英国のロックバンド、レディオ・ヘッドが、2007年にリリースした、ヒットアルバム、『イン・レインボウズ』が話題を呼んだのは、全英・全米両チャートでトップになったからだけではない。リスナーがアルバムのダウンロード価格を自由に決められたからだ。大物バンドのこの試みに、「そういうチョイスもあるんだ!」と世界中は気づいた。
「自分が好きな額を支払う」システムのことを、一般的に海外では「ペイ・ホワット・ユー・ウォント(PWYW)」と呼ぶ。レイディオ・ヘッドの『イン・レインボウズ』からさかのぼること20年以上前、飲食業界ですでにPWYWは取り入れられていた。同業界の中には、現在、PWYWレストランとして、確固たる地位を築いているところもある。
PWYWは、ただ単に「商品やサービスに対し、決められた金額をその場で支払う」という既存の支払いのコンセプトを打ち破るものといえるだろう。ほかにもユニークな「支払い」方法といえば、今年初めに話題になったアマゾンゴーがある。さらに、大きな買い物でなくても、「支払いのタイミングを選べる」という方法もつい先だって登場。消費者の主導権は、支払いのこんなところにも及んでいる。
PWYWのシチュエーションで、あなたなら、いくら払う?
レイディオ・ヘッドの場合、払った額はゼロというリスナーも少なくなかったそうだが、支払い額の平均は約4ポンド(約600円)だったそうだ。一般的なアルバムのダウンロードのコストを参考にしつつ、ファンか否かといった違いもあって額にばらつきが出たことが想像できる。
しかし、あなたがPWYWで支払う機会があったら、どうするだろうか。懐が寂しい時にはうれしく感じるかもしれないが、気おくれするというか、落ち着かない気持ちになりはしないだろうか。「一体、いくら払うのが妥当だろうか?」と。
人間は誰でも「自己イメージ」を持っているものだ。自己イメージが、「正しいことをしたい」という気持ちを支えるといわれている。なので、私たちはPWYWでいくら払うのがよいのか迷うのだ。
自分のイメージを良いものに保とうと、周囲の人、そして店側と、双方の目を気にすることになる。周りの人に「これだけしか出さないのか、ケチな人だなぁ」と、また店の人に「こんな少ししか払わないのなら、もう来てもらわなくてもいい」と思われたくないと、おおかたの私たちは思うはずだ。PWYWは、私たちを、少しばかり心もとない気持ちにさせることは否めない。
人々に愛される、世界のPWYW飲食店
こんな風にPWYWは興味深いコンセプトながら、客に戸惑いを与えることも事実だ。慈善事業ではないだけに、経営も難しいといわれている。それでも世界各地に、客のことを思い、PWYWを行っている店がある。そして、最初は心細く思いながらも、慣れ、店の常連となる客がいる。
- レンティル・アズ・エニシング(オーストラリア)
PWYWを取り入れ、人種や社会経済的地位を超えて、食事をいきわたらせるという、移民の国ならではの目標を掲げるレストランがレンティル・アズ・エニシングだ。朝食からディナーまで、炭水化物、タンパク質、野菜類とすべてにおいてバランスが取れたヴィーガン・フードを提供している。シドニー近辺、イベント会場を含めて7カ所ある。中には敷地内にある菜園からの新鮮な作物をメニューに取り入れているところもある。
コミュニティ精神あふれる、PWYWカフェ、レンティル・アズ・エニシング(レンティル・アズ・エニシングのフェイスブックから)
- アナラクシュミ(マレーシア)
1984年創業のインド・ベジタリアン料理店で、PWYWシステムを取り入れた先駆けといわれる。レストランは寄与の精神を尊び、ヒンドゥー教の善行の1つ、「他者に食事を与える」を実践する場でもある。ビュッフェ・スタイルの南インド料理を楽しむことができ、ダンスや音楽などのヒンドゥー文化に触れることもできる。シンガポール、オーストラリアなどにも支店がある。
- メトロ・カフェ(米国)
カフェのオーナーが牧師ということもあり、コーヒーを一緒に飲みながら、アイデア交換やおしゃべりなどをし、コミュニティ精神を育んでほしいと約1年前からPWYWを始めた。店内は、白い壁に木製の長テーブルが置かれ、おしゃれな雰囲気で、普通のカフェと何ら変わりない。複数のロースターにより焙煎されたコーヒー豆をメニューに載せるマルチロースター・ショップで、本格的なコーヒーを楽しめる。
- リアル・ジャンク・フード・プロジェクト(英国)
まだ食べることができるにも関わらず、廃棄される食品をなくす努力を怠らず、「食べる」という、重要な人権の1つを万民に全うしてもらおうと、行われているプロジェクト。売れ残りや食べ残し、期限切れ食品などを材料に料理を作り、PWYWで客にふるまう。カフェを中心に、シェアハウスや学校なども含め、全63軒。タイミングやロケーションによって手に入る食材が違い、訪れる度にバラエティーに富んだ味を楽しめるのが魅力だ。
リアル・ジャンクフード・プロジェクトでは、シェフが、捨てられる予定の食材で丁寧に作ったグルメ料理をPWYWで(リアル・ジャンクフード・プロジェクト・ブライトンのフェイスブックから)
- デア・ヴィ―ナー・ディーワン(オーストリア)
オープン時、学生と亡命者だったというオーナー・カップルは、誰もが来られる場所を作ろうと、ベジタリアン・ノンベジタリアンの両方を楽しめる、ビュッフェ・スタイルのパキスタン料理レストランを立ち上げた。すでに10年以上営業しており、ここまでPWYWの店としてやってこられたのは顧客と信頼関係を結べたからこそ、という。学生を中心に人気があり、客の中には、毎日のように足を運ぶ人もいるという。
支払いのタイミングを自分で決める
PWYWのように自分で値段を決められるわけではないが、買った商品の支払いのタイミングを、自分でコントロールできるシステムが、ニューヨークで先月始まった。これは、機能性飲料をSMSを通して販売するというユニークなスタイルでビジネスを行っている、ダーティーレモン社によるものだ。ロウアーマンハッタンのおしゃれなエリア、トライベッカに同社がオープンした、ザ・ドラッグ・ストアで体験できる。
「スリープ・ドリンク」「ビューティー・エレキシール」などの機能性飲料が並ぶ、ダーティーレモン社のザ・ドラッグ・ストア © Dirty Lemon
顧客は、事前にスマホを通して、クレジットカード情報を登録する。無人の店内で好きなドリンクを取って、店を出る。そして、同社にテキストメッセージを送ることを通して初めて、代金を払うという仕組みになっている。
ダーティーレモン社の最高経営責任者、ザック・ノーマンディンさんは、店内にスタッフがいないからといって、あまり窃盗の心配はしていないと、『ニューヨーク・タイムズ』紙のインタビューに応じ、話している。
「盗み続けたりしたら、どんな人でも罪の意識が生まれるでしょう」というコメントは、ノーマンディンさんが人を信用しているからこその言葉といえそうだ。そして、同社はテキストメッセージでのやりとりを通し、顧客との結びつきを強め、さらには1対1の関係を築くことを目指している。
最新のシステムを取り入れるダーティーレモン社にも、また長年にわたって愛されているPWYWの飲食店にも共通しているのは、経営者が人々を「信頼」していることだ。支払い方法にどんなにバリエーションが出ても、人と人との間の行為には違いない。「信頼」は支払い面でも、双方をつなげる、大切な結びつきといえそうだ。
文:クローディアー真理
編集:岡徳之(Livit)