人口100億人、食料が足りない30年後の世界
現在、世界人口は76億人。2050年には100億人に迫ると予想されている。
20億人以上増えた世界ではいったい何が起こるのか。さまざまな変化が予測されるなか、「食糧不足」が起こる可能性が指摘されており、各国はフードセキュリティを強化するための取り組みを加速させている。
ミネソタ大学・環境研究所のまとめによると、現時点では世界すべての人々の消費に対応できる十分な食糧が生産されている。しかし、人口100億人になった世界では、穀物の生産高を現在比で60〜100%増加させる必要があるという。
30%の人口増加率に対して、穀物生産高を最大で100%増加させる必要があるのはなぜか。それは所得レベルの上昇によって、人々は肉や乳製品を消費するようになるからだ。同研究所が2013年に発表した論文では、世界で生産される穀物のうち、食材として利用される割合は55%のみで、36%が家畜用として利用されていることが判明。残りの9%はバイオエネルギー用として利用されている。
穀物生産高を2倍増加させるためには、新たな農地を開拓するか収穫の頻度を高める必要があるが、どちらを選択しても深刻な課題がともなうという。現在すでに世界中で農業に適した土地はほとんど開拓されており、新たな農地を見つけるのは困難な状況だ。また、同じ農地で収穫量を倍増させる場合、農薬量を倍増させることにもつながり、その土地と周辺環境に深刻なダメージを与えることになってしまう。
さらには、干ばつや洪水の増加、水不足問題、農業人材不足など、さまざまな問題が絡み合っており、生産高を増やすことが非常に困難な時代になっている。
こうした状況下、シンガポールではフードセキュリティへの意識が高まり、食料自給率を高めようという機運が盛り上がっている。しかし、シンガポールの面積は東京23区ほどしかなく、そのほとんどは住宅やオフィス、工場で占められており、農業に使える土地はほとんど残っていない。いったいどのように食料自給率を高めようというのだろうか。その答えが「ハイテク農業」だ。
今回は、フードセキュリティ強化へ大きく舵を切ったシンガポールが推進するハイテク農業の最新動向をお伝えしたい。
シンガポールで高まるフードセキュリティ意識と新たな取り組み
90%以上の食べ物を輸入に頼っているシンガポールだが、国内にはさまざまな料理が溢れており、普段の生活において危機感を感じることはまずないだろう。
しかし国内の専門家たちは、食料自給率の低さに加え、近年の気候変動、中間層の拡大、地政学的リスクの増大などによって世界の食料需給がひっ迫しつつあり、シンガポールのフードセキュリティは非常に脆弱な状態にあると指摘、政府に対策を求めている。
2007〜2008年にかけて干ばつや原油価格高騰によって起こった食糧危機の際には、シンガポール国内で食品価格が平均12%上昇。また、2014年にはマレーシアから輸入していた卵にサルモネラ菌が検出されたことを受け、シンガポールでは卵価格が高騰。さらに、最近ではブラジルから輸入していた肉が腐っていた事件が発覚。この事件では食肉業者が検疫官に賄賂を送り、腐った肉を流通させていたと報じられている。マレーシアとブラジルは、シンガポールにとって最大の食品貿易相手国であり、その影響は無視できないものであったようだ。
シンガポール政府は、このような事態を避けるために輸入元を分散させる対策を実施してきた。2007年の輸入元は160カ国だったが、現在では170カ国に増えている。
この一環で、国内の農業を強化するための取り組みも次々と実施されている。
シンガポール農水畜産庁(AVA)は、総額6,300万シンガポールドル(約52億円)の「農業生産性向上ファンド」を立ち上げ、国内農家がテクノロジーを利用し、生産性を高めるための支援を開始。これまでに100件以上の申請があり700万Sドルの投資が行われた。
AVAはシンガポール農業のハイテク化を目指しており、そのような取り組みに力を入れる企業へはファンドを通じた支援だけでなく、コラボレーションなど直接的な支援も行っている。
AVAの支援によって誕生したのが世界初といわれる「低炭素・水力式垂直システム」で農作物を生産する「スカイ・グリーンズ」だ。
高さ9メートルのフレームに38段の鉢があり、そのなかでさまざまな農作物が生産される。各段の鉢は農作物が十分な日光を得られるように、水力で上下に動くことができる。植物工場でよく使われているLEDライトを使用しないため、エネルギー消費を大幅に抑えることが可能だ。垂直にスペースを活用するため、平面農地に比べ最大で10倍の生産量を実現できるという。レタス、空芯菜、カイラン、ほうれん草などを生産している。
スカイ・グリーンズ(スカイ・グリーンズウェブサイトより)
一方、LEDライトなどを活用しシンガポールでは育たない作物を生産するスタートアップも増えている。
Sustenirは、涼しい環境を好む農作物を常夏のシンガポールで栽培するスタートアップだ。植物工場内でLEDライト、エアコン、スマート灌漑システムなどを駆使し、ケール、いちご、トマトなどを生産している。すべての育成環境を最適化しており、栽培期間は伝統的な農業の半分まで削減することが可能という。
また、作物のカスタムマイズも可能で、たとえば繊維質で硬く通常は捨てられてしまうケールの茎を食べれるほどの柔らかさにすることに成功。ケールの茎は全体の50%を占め、これまでは大量のゴミになっていたが、このカスタムマイズによって100%消費できるようになった。
Sustenirが生産・販売しているケール(Sustenirウェブサイトより)
シンガポール政府はこのようなハイテク農業企業を増やすため2017年5月、60ヘクタール(東京ドーム約13個分)の土地を開放することを発表。入札によって企業を選定するが、評価基準は土地への提示価格ではなく、その企業がテクノロジーを活用してどこまで生産性を高めることができるのかが評価基準となる。
フードセキュリティに関連して、国内の食糧廃棄問題も議論されることが多くなっている。シンガポールでは毎年79万トンの食品が廃棄されているが、そのうち肥料などにリサイクルされている割合は14%しかない。この問題に対しては、政府による広報活動のほか、店舗や家庭で出る余剰食品を集めチャリティ提供するフードバンクなどの取り組みが実施されている。
また最近では「Treatsure」というアプリが登場。このアプリは、マップ上に食品余剰が発生したレストランやスーパーの場所が示され、利用者はアプリで予約すると、割引価格でその商品を購入できる仕組みになっている。余剰食品と消費者をマッチングさせ食品ロスを削減できる効果的な手段として期待が寄せられている。
Treatsureアプリ(Appストアより)
国土が狭いシンガポールであるが、このようなテクノロジーを活用した農業や配分最適化の取り組みを進めていけば、現在10%ほどの食料自給率を20%まで高められる可能性があるといわれている。農業のハイテク化はまだ始まったばかり、今後の展開に注目していきたい。
文:細谷元(Livit)