「ロボットの目」となるコンピュータービジョンの技術は、すでに実用化が進みつつある。
例えば、画像認識でいえば、Google PhotoやLightroomといったソフトには顔の違いで写真を分類する機能が備わっているほか、昨年末に発売されたiPhone Xには、iPhone 5s以降搭載されていた指紋認証機能に代わって顔認証機能が採用された。
さらに顔認識技術については、国や地域によっては監視カメラにも導入され、今年4月には中国のあるコンサート会場で、6万人もの聴衆の中から容疑者が逮捕された。自動運転の分野ではコンピュータービジョンがテクノロジーの核となっていることをご存知の人も多いのではないだろうか。
そして現在、人間や周囲の環境を認識するだけでなく、農業、特に畜産の分野にまで実用化の裾野は広がりつつある。農業人口の減少や高齢化が懸念されるなか、コンピュータービジョンはどのようなポジティブな影響をもたらすのだろうかーー。
中国で高まる豚肉需要を狙うのは、あのアリババ
決済サービスへの顔認証導入や、顔認識技術を開発するスタートアップへの投資など、中国でコンピュータービジョンの分野を牽引するのが、巨大企業アリババだ。
同社が提供するクラウドAIプラットフォーム「ET Brain」は、すでに交通、環境、ヘルスケアといったさまざまな分野で導入されている。そして彼らが次に“目”をつけたのが、豚。
頭数だけでなく体調までモニタリングできるアリババのシステム(写真:Greg Ortega on Unsplash)
アリババは今年2月、食用豚を生産するDekon Group、飼料メーカーのTequ Grooupと提携を結び、豚の頭数や健康状態を管理するシステムの開発を開始した。
これまでは、RFIDを搭載した非接触型のタグを使って頭数を管理していたが、この方法は高価でタグの取り付けにも手間がかかる。しかし現在彼らが開発中のシステムを使えば、農場に設置されたカメラが豚の背中に記された番号を読み取り、簡単に頭数を確認できるようになるのだ。
さらに赤外線センサや音声認識技術と組み合わせることで、体温や泣き声から各個体の健康状態まで解析できるため、病気の豚や繁殖能力が低下した豚を見極め、適切な処置を施せるようになる。このシステムを導入することで、メス豚一頭あたりの出産頭数が年に3頭増加し、死亡率は3%低下するとアリババは見ている。
そもそも中国では新中産階級の台頭により豚肉の需要が増加したことを受けて、2011年以降、政府が畜産農家への補助金をはじめとするインセンティブを導入してきた。しかし2013年に上海で1万6000頭もの豚の死骸が川で見つかるなど、食の安全を脅かすような事件が頻発したため、規制が厳しくなり畜産農家の数が激減。現在、生産性の向上が急務となっている。
アメリカでは穀物メジャーがスタートアップとタッグ
アメリカでも同様の試みが今年スタートした。
1月、穀物メジャーのCargillは、アイルランドのコンピュータービジョン企業Cainthusの株式取得および同社との戦略的業務提携を発表。彼らのターゲットは乳牛だ。
「デジタルファーム」の構築を目指すCainthusのシステム(Cainthusのウェブサイトより)
Cainthusのシステムでは、カメラが数秒間で顔の特徴を読み取り、個体ごとの飼料や水の摂取量、体温や行動パターンなどをモニタリング。また収集されたデータをAIが解析することで、自動的に飼料の量を調節したり、疾病を予見したりできるようになる。
このデータ収集・解析・アクションというプロセスには、これまで数日から数週間かかっていたが、Cainthusのシステムを導入すれば、すべてリアルタイムで行えるのだとCargillはプレスリリースに記している。当面は乳牛用システムのブラッシュアップにあたる予定だが、今後両社は豚や鶏、魚類への展開も考えているようだ。
都市部への人口集中に伴う農業従事者の減少、高齢化は世界の先進国が共通して抱える問題だ。一方で、世界全体で見たときの人口増加・食糧不足については以前から問題視されている。
国際連合食糧農業機関 (FAO)が昨年発表したレポートによれば、2050年には世界の人口が97億人を突破するといわれており、その需要を満たすには農業生産量を2012年の水準から1.5倍に引き上げなければならないという。
そんな状況のなか、非上場企業としては世界最大の売上高を誇るCargillが目を向けたのがコンピュータービジョン、AIという先端テクノロジーだったのだ。
Cargillは個別の投資・提携のほかにも、ベンチャーキャピタルのTechstars、清掃・衛生製品メーカーのEcolabと共同で、「Techstars Farm to Fork Accelerator」と名付けられたアクセラレータープログラムを昨年ローンチ。「Farm to Fork(農場からフォークまで)」という名前通り、生産だけでなく小売や物流、廃棄管理といった食に関する幅広い分野のスタートアップへの投資活動を行っている。
AgriFood Tech=農業・食物・テクノロジーは切り離せない関係に
Techstarsのアクセラレータープログラムのコンセプトにも現れている通り、数年前までは農業とテクノロジーを組み合わせたAgriTechという言葉をよく聞いたが、最近ではフードデリバリービジネスなど小売・流通も含めたAgriFood Tech(農業・食物・テクノロジー)という言葉を見かけるようになった。
業界メディアAgFunderによれば、2017年のAgriFood Techへの投資額は2016年から約30%増となる101億ドル(約1.1兆円)を記録。本稿で紹介したプロダクト以外にも、コンピュータービジョンで作物の成長度合いをモニタリングするシステムや、鶏の泣き声から体調やストレスのかかり具合を計測するシステムの研究も進んでおり、一時期の製薬業界のように大企業はスタートアップの買収に力を入れている。
一方でアメリカでは、農業の大規模化によって廃業を余儀なくされた小規模・中規模農家の増加が問題になっており、資本潤沢な大企業とそれに追いつけない小規模農家の溝が広がりつつある。
日本でも農業所得が5000万円を超える比較的規模の大きな農家は増加傾向にあるにもかかわらず、所得が5000万円を下回る農家の数は軒並み減少するなど、似たような傾向が見てとれる(平成28年度農業白書)。
しかし同時に、テクノロジーを活用するためのハードルは下がりつつあり、国内では個人できゅうりの選果機を開発した農家や、LINEを利用した病害虫の自動診断アプリを無料で公開する農園などの事例もある。
大企業は効率化のために栽培する作物や飼育する家畜の種類を絞る傾向にあることを考えると、今後小規模農家には、戦略的な作物の選択、そしてテクノロジーへの感度がこれまで以上に求められるのではないだろうか。
文:行武温
編集:岡徳之(Livit)