値観、教育、すべてが転換期に差し掛かっている。物事に「ただ一つの正解」はなく、正解らしきものの変化するスピードも劇的に増した。創業者の三人は、実社会の変化に既存の教育システム・プログラムが追いついていないという課題感を持ち、まったく新しい学校が必要だと考えたのだ。
ハイパー・アイランドが提供するキャリアパス(公式サイトより)
ハイパー・アイランドが提供するキャリアパスは大きく分けて2つある。
- Prepare to get hired(新しいキャリアへの準備)…一旦休職し、デジタルスキルを身につけて就職するための学習コース
- Accelerate your career(キャリアアップ)…働きながら最新のデジタルトレンドを身につけ、即仕事に生かすコース
写真の一番左のTransform your business(ビジネス革新)は、組織に焦点を当て、潜在的な可能性を引き出す実践的なコンサルティングサービスだ。企業向けのサービスも提供している。それぞれの目的に沿って、自分に最適なコースを選んで受講する。
ハイパー・アイランドが提供する学習コースの一覧
コースの期間は様々で、1年半のコースもあれば3日間集中のコースも。長期コースには全日制の「フルタイム」と仕事を持つ人でも受講ができる「パートタイム」があり、修了すると修士が与えられる。
学習する分野はテクノロジー、ビジネス、クリエイティビティ、リーダーシップの他、ブロックチェーンなどの最先端の技術も学べる。
しかし、現在のデジタル領域は、次々と新しい重要トピックや技術が生まれる。専門性を培ったとしてもすぐに陳腐化してしまうのでは?と恐れる人も多いのではないだろうか。
不確実な時代を生きる人材を育てる教育プログラム
変化が激しい時代においては、ただ講義を聞いて知識を頭に入れるだけでは不十分だ。変化に対して柔軟である必要があるし、自律的に学び続ける必要がある。
ハイパー・アイランドでは、これまでの典型的な「教育」は行われない。明確に「先生」という役割は存在せず、実際にその業界で働いている人にどんな人材を採用したいかをヒアリング、それをもとに講義内容をデザインするのだ。
また、実際にビジネスの現場の第一線で働くエキスパートが講師としてコースを受け持っている。講師が行うのは、コースデザインで、学生のメンターとしてサポートをする。
ハイパー・アイランドの授業風景。生徒は業界のリーダーにアイデアをプレゼンテーションしている。(公式サイトより)
これまで一般的な教育を受けてきた学生であれば、自分の学び方を「再構築」する必要がある。そして、自ら「何を学びたいか」を選べるようにならなくてないけない。教師は「これを学ぶように」と指示するのではなく、「あなたは何を学びたいのか?」「これからどうしたいのか?」を問いかけるのだ。ハイパー・アイランドの創設者ブリッグス氏は、これらを「柔軟性のあるスキル」と呼んでいる。「人生100年時代構想会議」でリンダ・グラットン氏が提唱したクリエイティブ・シンキング(創造的思考)やエモーショナル・インテリジェンス(情動知能)にも通じるものがあるだろう。
”デジタル版ハーバード大学”の就職実績
このようなプログラムを提供するハイパー・アイランドは、高い就職実績でも有名だ。プログラムを修了した学生のうち、98%が希望する業界、企業、機関に採用されている。
卒業生の就職先(公式サイトより)
就職先は、Google、H&M、 Spotify、マイクロソフト、IDEOなど。優れた人材を輩出する力が「デジタル版ハーバード大学」と評される所以だ。
優れた人材を育てるために、同社が実践しているのが、「Learning from doing(やりながら学ぶ)」。具体的には、実在する社会問題や経営課題に、実在するクライアントと取り組む。そうすることで、刻一刻と変化する現状に晒されても通用する力を養うのだ。
このため、前述したようにいわゆる「先生」は存在しない。生徒の学習進捗をサポートし、授業内容を構築していく「メンター」や「エナジャイザー(活力を与える人)」に近い存在だ。彼らは学生に、プログラムの過程で「何を感じたか」「どうしたいのか」を頻繁に問う。学生たちは、授業を通して自分自身とも向き合うことになるのだ。
自分と向き合うための学び
政府がリカレント教育を推進していることもあり、社会人の学びへの注目は高まりつつある。エン・ジャパンが35歳以上の社会人に実施した「リカレント教育(学び直し)」調査では、実に90%もの人が「リカレント教育を受けたい」と回答した。
学び直しに積極的な姿勢がある一方で課題もある。「費用の負担」「時間の確保」「キャリアの断絶」だ。日本はこれまで企業が終身雇用をすることで教育の役割も担ってきた。そのため、欧米のようにキャリアを断絶せずに学校に通うことや、時間の確保が難しく、費用も自己負担などの課題があるのだ。
だから、働きながら学ぶことは当分はそう簡単なことではないかもしれない。しかし、私たちの多くは100年以上の人生を生きる。今後の世の中はさらに不確実になるし、ライフステージが増えることすらあるかもしれない。そんな時代にハイパー・アイランドが提唱する「柔軟性のあるスキル」は非常に重要だ。特に、単なる知識の蓄積ではなく、現実社会や自分自身の問いかけに注目したい。
ハイパーアイランドは2018年10月中旬に日本に上陸予定。まずはジョナサン・ブリッグス氏による登壇イベントと、3日間の集中コースから。興味のある方は、その門を叩いてみてはどうだろう。
文:佐藤まり子
編集:岡徳之(Livit)