長野県の信濃町で森林セラピープログラムに参加したことがある。

セラピーガイドと一緒に森へ入り、木々から香る天然アロマを感じたり、澄んだ空気の中で大きく深呼吸したり、川のせせらぎを聞いたりしながら、自分のペースで散歩を続ける。特別なことはしていないが、森の中にいることそのものが心地よい経験となった。

都会の慌ただしい暮らしから解放され、疲れた身体にパワーを充電しているような感覚だった。

心身のリフレッシュを目的としたウェルネスツーリズム

世界保健機関(WHO)では2005年から10年の間に、世界のうつ病患者が約18%も増加したと発表した。特に15~29歳ではうつ病による自殺も増え、年齢問わず日々の生活で、心の疲れに限界を感じてしまっている人は少なくない。

こうした流れに呼応するように、癒やしのサービスが増えている。心身のリフレッシュを目的に組まれる旅行のプログラムは「ウェルネスツーリズム(またはヘルスツーリズム)」と呼ばれ、徐々に広がりを見せている旅のスタイルだ。

ウェルネスツーリズムでは日々の生活から離れ、自分と向き合う時間を作る。ヨガなどの身体的なもの、マインドフルネスや自然環境の提供などの精神的なアクティビティを組み合わせたものが多い。

2016年時点でウェルネスツーリズムの市場規模は世界で4,890億ドル(約52兆円)。2020年にこの市場は8,000億ドル(約85兆円)規模になると予想されている。じゃらんの旅行調べでは、「健康になる旅行」に興味を持つ人は7割にもおよび、特に女性は10~30代、男性は30代の関心が高いという結果が出た。

ウェルネスツーリズムは大きく二つに分類される。一つはヨガやスパなどの身体を動かしたり、マッサージを行ったりといった施術を受けて健康を取り戻すフィジカルなもの。もう一つは心を静めたり、身体に優しい食事を取ることで気持ちを整える、メンタル面からアプローチを行うものだ。

身体に優しい食事は健康を取り戻すものにも含まれると思うが、特に旅行においては、気持ちを整える要素が強い。日々の生活でコンビニ弁当が続くと、気持ちが落ち込み始める。

新鮮な食材・人の手が感じられる料理を口に運ぶたびに、幸福度が戻ってくるような気持ちになる。旅先で身体に優しい食事を取ることは、気持ちを整える要素もあるのではないだろうか。

“積極的な心の休養”を提案する宿泊施設たち

ウェルネスツーリズムの市場拡大により、精神的・身体的に健康を促すプログラムを提供する宿泊施設が登場している。

これまでもトレッキングやヨガなど、身体を動かして健康を促進する旅行スタイルはあったが、今回紹介する宿泊施設ではそれらに加え、精神面のリフレッシュも考慮した取り組みが行われている。

ニューヨークから2時間40分ほどいったアパラチア地方に、豊かな自然の中でくつろぎを提供する宿「SPRUCETON INN」がある。用意された九つの部屋それぞれに大きな窓があり、窓からは牧草地や周辺の山々といった大自然が広がる。宿泊者はハンモックに揺られたり、小川で泳いだり、囲炉裏の火を眺めたりと、静かで穏やかな宿泊が可能だ。

ここでは都会の喧騒に疲れたニューヨーカーたちに、静けさを楽しむ、リラックスできる空間を提供している。

タイのヘルスリゾートホテル「チバソム」でも、東洋の自然療法、西洋の現代医学を掛け合わせたヘルスケアによって、参加者の心、体、精神の調和を目指している。到着後すぐにカウンセリングを行い、宿泊者の健康状態をチェック。その人に合わせたプログラムを作っていく。

敷地面積は東京ドーム約10個分と広大で、プログラムを受けつつ、広々とした豊かな自然の中で、自分の好きなようにゆっくりと休むことができる。

三重県伊勢志摩の温泉施設である「アマネム」は、英虞湾が望める静かな丘陵地に建てられ、湯治や鍼灸など、日本の伝統的な健康療法を用いるウェルネスプログラムを設けている。プログラムは心のデトックス・ストレスマネジメント・スローエイジングの3種類。どれも共通して、「心の平和」や「リラクゼーション」効果に力を入れている。宿泊は最低3泊から可能。心の回復を担うには、ある程度の時間が必要なのだろう。

長野県安曇野の宿泊施設「穂高養生園」も同様に、「体に優しい食事・ヨガや散歩などの適度な運動・心身の深いリラックス」を提供することにより、本来人間に備わっている自然治癒力を取り戻すことを目的とした場所だ。

ここでの食事は1日2食。施設の菜園や地元で採れた野菜を使い、マクロビオティックを中心とした玄米採食を提供している。宿での過ごし方は人それぞれだが、穂高養生園からもヨガや瞑想、森林歩きなどのワークショップを複数開催しており、宿泊者の好みに合わせて選ぶことができる。

どの宿泊施設も落ち着いた環境を作り、必要に合わせて自分に合った過ごし方ができるところがポイントだ。忙しい日々から離れて、静かな場所で休養を取ることで、心身をリフレッシュできるように設計されている。

アクティブに身体を動かして健康になることは大切だ。だが、心の休息をとることも同じくらい重要ではないか。これらの宿泊施設が提供するプログラムでは、心の安らぎを取り戻すことに重点が置かれていた。

やすらぎを求める旅行へ

これまで「旅行」というと、観光スポットを巡ったり、海ならビーチアクティビティ、山ではトレッキングなどアクティブに動き回るというイメージが多かった。普段はできない「遊び」を体験しにいくことが主流だったように思う。

それに対しウェルネスツーリズムでは、「休養」を第一目的に置き、休むための旅行がメインとなっている。

街へ出れば車や工事の音が鳴り響き、歩きながらスマホに没頭する人々を避けて通る日々。スマホを開けばさまざまな情報が画面の中を飛び交う。変化の激しい時代では、時代に取り残されないようにと必死にしがみつくことで、疲れてしまうこともある。

常に何かしらに神経を使う日常が当たり前となっている今、人々に必要なのは、日常を離れた静かな場所で過ごす「心安らぐ旅」なのかもしれない。

img:Spruceton Inn,アマネム,PEXELS