自宅に届いた食材を、あらかじめ用意されたレシピに沿って調理するだけで、手軽に美味しい料理が出来上がる「ミールキット」。米国では2010年ごろに登場した新興市場でありながら、2020年には100億ドルにまで成長すると見込まれている。
暗雲が立ち込めるミールキット市場
ミールキット市場を開拓したのが「Blue Apron(ブルーエプロン)」だ。2012年にニューヨークで創業され、約2億ドルの資金調達を経たあと、2017年に上場を果たした。
同社は働き手世代であるミレニアルズの時短ニーズを満たすことで会社を急成長させた。中でも共働き家庭からの需要が高い。「Nielsen」のデータによると、料理する時間がない共働きの子持ち世帯は、子持ちではない世帯と比べて、3.2倍高いミールキットの購入需要を持つ。仕事に加えて、子育てに時間を割かれる多忙な世帯にヒットした形といえる。
しかしながら、ビジネス動向に暗雲が立ち込めている。
2017年10月、上場から間もないにも関わらず、「Blue Apron」は全社員の6%に当たる5,400人の従業員を解雇したことを発表したり、連日株価下落のニュースが飛び交っている。『Recode』が2017年に発表した記事によると、米国シェアの40%を占めていたが、2018年度には35%まで減少したと報じられた。
ビジネスがうまくいかない中で、競合も登場した。ヨーロッパから米国進出を果たした大手競合「HelloFresh(ハローフレッシュ)」が2018年3月に入って米国ミールキット企業「Green Chef(グリーンシェフ)」を買収。両社の連結市場シェア率は36%にのぼり、米国市場を勝ち取った。
新たな成長戦略を求められる「Blue Apron」が打ち出した施策が大手スーパーでのミールキット店頭販売だ。従来、オンラインで購入をする手法を大幅に変えた販売戦略を提案した。ここまで説明したミールキット市場情勢の変化は2018年3月のたった1カ月間で起きている。
本記事では筆者の経験を踏まえた上で、「Blue Apron」の成長鈍化から考えるミールキットの課題と、各社が展開する店頭販売戦略の2点に話の軸を置きながら、大きな岐路に立たされているミールキット市場の行方に関して考察していきたい。
1年で13万人を失った広告戦略の限界
「Blue Apron」の競合サービスは20-30を超えるほど多数登場した。筆者は「Blue Apron」を含めて5-6種のミールキットを試したことがあるが、ほとんどが同じような調理プロセス、商品体験であった。
似通った商品が出そろった場合、広告を使って顧客獲得をする手法が一般的だ。「Blue Apron」もインスタグラムを中心にSNS広告を積極的に活用。しかし、広告戦略で市場シェアを上げる戦略に打って出た場合、他社よりも潤沢な資金がなければ市場で逃げ切ることは難しい場合が多い。
広告を通じて獲得した顧客は、初回ディスカウントのうたい文句に魅かれる流行客である場合が多く、自然流入で獲得した顧客よりも継続利用率が低い傾向にある。実際、「Blue Apron」は2017年度に広告費用を減らしたことが原因で、顧客数が前年度比15%減の74.6万人に落ち込んでしまった。SNSを通じて獲得した顧客が単なる流行客であった証左だ。
結局、いくら広告費を投じようとも、流行客を追いかけて成長を維持してしまったため、資金が尽きれば顧客は離れ、いずれは競合に追いつかれしまう。全体顧客数が減り、最終的に広告費を捻出する収益、資金がなくなり、成長が止まる悪循環に陥る。
こうした広告に頼った成長戦略が「Blue Apron」衰退の大きな原因の一つとして挙げられる。事実、2017年の「Blue Apron」の純損失額は2.1億ドルにおよび、競合「HelloFresh」の1.1億と比べてほぼ倍の損失を計上した。
広告費用を投じなければ生き残れない市場情勢になった際、企業が採るべき戦略は、オリジナルコンテンツの拡充と優良顧客の獲得だ。以下に、企業事例を三つ挙げたい。
成長戦略の要はオリジナルコンテンツ
有名シェフ監修のミールキット企業「Martha & Marley Spoon(マーサー・マーレイ・スプーン)」に代表されるように、業界人の名前を前面に出すことでブランディング価値を上げる手法が最も合理的に市場を生き抜く戦略であろう。
同社は米国のミールキット市場の上位10位に入るシェア率を誇るが、巨額の広告費を投じているわけではない。3回以上商品体験をした優良顧客になると初めて友人へ初回割引クーポンを送れるリファーラル制度を採用して、着実に有料顧客数の獲得を行ってきた。
彼らは、商品に対して強い愛着を持ってくれた人の口コミは、広告で獲得する顧客より離脱率は低いと考えているのだ。こうした他社には真似できないブランディング力を備えたオリジナルコンテンツの提供と、広告に頼らない成長戦略が「Martha & Marley Spoon」を支えている。
広告費用に多額の資金を費やして成長を無理やり維持し続けるモデルは、メディア事業にも該当する。
日本の女性向けライフスタイル動画メディア『C CHANNEL』は、創業から1-2年の間に、大規模な広告をSNS上で展開をした。しかし流行客(ここでは流行視聴者ともいえる)が離脱する前に、スポンサーとの共同制作したオリジナル動画作品を数多く展開することで、何度も動画を観にきてくれる優良視聴者の獲得へとつなげている。
同様に『Netflix』も、競合ストリーミングサービス『Hulu』や『Amazon Prime Video』に広告競争で追いつかれる前に、オリジナルコンテンツへの投資を増やすことで優良顧客の獲得に成功。実際、同社のオリジナル製作品への投資額は、2017年度で約60億ドル、2018年には80億ドルの予算を計上。
現在の「Blue Apron」には、こうしたオリジナルコンテンツへの舵切りが求められている。
時短ニーズだけではない。料理体験を通じたコミュニケーション創出
ミールキット市場が成長した理由に、ミレニアルズの時短ニーズに合致したと記述したが、筆者が実際に体験してみて気付いたもう一つの訴求点がある。料理体験を通じたコラボレーションや楽しい会話が生まれることだ。
筆者が「Blue Apron」を試しに料理してみた際、5-6人の友人と一緒に調理を行った。完成した料理の味はまずまずであったが、味よりも調理過程で発生した会話や、調理に一緒に取り組んだ共同体験に最も大きな魅力と楽しさを感じた。
こうした料理体験を通じたコミュニケーションの創出が、ミールキットがヒットした大きな要因となっているといえるかもしれない。しかし課題はレシピにある。どの企業のレシピも、見やすさや理解のしやすさには工夫を凝らしているが、コミュニケーションを発生させる工夫がどこにもされていない、単調なものになっているのだ。
コミュニケーションを上手く創り出すことも念頭にレシピを作っている好例が、日本のミールキット「KitOisix」だ。家庭のコミュニケーションまでしっかりと考え抜いたメニュー構成を提案している。
たとえば、母親が料理をしている間、お腹が空いている子供におやつのチーズをあげて、笑顔で食べながら待っていてね、と声をかけるシチュエーションまでレシピに事細かくシチェーションが書いてある。家庭内の何気ない会話まで気を配ったレシピの質は、「Blue Apron」より圧倒的に秀逸だ。
顧客がどのような生活を、誰と送っているのかまで考え抜いたレシピ作りが、コミュニケーション創出を促進する鍵となるのは間違いない。もし「Blue Apron」が引き続き時短ニーズにのみ目を向けていれば、レシピの質で競合と差別化を図れないまま、押し負けるのは目に見えているだろう。
顧客体験を無視したミールキット配達
米国で販売されているミールキットは、基本的に大きなダンボールで届けられる。しかし配達日時の指定ができないため、仕事から帰った自宅の前にダンボールが放置されていることが日常茶飯事だ。仮に仕事場に運んでもらったとしても、オフィスの冷凍庫やチルド室に入りきる大きさではない。
私は一度、配達届けの連絡をもらうことがなかったため、オフィス入り口に届けられていたミールキットに数日間気づくことなく、5,000円相当の品を腐らせてしまった経験がある。
同じ課題感は、筆者が働いていたサンフランシスコのコワーキングスペースの人たちも持っていたようだ。新鮮な食材が届くと期待していても、米国の物流事情では肝心の質を担保できないことに苛立ちを覚えているのだ。
冷蔵品は自分のタイミングで購入したい需要は確実に存在する。「Nielsen」のデータによると、日用品や食品の購入をオンラインで行いたいニーズは、オフラインと比べて5%高い。一方、冷凍食品の購入はオフラインの方が9.4%高い結果となっている。
顧客が商品を受け取るまでに、どのようなプロセスで届くのかを細かく計算しきれていない点は、ミールキット企業全般が抱える問題だ。
顧客が望む場所で商品を購入できるオムニチャネル戦略が鍵
好きなタイミングでミールキット商品を購入し、持ち帰りたいという顧客ニーズに、各社が店頭販売の形で応え始めたのが2017年10月頃からだ。
これまでオンライン購入が主流であったがため、冷蔵品を新鮮な状態で配達できる環境が整っていなかった点は前述した通りだ。オンラインのみならず、店頭販売にまでチャネルを増やすことは、顧客の購入体験を柔軟にする。
いち早く店頭販売戦略に打って出たのが2017年9月に米国大手小売チェーン「Albertsons(アルバートソンズ)」によって2億ドルで買収された「Plated(プレイティード)」である。同社は「Albertsons」の保有する全米2,300店舗のスーパーで自社ミールキットの店頭販売を同年10月から開始。
「Plated」は先見性に優れた企業である。CEOのJosh Hix氏は『Wall Street Journal』の取材で次のように答えている。
Josh Hix氏「わたしたちはこれ以上メディアで多額の広告費を打ち、無数のユーザーに宣伝することをやめます。これからは私たち独自の市場ポジションを開拓していきます」
「Plated」は、顧客が手軽に好みの販売チャネルから商品を購入したい需要を的確に読み取っただけでなく、各社が多額のSNS広告を打ち出して無数の流行客を取り囲む市場情勢の限界を予知していたことが伺える。おそらく「Blue Apron」の凋落も予想していたからこそ、いち早く大手企業への売却と事業連携を決めたのだろう。
競合他社も同様の動きをみせている。大手小売チェーン「Walmart(ウォルマート)」は2018年中に2,000店舗で自社ブランドのミールキットの販売を開始予定。大手生鮮食料品小売チェーン「Whole Foods(ホールフーズ)」はミールキット企業「Salted(ソルティッド)」と提携して店頭販売をすでに開始。
「Amazon」はアマゾンフレッシュ会員向けにオンラインでミールキット販売を昨年から開始していたが、同時期に「Whole Foods」を買収したため、いつでも店頭販売へ販路を拡大することができるだろう。「Blue Apron」も2018年度中に店頭販売を目指す。
Amazonの店頭戦略に学ぶ二つの視点「顧客データ」と「価格差別化」
顧客の望む購入チャネルに合わせた販路開拓の必要性については、繰り返し述べてきた。その上で、大手小売チェーンを中心にミールキットの店頭販売が今年の3月になって急増してきていることはお分りいただけただろう。
しかし、単なる店頭販売への参入は賭けでもある。顧客が好きなタイミングで購入できるようになることは、サブスクリプションモデルの破綻を意味するからだ。自社収益モデルを自壊させる代償は大きい。そこで考えなければならない点は2点。「顧客データの獲得」と「価格差別化」である。
店頭販売となった場合、どの顧客がどのようなミールキットセットを購入したのかというデータ獲得が困難になる。従来、過去のオンライン購入データから今週、今月のおすすめミールキットを提案していたレコメンド機能が全く使えなくなるのだ。こうしたパーソナライズ体験は顧客の離脱を防ぐための重要な要素となっていた。
単品での販売となればスーパーで売っている冷凍食品との差別化も難しくなる。調理する手間がかかる分、顧客は調理済みの食品を購入する方を選択し、ミールキットの店頭販売の意味がなくなる可能性がある。
この点、Amazonには大きな勝機がある。すでに「Whole Foods」ではプライム会員であれば割引価格で食材を購入できる導線が引かれている。価格差別化を行うことで、他社から仕入れた食材や食品より、自社ブランドのものを購入してもらうインセンティブを構築。
他社ブランドの冷凍食品に顧客が手を伸ばさぬように、会員制度を通じた価格差別化で、自社ミールキット顧客を囲い込む戦略ができているわけだ。
会員がAmazonのミールキットを購入することになれば、おのずと顧客データの獲得にもつながり、アプリやウェブサイトを通じたレコメンド機能を活用できるきっかけを得る。こうして価格差別化による自社商品の購入と、顧客データ獲得を上手く両立させられるのがAmazonの店頭販売戦略である。
「Plated」はすでに買収されているため、投資家からの圧力もないが、上場企業である「Blue Apron」が単なる販路拡大のために店頭販売へ踏み切るのならば、オフライン参入のデメリットをカバーできずに、再度競合他社に追随されて失敗に終わるだろう。Amazonの店頭戦略をしのぐのも至難であると思われる。
成長市場であるミールキット分野は、もはやスタートアップだけでなく、大手企業も参入するレッドオーシャンになった。「Blue Apron」の事例を通じて紹介したように、顧客視点での商品開発のみならず、オンラインとオフラインでの顧客獲得を支える戦略の重要性が高まってくるはずだ。
日本でもミールキット商品が多数登場しているが、UXとビジネス戦略の両方を見据えた、ミレニアル顧客獲得が必要になるだろう。
Img : Blue Apron, Jason Howie, Martha & Marley Spoon, Scott Akerman, KitOisix, osseous, Plated, Basheer Tome, Kurman Communications, Inc.