職業の壁が溶けている。

堀江貴文氏は著書『多動力』の中で以下のように語る。

「あらゆる産業の“タテの壁“が溶けた今、一つの肩書きにこだわっていてはいけない。」

一昔前までは、大学で学んだことか、就職してはじめて手にした職種・会社でキャリアを築くのが当たり前だった。それがいまや、1つの企業でキャリアを築くのではなく、複数の会社を渡り歩くことも珍しくない。専門職として1つのスキルを突き詰めるのではなく、いくつもの職能を掛け合わせ、価値を発揮する人もいる。

建築家の谷尻誠氏もその一人だ。専門職といわれる士業でこの流れに乗り、国内外で圧倒的な成果を出す。

谷尻氏は建築家としても、自身らの率いる建築設計事務所で国内外の賞を数多く受賞し、そのデザイン力は国内有数といっても過言ではない。一方で、土地の潜在的な価値を引き出す不動産屋「絶景不動産」や、“社員の食堂+社会の食堂”をコンセプトに社外にも開かれた飲食店「社食堂」、今年4月に発表した施工会社「21世紀工務店」など、建築に軸足は置きつつも多様な領域で事業作りに挑んでいる。

一流の建築家でありながら、事業作りも含め次々と自らのフィールドを広げていく谷尻氏。建築家のような専門職の場合、その道を深める人のほうが圧倒的に多いはずだ。彼はなぜ、その幅を広げているのか。谷尻氏のマインドを探っていく。

谷尻誠
建築家
1974年広島生まれ。 2000年建築設計事務所 SUPPOSE DESIGN OFFICE設立。 2014年より吉田愛と共同主宰。広島・東京の 2 ヵ所を拠点とし、インテリアから住宅、複合施設など国内外合わせ多数のプロジェクトを手がける傍ら、穴吹デザイン専門学校特任講師、広島女学院大学客員教授、大阪芸術大学准教授なども勤める。代表作に「ONOMICHI U2」「BOOK AND BED TOKYO」「hotel koe tokyo」「関東マツダ目黒碑文谷店」など。最近では「社食堂」や「絶景不動産」「21世紀工務店」を開業するなど、活動の幅も広がっている。著書に「談談妄想」 (ハースト婦人画報社) 「1000 %の建築」 ( エクスナレッジ) 。作品集「SUPPOSE DESIGN OFFICE -Building in a Social Context」 (FRAME社) 。

等身大の建築家、谷尻誠

谷尻氏を語る上で、そのキャリアを外すことはできない。

『連戦連敗』という著書名がそのキャリアを表す有名建築家・安藤忠雄氏を除き、現在の日本で名の知れている建築家は有名大学院卒か有名建築事務所の出身がほとんどを占める。一方、谷尻氏は専門学校卒。地元広島の設計事務所へ就職し、独立している。有名建築家の中では希有な経歴だ。

環境は人を構成する大切な要素のひとつだ。優秀な志ある人が集まる環境で切磋琢磨してきた人ほど手にできる機会も多くなり、成果を認められる環境に身をおける。肩書きとしての役割は除いても、有名大学院などでの経験は後のキャリアへ少なくない影響を及ぼすだろう。

「やっぱりコンプレックスでしたよ」

広島で建売住宅の設計をしていた事務所から独立した谷尻氏は、支えになるものがない状態に苦しんだ時期もあった。

谷尻「建築ってアカデミックなところがあるんです。大学を卒業し、有名建築家の事務所を経験するというキャリアが当たり前として見られる。自分は全くそうじゃないですから、当時は人と比べて劣等感ばかりを覚えていました」

谷尻氏の気持ちを切り替えてくれたのは一緒に仕事をしていた、工務店の社長の言葉だった。

「建築を好きな気持ちは、お前が誰よりも上かもしれない。だからそれでいいじゃないか」

キャリアや経験値を相対的に比べるのではない。自分を信じ、自分が考え行動し、どう結果を出せるかにこだわるようになっていった。

谷尻「安藤忠雄さんだって生まれたときから美術館をつくれるわけじゃない。当時は、今できないだけで、“自分にはできない”というジャッジをしていたんです。“できない”ではなく、“どうすればできるようになるか”を考えることで自分の未来は変わる。劣等感も“劣っている”で終えるのではなく、この状態からどうすれば対等に戦えるようになるかを考えればいい。そういったマインドセットを心がけるようになりました」

考え方を変える——と言葉にするだけなら簡単だ。それを皆が実行できるわけではない。谷尻氏のマインドを切り替える後押しになったのは、劣っていることが必ずしも悪ではないという気づきもあった。

谷尻「“僕のほうが社会の共感を得られるかも”と思ったんです。建築家の人たちは優秀で素晴らしい。けれど、できそこないの気持ちがわからない可能性もあるなと思ったんですよ。僕はできそこないだったから、できそこないの気持ちが分かる。映画もアニメもだめなやつが活躍しているからみんな共感して感動する。だから僕の方が社会に近いと思えたんです」

当時、谷尻氏はトップに立つような優秀な人ではなかったかもしれない。けれど、多くの人にとって“等身大”の存在だからこそ、共感できるものがある。そう思えてから、彼の視点は変わっていく。

良い建築家は良い生活者である

この視点は、谷尻氏が考える「建築家のあるべき姿」にも反映されている。

谷尻「僕は建築家に必要なことって、“良い生活者であること”だと思っているんです。普通に暮らしていても、生活の中にあるあらゆるシーンに対して意識を高く持ち、学び取ることができれば良い建築家になる。ご飯を食べにいく場合も、単に“美味しかった”と思うのではなく、お店にあるあらゆる要素をいかに解像度高く見れるのが良い生活者です」

たとえば、レストランにいった場合も、器や照明、かかっている音楽、座席の配置、壁の材質となどが観察できる。また、どういうときに気持ちがいいと感じたか、料理が運ばれる心地よいタイミングはいつか、といったように、自身の内面にも目を向ける。様々な視点でレストランから情報を取得するのだ。

有名な先生に教えを請うたり、専門書から方法論やロジックを体得するアカデミックなアプローチではない。自分の普段の生活を解像度高く見続けることで、建築的な学びを深めていく。谷尻氏らしい等身大なアプローチだ。

谷尻「その意識を持てれば、食堂だったらこれぐらい席を詰めたほうが“食堂感が出る”とか、女の子を口説くんだったらこういう空間が向いているといったナレッジが貯まっていきます。それが設計に反映されると、親密性をつくるためにどういう空間にするか、人が入りやすいためにはどういうつくりがいいか、と引き出せるようになるんです」

“考える”という生存戦略

等身大であることは、谷尻氏が強みと気づけたポイントのひとつだった。

この強みを持ちつつ、谷尻氏は建築家として成果を積み上げるため、2つの生存戦略をとっていった。ひとつは、“思考すること”、もうひとつは“リスクを取ること”だ。中でも思考することは谷尻氏の全ての土台になっている。前述の「良い建築家」の姿も、単に等身大であるだけではない。いかにその場で思考できるかが鍵を握る。

谷尻「良い生活者であるためには単に知るだけではダメです。いかに解像度高く情報を見られるかと思考して、深掘りする力が必要になる。ただこの思考は練習すればできるものだと思っています。興味のあることを没頭して考え、深掘りした経験があれば、違うテーマになってもその力は活かせますから」

谷尻氏が思考することを学んだのは、高校時代のバスケットボールだったという。体格的には決して有利ではなかった谷尻氏は、勝つためにひたすら考えてプレーした。自分が優位に立てるプレースタイルを考え抜くことで、谷尻氏は自分の“勝ち方”と“思考すること”を身につけた。

谷尻「振り返ってみれば、バスケットボールも社会に出た後も、基本は同じなんだと思います。優秀な人には正面から戦いを挑んでも勝てない。その中で自分がどうすれば勝てるのか。僕の場合は思考し続けることで道を見つけていったのだと思います」

考えるという言葉では薄っぺらく聞こえるかもしれない。谷尻氏は“考えよう”と思い机に向かうのではなく、日々考え続け、結論が見えたら行動に移すという。常に“思考しつづける”癖を付けたことが、今の谷尻氏を形作っているのだ。

「できそこないがエリートと肩を並べて戦うには思考しかなかったんですよ」と谷尻氏は笑う。ただ“思考し続ける”のは誰しもができるものではないだろう。“思考する力”は彼の生存戦略でありながら、彼の最も強い才能だったのかもしれない。

谷尻「ぼんやり道を歩いている人と、新品のカメラを持って何か撮ろうと歩いている人では街の見え方は違いますよね。心の中にカメラを持てば、毎日の風景が変わってみえる。得られる情報の解像度が変われば、未来は変わる。だから僕は考えるんです。ずっと」

思考が深まるからこそ、リスクテイクできる

思考をし続けてきた谷尻氏だからこそ選択できた生存戦略が、2つ目の“リスクを取ること”だろう。

谷尻「おそらく、リスクを取ることが好きなんでしょうね。リスクを取るとは、世の中のひとが選ばないものをあえて選ぶことです。つまり、リスクを取ってうまくいけば、パイオニア率が高くなる。だとすれば、不利な状況をあえて取りにいくっていうのは一番魅力的だなと思うんです」

ただ、谷尻氏は単にリスクをとり続けているわけではない。前述のように日頃から思考し続け、そのリスクを何度も分析した上でその道を選んでいるはずだ。リスクの良い面も悪い面も理解している。その上で、あえて選ぶのが谷尻氏の生存戦略だった。

このスタンスが顕著に現れているのが、建築家でありながら、あえて事業を作るスタイルだ。

谷尻氏は自身を「建築家 / 起業家」と名乗り、建築設計にとどまらない領域へ事業を広げている。そのひとつが冒頭でも紹介した絶景不動産という不動産仲介事業であり、社食堂という自社の社員のための食堂を外部に開き営業している飲食店事業だ。

どちらも建築設計を生業にしている思考からは生まれない。だが、双方とも谷尻氏のリスクテイクの姿勢が反映した結果生まれたものだった。

絶景不動産は、別荘用の敷地を探す中で発見した滝がそばにある土地など、ユニークな敷地との出会いがきっかけで生まれた。クライアントに提案したものの採用されなかった「絶景の敷地」を必要とする人に伝えられないかと考え、プラットフォームを作ったことが事業のスタートになった。

建築設計に携わる中で素晴らしい敷地に出会うことはあるかもしれない。ただそれを紹介するサービスを立ち上げるのにはコストも手間もかかる。設計の仕事で十分に売れっ子だった谷尻氏があえてやることではないかもしれない。それでも谷尻氏はあえてその道を選ぶ。

谷尻「リスクってどうなるかわからないことですよね。でも、それが一番楽しいと思うんです。先がわかっていることをやるのは、もうすでにある価値のなかに収まっていくことです。リスクがあるということは、新しい価値を探ることへ繋がっていく。僕はその新しい価値を探すことに意味があると考えるから、自らリスクを取りにいったんです」

一方、社食堂のスタートは従業員の食生活を心配する中で生まれたアイデアだった。コンビニ弁当が主食になっている姿を見るなかで、良いアイデアや思考を生むためにも、良い食生活をしてほしい。そのために、食堂を作るのはどうかと考えていった。

谷尻「手段として考えるのであれば、社員食堂を設けて運営委託するのがピュアな選択肢だと思うんです。社食堂はあえてそれを自分たちでやりました。というのも、運営する側の苦労を理解したいという狙いがあったからです。設計事務所のお仕事は建物を引き渡したら終わり。その後、どう運営されているかを知る機会はあまりないものです。それを知れれば、より設計にも生きると思った部分もあります」

ただ、社食堂は単なる社員のためだけの食堂ではない。それを外部へ開き、飲食店として経営している。単に食堂を作るだけでも、十分なリスクだ。設置するコストもかかれば、自社で運営するとなると、その分の人件費も上乗せされる。

加えて社外へ開き飲食店とすることで、接客などの手間も増える。決まった時間に決まった数を用意すればいいわけでもない。ここでも谷尻氏はリスクを選んだ。

谷尻「そう、大変なんです。大変だからみんなやらないんですよ。だからやったひとに価値がある。すごくシンプルです。実際できると皆さん『良い場所ですね』と喜んでくれます。この空間に来ていただいたことで、会社や空間に対する考え方が伝わり、こういう空間で働く人にお願いしたいと決まった仕事もあります。この空間を外に開くことが僕らの意思表明になるんです。けれど、それはやってみないとわからない。だからわれわれはあえて作ってみるんです。そこに可能性があったから」

リスクを取り、新たな価値を探す

等身大であること、思考を深めること、リスクをとること。この生存戦略によって、今の谷尻氏が形作られてきた。いまや、社会的にも十二分に評価を得て、有名建築家とも肩を並べる。その状況でも、谷尻氏には追い続けるものがある。それは、“価値”だ。

谷尻「その良さが計れない状態から計れる状態になったとき、はじめて価値は価値と呼ばれるようになる。僕はいまどれだけ新しい“価値”を提供できるかに関心があります。僕は規模ではなく、提供できる価値を大きくしたい。絶景不動産でも、社食堂でもいかに新しい価値を社会に提供できるかという視点でリスクを取ってきました。実際、社食堂で新しい働き方を提案したことで、オープンから3ヶ月は3日に1回は取材が入るくらい注目していただけた。僕らがやるべきなのは、そういった新しい価値の提案だと考えています」

社会全体にある価値を大きくする。そのために必要だから、リスクを取る。谷尻氏の選択はとてもシンプルだ。だれかがリスクを取らなければ価値は生まれない。その価値の総量を大きくするため、谷尻氏は考え、またリスクを取る。

広島でコンプレックスを抱えていた青年は、十数年のときを経て、社会の価値を見据えるようになる。そこには膨大な思考の蓄積があり、リスクテイクしてきた経験があるだろう。無論のこと事業面だけでなく、一建築家としても膨大な思考を経て数多くのリスクを選んできたはずである。

建築家としても、起業家としても、谷尻氏は自分と向き合い続ける方法論を元に挑んできたのだ。

Photographer:Kazuya Sasaka