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先日ついに上場した『Dropbox』、ユニコーン企業として世界から注目を集める『Airbnb』や『Stripe』。この3社にはある共通点がある。これまでいくつものスタートアップを輩出してきたアクセラレーター『Y Combinator(以下・YC)』の卒業生であることだ。
YCとは、著名な起業家でもあるポール・グレアムらが2005年に始めた3ヶ月間のブートキャンプのようなプログラムを指す。年に2回、夏学期と冬学期に選ばれたスタートアップが集い、プロダクトを磨き込む。
これまでに1,500以上の先進的なスタートアップが生まれており、DropboxやAirbnbはあくまでその一例に過ぎない。
そんな多くのビジネスを支援してきたYCは現在、どのような領域に注目しているのか。2018年3月にYCはあるヒントを提示してくれた。「Requests for Startups」だ。
YCが注目する領域を示した「Requests for Startups」
「Requests for Startups」はYCが特に関心を持つテクノロジーをリスト形式で公開しているもの。各項目の粒度はバラバラで、「AI」「VRとAR」など特定の技術もあれば、「Education」「Healthcare」など業界を示すものもある。中には「100万人の雇用を作り出すアイデア(ONE MILLION JOBS)」のように、少しふわっとしていた未来を感じさせるようなテーマも含まれている。
ここに並んだ項目はあくまでYCが注目している「先進的な技術(breakthrough technology)」にすぎず、関連する事業に取り組まなければYCに応募できないというものではない。実際にYCに採択されたアイデアの多くは、あらかじめ待ち望んでいたものではなく、その期待を上回り驚かすようなものだったとも書かれている。
ただこのリストを眺めることで、世界を大きく変革してきたプレイヤーを数多く輩出するYCに期待された、今後大きな変化が起きそうな領域や、ビジネスチャンスが残された分野を俯瞰することができる。
Requests for Startupsは定期的にアップデートされており、現在リストにある項目は25分野。そのうち9分野については2018年3月に更新されたばかりだ。ここからは、この9分野について各項目を紹介していく。
1.店舗ビジネス 2.0(BRICK AND MORTAR 2.0)
今や、日常的な買い物をオンラインのみで済ませてしまうことも不可能ではない。Amazonを使えば生鮮食品から日用品までほとんどのものを指1本で購入できてしまう。各ブランドには、自社の持つ店舗やスペースを効果的に活用する方法が求められている。
TeslaやWarby Parkerでは「オンラインチャネルを補完するためのショーケース」として店舗を活用している。YCは小売店に限らず、レストランや娯楽施設、オフィスビルなどあらゆるリアルな空間においても同じ変化が起きると考えているようだ。
鍵を握るのは「柔軟性」だ。スペースのレンタルやリースひとつとっても、数時間単位で利用できる「マイクロリース」のように、オンラインサービスの便利さに慣れ親しんだユーザーにも使いやすい設計が必要になる。
「スペースマーケット」や「SHOPCOUNTER」など、日本発の空きスペースのシェアリングサービスもこの一例といえるかもしれない。
2.炭素除去技術(Carbon-removal technologies)
中長期的な温室効果ガス削減には、再生可能エネルギーへの切り替えだけでなく、大気から炭素を除去する技術が必要だ。
温室効果ガス削減に関する国際的な取り決めをまとめたパリ協定では、長期的な目標に「産業革命前からの地球の気温上昇を2℃より低く保ち、1.5℃以下に抑える努力をする」ことが掲げられている。
すでに炭素除去技術に取り組むスタートアップもでてきているが、コストが高額である点、大規模展開が難しい点が現在の課題となっている。
スイス発の「Climeworks」はこの領域で事業を展開する1社。Climeworksの場合は大型の装置を使って大気を集め、内部にある特殊なフィルターでCO2を抽出する。そのCO2を「製品」として農家などに販売している点もユニークだ。
3.細胞農業と人工培養肉(Cellular agriculture and clean meat)
近年のテクノロジーの発展により、食物の生産手段についても改めて考える時期が訪れている。特に注目を集めているのが「細胞農業」や「人工培養肉」といった技術だ。
これらの技術が普及すれば特定の細胞を用いるだけで、人工的に食肉や乳製品を作り出すことができるようになる。食料問題や環境保護、動物福祉の観点からも持続可能性に優れた革新的な手段として「細胞農業」や「人工培養肉」は有用な手段になり得るとYCは考える。
すでに多くの投資家から資金を集めるスタートアップも登場してきている。細胞を使って牛肉や鶏肉などを製造している「Memphis Meats」はビル・ゲイツやリチャード・ブランソンといった著名人を始め、複数の投資家から20億円以上を集めた。
4.エコな商品(Cleaner commodities)
現在のペースで森林の伐採が続けば、100年後には世界から熱帯雨林がなくなってしまうといわれている。これは環境面でさまざまな悪影響をもたらすのはもちろん、希少な資源に頼りきっている産業界にとっても大きな問題だ。
すでに多くのスタートアップがエコなプロダクトを作り始めているが、その多くは直接消費者に届けるもの。加工品などの材料への関心自体はますます低くなっているとYCは語っている。
たとえば世界で最も使用されている植物油であるパーム油の市場は、2016年時点で650億ドルを超え、2021年には920億ドルに達するといわれている。ただパーム油の生産過程で多くの森林が伐採されるなど、地球温暖化を促進している一面も無視できない。
YCではこの巨大で“ローテク”な産業に注目している。具体的には複数の素材を合成する技術や、よりクリーンな代替品、また製品ではなくサプライチェーンの改善に取り組むスタートアップにも可能性を感じているという。
5.記憶の拡張(Improving memory)
コンピュータと比べると、人間の記憶の仕組みは不可解だ。10年前の出来事を当時の気持ちとともに思い出せることもあるが、さっきまでTwitterを見ていたスマートフォンをどこにおいたかすら忘れてしまうこともある。
今世界で注目を集めているトピックのひとつが「人間と機械の融合」だ。YCのサム・アルトマン氏は自身のブログで、「この“融合”がすでに進行し始めている」と言及している。たとえばSNSのタイムラインや検索エンジンの結果が、個人の思考や意図によって変わるのもそうだ。
音声アシスタントやウェアラブルデバイスといったテクノロジーは、人間の短期記憶を補助する作用がある。今後、脳とテクノロジーが絡み合った新しい体験が生まれてくる可能性もあるという。
イーロン・マスクが立ち上げた「Neuralink」などはまさにこの世界観の実現を目指したスタートアップといえるだろう。
6.長寿と老化防止(Longevity and anti-aging)
YCがライフサイエンス事業に取り組むスタートアップ支援プログラムとして、「YC Bio」を発表したのは2018年1月のこと。特に「健康寿命(healthspan)」と「加齢に関連する疾病(age-related disease)」領域にフォーカスする方針を打ち出した。
人々がより長く健康に生きるためのアイデアやテクノロジーは、医療危機に対する最善の対処法のひとつになるというのがYCの考え方だ。YC Bioでは最大で100万ドルの出資を検討するほか、無料のラボスペースなどいくつかの特典を用意している。
Requests for Startupsのリストには以前から「Bio」も含まれていたが、新たに「長寿と老化防止」を個別でリストアップしたことからも、かなり注目していることがうかがえるだろう。
7. フェイク映像対策(Safeguards against fake video)
フェイクニュースが世界で問題視されているが、今後は本物と識別が困難なフェイク映像が大量に出回る時代になるかもしれない。
いまやAIが自動でフェイク映像を作成する技術が登場しており、遠くない未来にスマートフォンを使って誰でも本物そっくりの映像を生成できるようになる。一例として昨年話題になった、ワシントン大学の研究を紹介したい。
以下の動画には元アメリカ大統領のバラクオバマ氏の姿が2つ映し出される。実はこの映像左がオリジナルのもの、そして右が人工知能を使って元の映像を学習し生成したものだ。この研究で音声データを元に唇や口の形、動きを生成。その後頭や目といったように各パーツを作っていき、完成したもの右の映像になる。
今の段階では注意深く見ていると若干おかしな挙動に気づくことができるかもしれない。しかし今後さらに技術が発展すれば、より簡単に高精度な映像を作ることもできるようになるだろう。
そのような背景もあり、YCでは偽物の映像や音声を一般の人々が特定できるようなツールに関心があるようだ。すでにフェイクニュースを配信するボットを判別し制御する「distilnetworks」など複数のスタートアップこの問題の解決に挑んでいる。
8.クリエイター支援(Supporting creators)
インターネットによって多くの作品が簡単にユーザーの元へ届くようになった。ただ肝心のクリエイターの生活を持続可能なものにする方法については、まだまだイノベーションの余地がある。
たとえばアートの分野ではアーティストとファンの間に複数のプレイヤーが存在し、収益の一部を搾取する構造になっている。これは音楽や出版などでも同様だ。
YCは「アーティストとファンを直接つなぐパイプライン」を構築しているスタートアップに興味を示している。アーティストが収益をあげることだけでなく、自分の作品がどのように消費されているかを追跡し、著作権侵害を防ぐプロダクトも含まれる。
この領域で今注目されているのは、ブロックチェーンを活用したプロダクトだろうか。先日AMPでもブロックチェーンを使って写真家をサポートするコダックの取り組みを紹介したが、このようなサービスは今後も増えていきそうだ。
9.音声アプリ(Voice apps)
すでに何千万もの世帯がスマートスピーカーを保有している。
これから拡大が見込まれる音声アプリと従来のWebやモバイルアプリでは、その使用シーンや体験が大きく異なる。そこにはさまざまなイノベーションの余地があるというのが、YCの考えだ。
実際、今冬に開催されたYCのプログラムにも音声アプリを手がけるスタートアップが複数参加。わかりやすいものだと、音声版のNexflix「The Podcast App」だろう。さまざまな音声コンテンツを月額定額で楽しめるサブスクリプションサービスだ。
日本国内でもボイスメディア「Voicy」のような音声に焦点を当てたプラットフォームが生まれている。
ここまでみてきた9つの技術は、あのYCが「先進的」と表現するだけあって馴染みのないものも多かったかもしれない。
特に炭素除去技術や人工肉、老化防止などの領域は研究開発のコストもかかる。海外では多額の資金を集め果敢に挑戦しているスタートアップもでてきているが、その数は限られているのが現状といえるだろう。
ただ近年のYCの参加企業をみていても、Webサービスやアプリを開発するネット系スタートアップとは毛色が違うバイオ系の企業などもいくつか見受けられるようになってきた。
テクノロジーの進歩に伴い、今までの常識では実現が難しいと思われていた「映画やマンガだけの話」が少しずつ実用化していくのかもしれない。
img: YCombinator, Pixabay, Climeworks, MemphisMeats, The Podcast App