DNA型鑑定、三次元顔画像識別、指掌紋自動識別システムなどの科学技術が犯罪捜査に導入されるようになって久しい。ニューヨーク州の自動車管理局では、顔認証技術を導入したところ、免許証偽証などの摘発が飛躍的にあがったという。シンガポール警察では、ドローンのパトロールの試験運転を始めている。
このように様々な情報技術が犯罪捜査の支援を担うようになるなか、オランダ警察では、世界に先駆けて、ある分野で最も期待されているIT技術のひとつである「AI(人工知能)」を導入する試みを始めた。ある分野とは、現在進行形の捜査ではない。英語では「コールドケース」と呼ばれている未解決事件である。
オランダ警察ではコールドケースを、1988年以降に発生し、最低でも懲役12年の事件と定義している。その定義に当てはまるのは、約1,500件。そのうち未解決のままなのは1,000件におよぶという。なかには懲役30年に値する殺人罪も含まれている。
それぞれの事件ファイルに収めてある資料をあわせるとページ数は2,500万という膨大な量で、1ページずつ丹念に調査してもいたずらに時間が過ぎていくだけだ。その間にも犯罪者は社会のどこかにおり、犯人が捕まらない限り犠牲者の家族も心が休まることはない。
ヘルダーラント州アペルドールンにある警察署に眠る1,500件ものコールドケースのファイル(オランダ警察ウェブサイトより)
時間とともに風化していく古い事件簿を、最も新しい技術を用いて読み解いていく。そんな試みを推進しているのはオランダ警察下に結成されたチーム「Q」である。
イノベーティブな捜査を模索するチーム「Q」
「Q」はボトムアップ型の組織で、警察官、市民、民間パートナーがタッグを組み、イノベーティブな捜査手段を探ることを目的としている。2016年、東部管轄下で結成され、2017年初頭にはロッテルダム管轄下でも誕生、現在はオランダ全土の警察管下で5つのQが組織されている。さらに、警察総局、オランダ王立保安隊、オランダ法科学研究所でもQは結成されている。
実験的な捜査を模索する「Q」。一例として、警察の取り組みに関する理解を深めるため、弁護士、政治家などを招待し、犯罪現場を再現して捜査手段を公開した(オランダ警察ウェブサイト より)
Qは目撃者や犠牲者への質問を規格化、捜査にあたる警官を支援するアプリを制作、そのアプリを発展させて「コールドケース・カレンダー」を制作した。コールドケース・カレンダーには未解決事件や犠牲者の概要が記されてあり、手がかり情報を募るのが目的。2017年版には52の未解決事件が週替わりで記載されている。
Qのメンバーは、研修のために訪れたアメリカの刑務所で、未解決事件の短い記述や犠牲者の顔写真などが印刷されたカードで遊ぶ服役者の姿を見て、カレンダーを思いつく。「多くの未解決事件は目撃者の証言によって解決しています」「特に犠牲者と加害者の間に関連性がない場合は捜査が非常に難しいが、受刑者同士がこのカレンダーに触発されて情報を共有することで手掛かりや目撃者が見つかるかもしれない」と、Qの設立者メンバーであるJeroen Hammer氏はオランダのウェブメディア『TNW 』のインタビューに答えている。
パイロットテストを経て、オランダ全国の刑務所に配布したところ、78の情報を得ることができ、7つの事件の捜査進展に寄与したという(『TNW』より)。
そして、Qが次に駒を進めたのが、AIである。
オランダはDNA型鑑定捜査に関してはパイオニアで、1988年に初めてDNA鑑定を導入、1997年にはDNAをデータベース化している。しかし、未解決事件に関しては話は別である。1,500件の事件のうちデジタル化されたものが15%ほどしかないからだ。紙の書類の中にもDNAの鑑定結果が入っているかもしれないが、書類が納められた事件簿ボックスからそれを伺い知ることはできない。
「2,500万ページもの書類が納められた各事件のボックスのどれが解決可能な手がかりを秘めているのか。現在は検索技術を駆使して、鑑識捜査官が事件ごとに解決可能な事件の洗い出しをしています。この作業には5~30日を要します」とQのチームメンバーのRoel Wolfert氏は語る。そこで、この工程をスピードアップすべく、外部のICTパートナーの協力を経て、AI導入に踏み切る。
段階的にAIを導入する
AI導入には何段階か設けている。「現在は、AIにデジタル化されたコールドケースを読ませ、詳細な手がかりを自動的に示すシステムを構築しています。次の段階はシステムの“訓練”です。手がかりを検出し、コールドケースの全容を生成して、解決の可能性が高い順に配列させます」とWolfert氏。今まで数週間要した作業が1日に短縮できるという。そして最終的にはすべてのコールドケースをデジタル化する。
Hammer氏、Wolfert氏は、AIの可能性はコールドケースだけにとどまらないだろうと予想する。「学習したAIは、現在進行している犯罪にさえ有効なアルゴリズムを生成するかもしれません。あるいは、我々が見過ごしていた事件同士の意外な関連性をあぶりだす可能性もあります」。将来は、指紋や血痕、DNAなどの科学的証拠だけではなく、目撃情報や、社会科学やソーシャルネットワークなど特性を用いた分析も取り入れていく予定だ。
前述の『TNW』でHammer氏は言う。「コールドケースはイノベーションを深化させる格好の分野です。なぜなら、これ以上失うものは何もないのですから」。
コールドケースのアーカイブが納められている倉庫で鑑識捜査官のCarina van Leeuwen氏は語る。「各ボックスに収められた書類にはストーリーがあります。犠牲者、そして未だ捕まっていない犯人のストーリーです。そして、そのストーリーは完結していません。だからボックスはここにあるのです。私たちは、これを終わらせなければならないのです」
文:水迫尚子
編集:岡徳之(Livit)