「新虎通り」は、新橋と虎ノ門をつなぐ通りだ。2020年の東京オリンピック・パラリンピックの際には、選手村とスタジアムを結ぶ重要な道路の一部として位置付けられ、周辺のエリアマネジメントやアクティベーションにも力が入っている。
この通りを歩いていくと、ひときわ目を引く“壁画“が現れる。高層ビルも少なく、道が広い新虎通りでは、そびえ立つアート作品が存在感を示していた。
ビジネス街に突如としてあらわれる作品。その存在が街に活気を与えているように感じられる。ビルの壁一面に描かれた巨大アート作品は、「ミューラル」と呼ばれるジャンルだ。ビジネス街に出現したアート作品は、虎ノ門にオフィスを構えるアンカースター株式会社、Makeshift株式会社、BnA株式会社と、同エリアの活性化に注力する森ビルが共同で仕掛けている。
彼らはどのような想いで、都市のビル壁に巨大アートを描く大胆な試みを始めたのだろうか。「TOKYO MURAL PROJECT」と呼ばれる今回のプロジェクトを推進した、森ビルの中 裕樹氏、Anchorstarの井上 紗彩氏、BnAの大黒 健嗣氏に話を聞いた。
「ビルが背を向いている」ことが、巨大アートを描くきっかけに
2014年6月、虎ノ門エリアを象徴する「虎ノ門ヒルズ」が竣工したのに伴い、東京都が周辺エリアの整備を推進、「新虎通り」沿道でも再開発が進んでいる。
この「新虎通り」の活性化のために、「東京新虎まつり」や「旅する新虎マーケット」、「新虎打ち水大作戦」などの様々なイベントが行われてきた。こうしたイベントを担当し、さらにエリアを盛り上げる方法を探していたのが、森ビルの中氏だった。
中「今まで建物が立ち並んでいたところに新しい道路が完成しました。それまで道がなかった場所だったので、新虎通りに面した建物には道路に背を向けているものも多く、その特徴を活かせるアイデアを模索していました」
中氏がエリア活性化のために様々な取り組みを行っていた頃、このエリアに新しい住人がやってきた。Facebookの日本法人立ち上げを経験し、現在はKickstarter Japanのカントリーマネージャーも務める児玉太郎氏が率いるAnchorstarだ。
井上「Anchorstarは海外から日本に進出する企業をサポートする事業を展開しています。海外のユニークな人々を日本に呼び込むためにも、『虎ノ門エリアを盛り上げたい』と考え、エリアの活性化にもチャレンジすることになりました」
森ビルやAnchostarはエリアの活性化のために、なぜオフィスビルの壁に巨大アートを描くというアプローチを取ったのだろうか。きっかけは、Anchorstarがオフィスの壁にアートを描いたことだった。
井上「海外のクリエイティブな企業はオフィスの内装にもこだわり、従業員がイキイキと働ける空間を大切にしています。Anchorstarも新しいアイデアや発想が生まれるワークプレイスにしたいと思い、アーティストの方に壁にアートを描いてもらいました」
3人のアーティストがAnchorstarに集まり、壁にアートを描いた。「急げば1週間で終わるけれど、描く行為自体が面白いから」と、彼らは2ヶ月かけてAnchostarのオフィスに命を吹き込んだ。
井上「オフィスに来てくれるアーティストが『海外では30m級の壁に描いているんですよ』と話してくれました。私は当時『ミューラル』という言葉も知らなかったのですが、そのアーティストが海外のミューラルフェスティバルの情報など、様々なことを教えてくれたんです」
「虎ノ門エリアにもミューラルを描けるのではないか」ーー。アーティストの話を聞くうち、井上氏はそう考えるようになる。そこでAnchorstarのオフィスにアートを描く際、アーティストをコーディネートした大黒氏に相談を持ちかけた。
大黒氏は新虎通りを歩きながら「壁はキャンバスにもなる」と語ったという。中氏は「背を向いたビル壁をキャンバスと捉えるのは、まさに目からウロコだった」と、当時の興奮を教えてくれた。
その後、3人はタッグを組み、アーティストとともにまちづくりに取り組んでいくプランが徐々に固まっていった。
美術の新しいあり方として注目を集める「ミューラル」
今回のプロジェクトのテーマとなったミューラルは、日本ではまだ知名度が高くないアートジャンルだ。だが、その歴史は長い。
大黒「ミューラルのルーツをさかのぼれば、ラスコー壁画に行き着きます。近代でも中南米では文字が読めない人に対して、政治的なメッセージを伝えるために活用されたことがありました。(ミューラルを)体系化をすることは難しいのですが、日本のミューラルは欧米のストリートアートシーンからの影響を受けながら発展してきたといえます」
ここで気になるのが、「ストリートアート」と「ミューラル」の違いだ。大黒氏はその両者を次のように区別する。
大黒「両者の間にまだ明確な定義はありませんが、ミューラルという言葉は一般的に合法的な作品に対して使われ、ストリートアートは合法のものも違法のものも混在しています。グラフィティ中心のストリートアートはユースカルチャーであり、反逆や都市におけるノイズの象徴でもありました。一方でミューラルは、美術の新しいあり方として注目を集めています」
海外では、街の個性や魅力を伝えていくために、行政や自治体がローカルアーティストにミューラルを描いてもらう事例も存在するという。例えば、ベルリンにはオフィスにアートを描きたい企業とストリートアーティストをつなぐ「Book a Street Artist」というサービスが存在する。
国内外のストリートアートやミューラルシーンに詳しい大黒氏は今回、新虎通りの壁にミューラルを描くアーティストを集めた。
大黒「法律的な問題と接し続けるグラフィティシーンの一方で、日本では合法的に公共空間に絵を描くパフォーマンスアートとして、ライブペインティングのシーンが特に2000年代のアンダーグラウンドな現場で育ちました。僕もそれを身近に感じたり、仕掛けてきた一員として、このシーンを次のステージにあげて残るものにしたいという想いがあります。そこで、アーティストの創作活動に社会的意義を付与し、企業とマッチングしました」
「様々な人を巻き込みながら、このプロジェクトを進めたほうが面白い」そんな想いから、コンペを開催。森美術館の南條史生館長も参加した選考の結果、SAL氏とJONJON GREEN by Youta Matsuoka氏、2組のアーティストが選ばれた。
大黒「ライブペイントシーンの黎明期を作ってきた二人は、日本のミューラリストとして誇りをもって紹介できるアーティストです」
アートを描くプロセスを可視化することで、周囲の人々を巻き込んでいく
今回のプロジェクトでは、ミューラルを描く上で「いかに地域に関わる人を巻き込むか」の視点が重視された。新虎通りに巨大なアートが出現したことで、そのエリアに関わる人々が意図せずとも巻き込まれていった。
中「ミューラルを描いている様子が、新虎通りを歩いている人の目に自然と触れるんです。製作中にアーティストに話しかける方もいらっしゃって、少しずつでも地域に影響を与えている実感を覚えました」
Anchorstarのオフィスも、新虎通りも「プロセスを公開することが目的のひとつ」と大黒氏は説明する。
大黒「Anchorstarのオフィスで描いたアートも、結果的にオープン制作になりました。都市でも、オフィスの中でもプロセスを可視化することで、自然と人々が巻き込まれていくのが面白いですよね」
新虎通りのビルに描かれたミューラルの制作は、10月に約3週間かけて行われた。「もっと長い期間をかけて描くことで、そのパフォーマンスが見れる状態にしていても面白かったのではないか」と大黒氏は振り返る。
描き終わったタイミングでは、新虎通りでDJやアーティストを招いたイベントを開催した。普段の新虎通りには、周辺で働くビジネスパーソンが多い。だが、その日は違った。アーティストやDJなどの人々が新虎通りを訪れ、ビジネスパーソンも足を止めて彼らと交流する様子が見て取れたという。
新虎通りを「ミューラルストリート」へ。既存のルールを乗り越えていく挑戦
新虎通りのビルに壁画がひとつ描かれているだけでは、まだどこか寂しさも感じる。そんな率直な感想を投げかけてみると「地域の皆さんを巻き込みながら、ミューラルストリートをつくりたい」と今後の展望を教えてくれた。
中「通りに面した全てのビル壁にミューラルを描こうとしても、イメージが伝わらなければ説得するのは難しいです。まずは森ビルが所有するビルの壁に描く。それを見て、『TOKYO MURAL PROJECT』がやろうとしていることに共感し、自分たちも一緒にやりたいと、地元の皆さんに言っていただけるととても嬉しいです」
ミューラルが描かれたビルは、新虎通りでひときわ目を引く建物になっているのだから、ひと目見ただけでそのインパクトが伝わりやすい。他のビル壁にミューラルを描くために、ビルのオーナーなどとも交渉を進めていく予定だという。
実は、いま描かれているミューラルはあえて今後につながるような構図になっている。「TOKYO MURAL PROJECT」の想いに共感し、他のビル壁に“続き“を描けるよう、ミューラルが広がっていくような仕掛けが施されているのだ。
ビルの壁一面がアートになったミューラルストリートを実現するためには、超えなくてはならぬ課題が存在する。ミューラルはアートであっても、法律上は「屋外広告物」の扱いになる。そのため、今回は壁面の3割程度にしか描くことができなかった。キャンバスに半分も絵を描けなければ、アートのダイナミズムを伝えることは難しいだろう。
今回のプロジェクトを進めていく過程で、ミューラルを屋外広告物扱いにするのか、模様の扱いにするのか、葛藤があった。
中「『模様』という扱いにすれば広告扱いにはならないかもしれません。でもそれだと、誰が描いた作品かを外部に発信することができなくなってしまう。今回は屋外広告物のルールに則りながらも、制限の中でできる限り大きく壁を使い、ミューラルを描きました」
「ひとつの壁面に大きく描けるのが理想ですけれどね」と中氏は語りつつも、大黒氏はルールの難しさについても教えてくれた。
大黒「今回は決められたルールの中で最大限良いものをつくりました。でも、ルールが伝えたいこともわかります。たとえばコーラを飲んでいる人が壁に描かれていて、『それは絵画だ』と言われても、明らかにコーラの広告ですよね」
アートと広告の線引きは非常に難しい。だが、ルールに従うだけでは前進しない。いかにルールに働きかけるかが、新しい挑戦を進める上では重要になる。
井上「ルールを一度つくってしまうと、時代が変化するにつれてそぐわない部分も出てきます。『街を素敵な景観にしたい』といった想いは、私たちもルールをつくった方たちもきっと同じ。今回の事例でルールに働きかけ、変化を生み出せたら嬉しいですよね」
既存のルールを柔軟に解釈し、変えていこうと試みる重要性は、法律家・水野祐氏へのインタビューでも触れた。社会の様々な領域で、ルールをどう見つめ直すかは今後議論が進んでいくトピックだろう。
「虎ノ門は新しい挑戦に寛容な街」クリエイターを惹きつけ、次代の街にしたい
「ビル壁にアートを描く」という行為は、周辺住人を巻き込むだけではなく、外から人を呼び込む機能を果たす。ミューラルを通じて、どのようなメッセージを伝えようとしているのだろう。
大黒「『ビル壁に巨大なミューラルを描いてもいい』という寛容性が、新しいことに挑戦したいクリエイターを惹きつけると考えています。世界に対して『虎ノ門は新しい挑戦に寛容な街』というメッセージが伝わることで、様々なクリエイターが集まるのが理想ですよね」
虎ノ門というエリアも、クリエイターを惹きつけるのに十分な条件を持ち合わせている。井上氏が所属するAnchorstarが虎ノ門エリアにオフィスを構えることにした理由から、それがわかるだろう。
井上「私たちAnchorstarがオフィスを探している時に、虎ノ門エリアは『都心にある最後のフロンティアのようなエリア』だと感じました。六本木や丸の内などへのアクセスが非常に良いにも関わらず、賃料も比較的安く、大きな通りや公園があったり、高いビルが少ないので景色の広がりもある。これから時代を切り開いていきたいというパイオニア精神の強いスタートアップには、ぴったりの環境でした」
ブルックリンやベルリンなどの都市は地価が安いことが理由で様々なクリエイターが集い、発展していった歴史がある。虎ノ門エリアも同様の発展の仕方が期待できるかもしれない。そのためには、クリエイターがそこで自身のクリエイティビティを発揮するための「余白」が残されていることも重要だ。
大黒「単にミューラルを観て感動するだけではなく、『このエリアが面白いから自分も何か挑戦したい』と思ってほしい。虎ノ門エリアをエンターテインメントやサービスで埋め尽くすのではなく、プラットフォームをつくり、新しい挑戦ができる余白があることが大事なんです」
「他の街をトレースするのでは面白くない」と大黒氏は言葉を続ける。いま何が面白いのか、どんな人に集まって欲しいのか、そのようなビジョンを掲げながら開発される都市は、たしかに魅力的だ。
中「私たちは、虎ノ門を世界中のクリエイターやチャレンジが集まる次代の街にしたいと考えています。ミューラルはその象徴です。虎ノ門は面白いことに出会え、新しいチャレンジから、多様なコラボレーションが生まれる場だと、多くの人にワクワクしてもらいたいんです」
アートを活用して都市を盛り上げる。このアプローチは、森ビルに根付いた哲学とも言えるだろう。森ビルは六本木ヒルズを作る際に、「文化都心」というコンセプトを掲げた。その象徴として六本木ヒルズの最上階に森美術館をオープンした。
現在の森ビルを作り上げた故森稔氏は「経済だけで、文化がないような都市では、世界の人を惹きつけることはできない」と、その重要性を語っていた。森稔氏の亡き後も、文化や芸術を大切にし、都市の磁力を高めるという思想は森ビルの中で脈々と受け継がれている。
今回、虎ノ門エリアでは、Anchorstar、Makeshift、BnAのプロデュースにより、「ミューラル」というアートを活用したエリアアクティベーションへのチャレンジが始まった。クリエイティブコミュニティとの新しい関係性を築き始めたこのエリアは、今後世界中から様々なチャレンジを受け入れる、今までの東京にはなかったプラットフォームとして育っていく可能性を秘めている。