米シリコンバレーをはじめ、フランスの「StationF」やロシアの「Skolkovo」などに見られるように、いま世界各国・各都市は国内外のスタートアップの誘致・育成を目的とした起業エコシステムの創出に力を入れている。起業家争奪戦ともいえる様相を呈している状況で、各国は優遇税制、優遇ビザ、インフラ整備など、あの手この手で起業家へのアピールを行っている。
最近では、政府だけでなく民間企業でもグローバルに活動する起業家や高度スキル人材を1つの消費者クラスターと位置付け、そのクラスターのニーズに特化したサービスを提供するケースも出てきている。
起業家向け「ベンチャーホテル」、シンガポールに登場
シンガポールに最近登場した「Tribe Theory」は、起業家向けのホテルだ。
エス・エム・エスの元代表、諸藤周平氏がシンガポールで立ち上げたREAPRAが支援するホテルとして地元メディアに取り上げられ、その取り組みは多方面から注目されている。
Tribe Theoryウェブサイトより
一見カプセルホテルスタイル(シングル一泊、約3,000円)の安宿のようだが、ターゲットとする宿泊客が観光を楽しむバックパッカーではなく、起業家、フリーランス、テックカンファレンス参加者である点が他の宿と大きく異なる。同ホテルは、起業家精神を持つ人々が集い、お互い刺激し合える場・コミュニティーをつくりだすことを目指しており、必然的に宿泊客もその理念に共感した人々が多い。
Tribe Theoryウェブサイトより
Tribe Theoryの創業者、ビクラム・バラティ氏はJPモルガンに勤めた後、REAPRAのベンチャーキャピタル投資部門の責任者を経験した人物。このホテルのコンセプトは、バラティ氏が2年間のバックパック旅行の最中に思いついたものだという。駆け出しの若い起業家やスタートアップの社員が安く泊まれ、かつインスピレーションを得られるホテルをグローバルスケールで展開することがバラティ氏の目標だ。
現在のところシンガポールに1拠点だけだが、2018年中に東南アジア主要都市に2拠点を開設、さらに2019年までには計8〜10拠点を開設する計画があるという。
また同じミッションを持つホテルとも提携し、コミュニティーの拡大を目指している。現在インドのバンガロールにあるホテル「Construkt」が提携ホテルとして名を連ねている。
スタートアップはコワーキングから「Co-Living」へ
Tribe Theoryの登場は、これまで高まりを見せながらも、見落とされてきた起業家やスタートアップに関わる人々のニーズを再確確させるものだろう。
これまでのホテルサービスでは、観光客が主たるターゲットだったといっても過言ではない。ビジネス客をターゲットにしたものもあるが、それはスタートアップではなく、予算豊富な大企業の出張客だったといえる。ホテルはこうしたターゲット層を見込んで、サービスを考え、価格設定を行ってきたはずだ。
しかし、予算が限られたなか各国を周らなければならない起業家やスタートアップ社員にとって、そのようなサービスや価格は不適当と感じることが多いのではないだろうか。さまざまなアメニティーが用意されているが、そのようなものを充実させるならインターネット速度を上げてほしいという声も少なくないはずだ。
安く泊まれて、同じような志を持つ人々とネットワークを構築でき、インターネット速度が速い。これまで見落とされてきたニーズをTribe Theoryが汲み取っている形なのだろう。
宿泊という観点から見ると、普段の生活においても起業家やスタートアップ社員のニーズが顕在化しており、それに伴う取り組みも新たに登場している。その1つがコワーキングならぬ「Co-Living」だ。
スタートアップの社員らが1軒の家をシェアし、オフィス兼住宅として、事業を作り上げていくもので「ハッカーハウス」とも呼ばれている。もともとシリコンバレーやニューヨークのスタートアップコミュニティーで広まった居住スタイルだが、シンガポールでも実践するスタートアップが出てきている。
シンガポールのスタートアップReactorは、コンドミニアムの1ユニット(3ベッドルーム)を貸し切り、社員4人が寝食をともにしながら事業をつくっている。リビングルームをコワーキングスペースとして活用し、そこでサービス開発を行っている。
Co-Livingの利点は、オフィス賃料をカットできることに加え、チームメンバーの連携を強め、労働時間をよりフレキシブルにできることだ。また通常のコワーキングスペースでは気が散ってしまうという人でも、自宅兼オフィスとなるCo-Livingスタイルだと、自身が集中できる環境をつくることができ、生産性を高められることも利点の1つ。
シンガポールではCo-Livingスタイル居住の需要増を受け、スタートアップのHmletなどがプラットフォームを通じたCo-Livingスペース提供を始めている。
不動産会社JLLのアジア太平洋担当、マイレス・フアン氏はシンガポール・ビジネス・レビューのインタビューで、ミレニアル世代を中心にCo-Livingスタイルの人気が高まっていると指摘。新しい居住スタイルを体験したいという期待感に加え、世界で5番目といわれる高い家賃がCo-Livingスタイル需要を急速に引き上げているという。
共通の目的を持つ人々と一緒に住むCo-Livingはインドでも人気が高まっている。インドのCo-Livingスペースプラットフォームを提供するStayAbodeは2017年8月に日本のインキュベイトファンドなどから資金を調達したと発表。インドでもミレニアル世代のプロフェッショナルを中心にCo-Livingスタイルへの需要が高まっているものの、供給が少ないことからStayAbodeの取り組みに期待が寄せられている。
StayAbodeウェブサイトより
起業エコシステムには、インキュベーション、アクセラレータープログラム、資金へのアクセス、市場へのアクセスなど、さまざまな要素が含まれるが、上記の事例を鑑み人という切り口で考えると「居住」や「宿泊」も非常に重要な要素であることが分かってくるのではないだろうか。
文:細谷元(Livit)