「できること」に向き合えば、「やりたいこと」にたどり着ける。SUUMOタウン編集部 岡武樹さん【ミレニアルズの仕事論】

社会に出る最初の関門に「就職活動」がある。このシステムを突破するためにはある種のノウハウがあるため、自分を偽ってしまう人も少なくないだろう。

収入や社会的地位、世間からの視線——。いくつもの外的要因が、「本来の自分」を「社会になじむための自分」へと遠ざけてしまう。

成功と失敗の二択しかないのなら、誰だって成功を選びたい。その結果、就職活動は、ライフプランを達成するための目的から手段へとすり替わってしまうのだ。

リクルート住まいカンパニーに務める岡 武樹(おか たつき)さんは、通信事業会社から飲食業界、そして編集者へと二度の異業種転職をしている。「自分が本当にやりたいことを仕事にするために、直感を信じてきた」そうだ。

岡さんが「自分が一番関心が持てること」を見つけたのは、社会人5年目のこと。「遠回りしても、目の前にあることに一生懸命になってれば幸せな働き方にたどり着けるのでは」と語る彼に話を伺った。

予想外の地方勤務も、発想を変えたら最良の“新卒1年目”になった

——最初のキャリアを選ばれた理由をお伺いできますか?

岡:もう10年近く前のことになりますが、当時はこれといってやりたいことがありませんでした。何が自分に向いているのかもわからないから、まずはとりあえず働いてみてやりたいことを探そうと思いました。

なので、最初の就職先を選んだ理由は「もし、途中でやりたいことが見つかってもどんな業界でも役に立ちそうなものが得られる」ことで、「ITスキル」と「海外での勤務経験」が得られそうな企業に絞って、就職活動をしました。

——最初から転職ありきで考えていたんですね。

岡:最初の就職先がいきなり自分に完璧に合うはずもないな、と思っていたので……。ただ、若いうちから活躍したいなという気持ちはなんとなくあったので、はじめは、一人で幅広い仕事に携わるチャンスがあって、早く成長できるイメージがあった「ベンチャー企業」に入社しようと思っていたんです。

その考えを大学時代にインターンしていた会社でお世話になった方々に相談すると、「ベンチャーは大手で働いた後でも転職できる。まずは、大手に行ってみたら? 5年くらい頑張ってみなよ」とアドバイスをもらいました。その人たちも実際に大手企業からベンチャー企業へ転職された方で、実際に両方経験した方がそう言うのであれば、と最初は大きい会社に入ってみよう、5年間働きながらその間にやりたいことを考えて転職しよう、と思いました。

——新卒で入社した会社では、どのようなお仕事をされていたのでしょうか?

岡:大学卒業後、海外にも多く拠点がある通信事業会社に入社しました。配属先はサービスの企画職がおもしろそうと思って希望していたのですが、3カ月の研修が終わったときに配属発表で「仙台勤務」と告げられました。仙台にあるグループ会社に出向する形になって、契約ユーザーへのテクニカルサポートを行うコールセンターの運営に従事しました。

——いきなりの地方勤務に戸惑いはありませんでしたか?

岡:東京配属が多い会社で、面談でも東京にあるグループ会社を第一希望で伝えていて「いいね、是非頑張ってほしい」と話が弾んだので、配属を聞いた瞬間はとにかく驚いたことを覚えています。

ただ、仙台行きの新幹線に乗ったら、初めて行く東北、仙台に急にわくわくしてきました。それから自分が働く仙台のグループ会社に配属されたのは200人以上いる同期で1人だけで、新人の配属は初だったんです。ポジティブに考えれば、他の人とはちょっと違った経験ができるかな、同期もいないから変に比較されることなく自由にのびのびと働けるんじゃないか、とも思いました。

——今振り返ってみて、仙台での勤務はご自身のキャリアにとってプラスになっていますか?

岡:そうですね。仙台の職場は、上司のほとんどがいわゆる現場からの叩き上げ。かなりビシバシと鍛えられました。厳しい上司の下でとにかく必死に働きました。今考えると1年目にしてはきつかったなと思いますが、今思えば結果として基本的なビジネススキルもちゃんと身につけることができて、いい経験できたかなと思っています。

趣味の“食べ歩き”が教えてくれた、幸せの絶対軸。飲食店運営、そして編集へ

岡:仙台で働いたことで自分の人生の考え方に大きな変化もありました。赴任1年目に東北大震災を経験したのがきっかけです。

——震災をきっかけに考え方が変化したんですね。

岡:そうですね。入社前は「5年間働いて、その期間で自分に合った仕事を探そう」とやや長期的な視点で人生を考えていましたが、「5年後に自分が生きている保証はない」ということを震災でリアルに感じました。

そこですぐに退職しよう、何かしようと考えたわけではありませんが、自然と「いつ何が起きるかわからない人生、やりたいと思ったことはやりたいと思った時にすぐに行動しないと」、というように考えるようになりました。

——考え方が変わった後はどう行動されたのでしょうか?

岡:まずはいつか経験してみたいと思っていた「海外で働く」ということに早めにチャレンジしようと思って社会人3年目に希望を出して、マレーシアで1年間働きました。

海外勤務自体は学生時代に想像していたほど特別なものでもなかったのですが、マレーシアでの勤務では、「仕事は自ら考えて行動すると、すごく楽しい」と知りました。

——自ら海外勤務希望を出したからでしょうか?

岡:海外勤務希望を出したからというよりは、現地のチームが少人数だったので、日本よりも裁量権が大きかったおかげかな、と思います。何か提案してからOKもらえるまでのスピードも早くて、やってみてそれが何かしらの成果につながると楽しくて、積極的に仕事をやるようになりました。一緒に働いていた先輩方も、些細なことも楽しそうにどんどん改善していく方だったので、すごくいい刺激を受けました。

——仕事の楽しさを発見した後はどう働いていったのでしょうか。

岡:1年間マレーシアで働いて、帰国後は東京にある本社の企画部門に配属になりました。本社では部署間の調整のためのいわゆる大企業的な仕事が多く、スピード感もマレーシアや、グループ会社だった仙台時代と比べてゆっくり。それが悪いというかはわからないのですが、ギャップが大きくやや物足りなさを感じていました。

そんな状況で気が付けば働き始めて5年。ある日、仕事の帰り道歩いているとふと、「入社前は5年間働いて自分がやりたいことを見つけて転職しようと考えていたな」と思い出し、そしたら急に「このままでいいのか」と危機感のようなものが湧いてきました。ただ、仕事には若干物足りなさを感じつつも、職場環境はよくて快適……。でも、思ったなら行動しよう、と最終的に思い切って次の日に退職希望を上司に伝えました。

——次の日にすぐ退職を決めたんですね。もう転職先は決めていたんですか?

岡:いえ、その時点では決めていませんでした。仕事はしっかり引き継いでから辞めようと思っていたので退職までの期間で考えました。

この5年間で自分がどんな瞬間、どんなことに楽しさを感じてきたのかを振り返ってみたところ、仙台に配属されたのをきっかけに夢中になった「食べ歩き」にたどり着きました。

——「食べ歩き」ですか。

岡:仙台で働きはじめたころは知り合いもいなかったので、仕事後に一人職場近くのお店をぶらぶら巡っていたんですが、どんどんはまっていって……。今日はどこへ行こうかとお店を探している時、美味しいものやお酒に出会った時、素敵な店主に会えた時、それらの時間が何より楽しかったんです。仙台の後、マレーシア勤務していた時も続けて、週末は家から200km離れた街へ海南鶏飯を目的に車で行ったり……。

東京勤務が決まった時に、神楽坂に住みたいと強く思ったのも「美味しいお店が多そうな街」というのが理由で、実際に仕事後給料ほとんど使って毎晩のように美味しいものを探して食べ歩いていました。

——どこで働いていても欠かさず続けていたんですね。

岡:そうですね。さらに昔まで振り返ってみたら、小さいころの夢もカレー屋さんで、料理漫画も好きでずっと読んでました。そういったことなどから次は、自分が一番関心を持てる「食」に関わる仕事をしようと決めました。

——「食」を軸に、どう次の仕事を決めたのでしょうか。

岡:食関係の仕事も幅広くあると思うのですが、いつかはすごく小さくてよいので「自分があったらいいなと思う飲食店」をやりたい、と思って、まずは「飲食店の運営」が経験できる仕事にチャレンジしようと思いました。

その後、どんな飲食店で働こうか考えたところ、大学生のときに読んだ、スマイルズの代表・遠山正道さんの著書『成功することを決めた―商社マンがスープで広げた共感ビジネス』を思い出して、改めて読んだら、いいなと。

話を聞きにいくくらいの感覚で応募してみたら、面接官の方がとても素敵で、スマイルズ(現:株式会社スープストックトーキョー)への転職を決めました。

——スマイルズではどのような仕事を担当されていたのでしょうか。

岡:途中商品企画の部署もはさんだりしましたが、基本店舗で働いていました。お客さんが絶え間なく出入りする大型店舗から、お客さんとゆっくり話せるような小さな店舗まで、さまざまな店舗で働きました。

——希望していた「食」に関する仕事に従事していかがでした?

岡:飲食店で働いていると「美味しかった」「また来るね」とお客様から声をかけてもらえることがあって、「お客様の反応を直接感じられるのが嬉しいな」と感じました。

お客さんの嬉しそうな表情を見ると、自分も幸せな気持ちになれるんですね。とにかく丁寧に美味しくするぞと思って作った渾身のスープが、実際に美味しいと思ってもらえた瞬間とか、とってもやりがいを感じました。

——よりやりたいことが明確になっていったんですね。

岡:はい。それから、趣味の食べ歩きも継続していて、スマイルズへの転職が決まったタイミングで将来自分がどんなお店をつくりたいのかを明確にできるように、ブログも始めてみたんです。

最初は「このお店のここが良いと思った」という内容を書いた、単なる自分のためのメモだったんですが、しばらく継続していたら読んでくれる人が増えて、コメントもたくさんもらうようになって。ブログを開始して1年後くらいから、食べ歩きの記事を書いてほしいとWebライターのお仕事をいただくようにもなりました。

——好きなことを見つけ、発信を継続することで仕事になっていったんですね。

岡:そうですね。ブログを通じて「食」に関する仕事が来るようになったのは驚きもありましたが、うれしかったです。日々店舗で働きながら、隙間時間を見つけて書いてました。

それから1年くらいしたタイミングで、ブログや他のサイトで書いた記事を読んでくれた知り合いから「向いているのでは」と編集の仕事の誘いをいただいて、そこで再び自分の今後のキャリアを考えました。

——次は編集ですか。食の仕事とは距離が遠いように感じられますが。

岡:店舗で1年間以上働いて日々楽しかったのですが、自分より店舗管理がうまいマネージャー、お客様対応が抜群に上手で向いている、という人にたくさん会って、将来を考えると「飲食店の運営ができる」にプラスで、「自分ならでは」の強みも身に着けておかないと、と考えたりしていました。ちょうどそんなタイミングでの誘いだったので「編集」、いいかもなと。

——岡さんは情報を発信する仕事に関心を持っていたのでしょうか?

岡:元々「情報を発信する仕事」に関心があったという訳ではないのですが、ブログやライターの仕事を通じて、向いているのかなと思うこともありました。

ただ、編集ならなんでもいいというわけではなく、やるなら自分の興味があるところがいいな、とは考えて、すぐ思い浮かんだのが過去に寄稿した株式会社リクルート住まいカンパニーの「SUUMOタウン」です。

岡:執筆した神楽坂の記事は、今まで書いた記事の中でもうれしい反応が多かったものの一つなのですが、特に、読んでくださった方から「先日、初の一人暮らしを神楽坂で始めることにしました。ずっと実家暮らしだったのですが、Taki(ライターネーム)さんのSUUMOタウンの記事を見て神楽坂に興味をもち、引越し先を決めることができました。いつか実家をでなければと思いつつ中々行動できなかったのですが、Takiさんの記事のおかげで1歩を踏み出すことができました」というメッセージをいただいたときには本当に嬉しかったです。

編集者として働くなら、思い入れがあって個人的にも好きな「SUUMOタウン」に携わりたいな、と思いリクルートの採用ページを見たらちょうど「Web編集」の求人があったので、応募しました。

やりたいことより、できること。現状を肯定すれば、視野が広がる

——就職する前は「働きながらやりたいことを探そう」と考えていたとおっしゃっていましたが、現在の仕事はいかがですか?

岡:自分が得意だなと思うことを活かして仕事ができていて、社内外の様々な人と接する中で編集者として良い経験を積めていると感じることも多いので、とても充実しています。あと単純に好きなサイトに関われるのはすごく楽しい。

SNSで自分が編集を担当した記事が、好意的な意見をいただいているのを目にすることもときどきあったり、知り合いからも「SUUMOタウンいいよね」と聞くことも多かったりするので、飲食店ほどダイレクトではないですが「お客様の反応を感じられる嬉しさ」も感じられています。

あとは、リクルートでは副業も可能なので、Webライターとして食べ歩きの記事も書けるのも嬉しいですし、退職者のキャリアを支援する制度(退職金制度)もあるので、将来的には制度を活用して地方の好きな街に引越して編集者として働きながら、夜は小さな飲食店の運営をしたいな、とか考えています。

——1社目、2社目と経験してきたことが今の仕事に活かされているんですね。

岡:はい、つながっているなと感じます。大学生の頃は、編集者になるとは全く想像していませんでしたが、目の前にあることに一生懸命になり続けた結果、本当に好きなことや向いていることが徐々に分かるようになったのかな、と思います。

——最初から選択肢を絞るのはよくないと?

岡:やりたいことと、向いていることが明確な人はどんどん絞ってもいいかなと思うのですが、そこが明確じゃないのなら絞りすぎるのはどうかな、と今は思います。やりたいこと、できることと実際の仕事に乖離があると、結構つらいことも多いのかな、と。

——「やりたいこと」も「できること」も、なかなか見つけるのは難しそうです。

岡:仕事や働き方は狙った通り、まっすぐ筋道通りにいかないことも少なくないんじゃないかなと思います。自分自身も、最初に仙台勤務ではなく希望を出した東京勤務になっていたら今はないと思いますし……。まずは入ったところで「できること」を一生懸命しながら、時々自分の向いていることとかやりたいことはなんだろ、と考えながら、これだと思うのが見つかったら都度気軽に選択するのもよいのでは、と思います。

——最後に岡さんから、これから社会に出る若い世代に向けてメッセージはありますか?

岡:就職活動とかの面接で、変に自分をつくらないほうがいいんじゃないかな、と思います。つくってなんとか憧れのところに入社できたけど合わない、よりつくらずに落とされたら合ってなかったところに入らなくてよかった、という感じで。

あと、面接官はプロなので、嘘はばれますしね……。「この会社しか入りたくない」「この職業しかなりたくない」って思いこまずに、やれることを一生懸命やっていれば、回り道になっても最終的にたどり着いたらうれしい場所に到着したりするんじゃないかな、と思います。

社会に出た先輩たちには、「毎日楽しそうに働く人」と、「毎日つまらなそうに働く人」がいる。

前者は、いわゆる“仕事をしている”という認識がない。仕事と私生活を切り離して調和を保つのではなく、仕事も私生活も人生の一部として、心から楽しんでいるように見えるのだ。

両者を分ける違いとはなんだろうか。「自分に正直になれば、たどり着くべき場所に立てている」——今回のインタビューを通じて、その答えに近づけたと思う。

岐路に立たされると、私たちはいつも選択に悩み、判断基準に「周囲の視線」を持ち込んでしまう。そして、そのことにはなかなか気づくことができない。

これから選択に迷うことがあれば、自分に問いかけてみたい。「ちゃんと、自分の心に素直になれているか?」と。もしそれでも不安が残るなら、岡さんの言葉を思い出したい。

自分に正直になれば、たとえ回り道をしても、たどり着くべき場所に立てている。

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