世界中に約15億人のユーザーを持つソーシャルアプリWhatsAppの共同創業者ジャン・コウム氏とペイパルの共同創業者マックス・レブチン氏。この2人は、どちらもウクライナ出身という共通点を持っている。
ウクライナというと日本では内戦に関する報道が多く、政治的・経済的に混乱した印象を持つひとも少なくないだろう。
しかし今、欧米のテクノロジーコミュニティーの間でウクライナへの関心が高まっている。ウクライナでは優れたITエンジニアが多く輩出されており、現地のスタートアップに注目する投資家やアウトソース先として関心を寄せる大手テクノロジー企業が増えているのだ。
今回は、中東欧のテクノロジーハブとして台頭するウクライナの現状をお伝えしたい。
内戦、経済不況を乗り越え、テクノロジーハブへ
ウクライナは人口4,200万人、面積60万平方キロメートル(日本は約37万平方キロメートル)の東ヨーロッパに位置する国。東はロシア、西はポーランド、スロバキア、ハンガリーと国境を接し、南は黒海に面しており、黒海の先にはトルコがある。
ウクライナの位置
国内総生産(GDP)は3,685億ドル(約40兆円)で世界50番目、一人当たりのGDPは8,656ドルで世界114番目となる。GDPはカタールやノルウェーと、一人当たりのGDPはフィリピンやギニアとほぼ同じだ。
16世紀頃から「ヨーロッパの穀倉地帯」と呼ばれ、19世紀には産業の中心として大きく発展したとされる。
20世紀には鉄鋼業や重化学鉱業が発展したが、その背景には冷戦やウクライナの戦争・内戦が大きく関わっていると思われる。1922年、ソビエト連邦が結成された際、ウクライナはソ連構成国となった。
1950年代冷戦の真っ只中、ソ連はウクライナで軍需産業を拡大させるため、予算を増加させた。その結果、ウクライナはソ連の軍需産業とハイテク研究の中心になったとされている。当時は、核開発だけなく宇宙開発が激化する時代。核物理、ロケット、ミサイル、人工衛星などに関わる高度な知識を持つ人材が存在していたことは想像に難くない。
1991年、ソ連崩壊にともない独立したウクライナだが、その後も幾度なく内戦などの危機に見舞われてきた。経済に関しては、1991〜99年の間、経済不況だけでなく、5桁のインフレが起こるなど非常に厳しい時期となったようだ。その後2000年から年率7%の経済成長を達成する。しかし、2009年には世界金融危機の煽りを受け、経済成長率はマイナス14%を記録してしまう。その後回復するも2015年に再度マイナス成長となり、2016年にやっと2.3%まで戻している。
豊富なテクノロジー人材、ウクライナの新たな強み
このように不安定なウクライナ経済であるが、この不安定さを払拭しようという動機がテクノロジー市場と人材育成の拡大を加速させているようだ。
ウクライナのIT人材は現在9万人以上いるとされ、中東欧では最大のIT人材輩出国となっている。その数は、米国、インド、ロシアに次ぐ世界4番目ともいわれている。現在もIT人材の数が順調に増えており、2020年までには20万人以上に拡大する見込みもある。
国内には1,000社以上のIT企業があり、ウェブ開発、モバイルアプリ、ソフトウェア開発など、あらゆるITサービスを提供している。
ITサービスへの評判も高く、ITアウトソースに関わる国際団体IAOPが発表しているアウトソース企業トップ100のなかに、ウクライナから13社もランクインしている。欧米のIT企業にとっての最大の開発アウトソース先はインドであったが、最近ではウクライナがインドに取って代わるのではないかという議論も散見されるようになっている。
サービスの質が良いことに加え、英語が通じること、欧州市場へのアクセス、インドと比較して欧米文化に近い点などが欧米のIT企業から支持を受ける理由のようだ。
これまでにボーイング、シーメンス、オラクル、サムスンなど世界的な大企業が研究開発拠点を設置している事実からも、ウクライナのテクノロジー基盤の強さをうかがい知ることができる。
アウトソースだけでなく、スタートアップ界隈も活況している。ソーシャルアプリSnapchatで、口から虹を出したり、目を大きくしたりできるレンズという機能があるが、この機能を開発したのはLookseryというウクライナ発のスタートアップだ。
2016年9月、Snapchatを開発・運営するSnap社がLookseryを買収し、この機能が使えるようになった。買収額は1億5,000万ドル(約160億円)と、ウクライナのスタートアップでは史上最大の買収額になったと地元メディアなどが報じている。
Lookseryが開発するリアルタイム変身機能
このほかにもグーグルに買収された顔認証テクノロジー企業Viewdleや、オラクルが買収したウェブテスト最適化ツール開発のMaxymiserなど、大手による買収事例がある。
こうした成功例がさらなる活気を生み、スタートアップの数は現在2,000社以上に上るという。インタラクティブペットカメラを開発するPetCube、ゲーム向けパフォーマンス分析プラットフォームを開発するMobalytics、パーソナルクラウドコンピューターを開発するSIXAなど、立ち上げ時からグローバル市場を狙い、オペレーション拠点をシリコンバレーに設置するスターアップも多いようだ。
スタートアップコミュニティーが盛り上がるためには、ベンチャーキャピタル(VC)の存在が欠かせないが、ウクライナへはコースラ・ベンチャーズやゼネラル・カタリスト・パートナーズを筆頭に多くのVCが投資を行っている。ウクライナ首都キエフには、デンマーク・コペンハーゲンやノルウェー・オスロなどよりも多くのVCが集まっているという試算(Techstars調べ)もあるほどだ。
ウクライナがテクノロジーハブとして台頭できるのは、豊富なテクノロジー人材プールがあるからに他ならない。
ウクライナの年間大卒者数は15万人ほどいるとされるが、そのうち3万6,000人が理系。さらに理系のうち1万5,000人がコンピューター系の学位保持者だ。
大学だけでなく、民間企業や非営利団体によるテクノロジー人材育成も活発に行われている。非営利団体Brain Basketは2020年までに10万人のプログラマー育成をターゲットとし、国内100拠点でITトレーニングを提供していく計画だ。
Brain Basketの取り組みは、インテルやマイクロソフトなどの大手IT企業とウクライナ教育省が支援するもので、国内外のIT人材不足を解消することが目的という。2020年までに欧州だけで90万人、世界中では500万人のIT人材不足が見込まれている。ウクライナが優位性を持って人材供給できる体制を整えることが狙いのようだ。
4,000万人と欧州のなかでは比較的大きな人口規模を誇るウクライナ。今後さらにITを含めたテクノロジー人材が輩出されていくと、サイバーセキュリティーやデジタル化に関わる国際的なプレゼンスや影響力はエストニア以上のものになっていくのかもしれない。
文:細谷元(Livit)