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かつては「一生安泰」といわれた大企業が倒産の危機を迎えることも珍しいことではなくなった。現代では、一生一つの企業に身を置いて働くことに価値を見出せなくなっている。
外部環境も変化し、副業奨励の機運が高まっている。さまざまな業界や企業を横断し、新たな価値を創造する“個の力”が重要視されるようになってきた。
画一的だった「働き方」が多様化する現代において、これから社会に飛び出す僕たちは「正解」となる選択肢を持っていない。だが、ヒントはある。色んな道を進んでいる先輩たちに、話を聞いていきたいと思う。
シタテル株式会社で広報を務める25歳、若尾真実さんは「心の底から楽しいと思える仕事を見つければ、おのずと人生は輝き出す」と語る。
若尾さんは慶応義塾大学を卒業後、新卒でPR会社に就職し、翌年創業3年目のスタートアップへと転職。自らの手で理想のキャリアを切り開く25歳の彼女に話を伺った。
「社会問題の一端を担っている」という恐怖感
若尾さんの仕事に対する考え方のルーツには、学生時代にソーシャルビジネス事業を立ち上げた経験がある。社会問題を解決しようと自らプロジェクトを立ち上げ、「ビジネスはソーシャルグッドな世界をもたらす手立てになる」と知った。
若尾「さまざまな社会問題を調べていくうちに、実は自分自身が知らないうちにその一端を担ってしまっていることに気がつきました。私が普段、当たり前に着ている服の中には、過酷な労働環境から生み出されているものがある。それまでは『世界のどこかで起こっているものだ』と他人事だった社会問題が、初めて自分事に感じた瞬間です」
問題意識を持ちながらも、自分の手ではどうしたらいいのかわからない社会問題。遠く離れた国で苦痛を強いられる“誰か”のことを考えると、いてもたってもいられなくなった。
「少しでもできることがあるなら」。忙しい学業の合間を縫い、社会人向けに開かれたソーシャルビジネスの講座に通うようになる。どうフェアトレードを持続可能なものにするかを考える日々を過ごした。
若尾「『フェアトレードをしましょう!』と訴えたところで、そもそもフェアトレードに興味がない人にその声は届きません。フェアトレードによって作られた商品を買うにしても、その商品自体に魅力があることが重要だと思ったんです。買う側にも、買ってもらう側にもインセンティブがあるからこそ、永続的な仕組みになります」
講座で出会った、ビジネスを通じて社会問題の解決に挑む大人たちを見て、素直に「かっこいい」と思ったそうだ。大人たちへの憧れもあり、講座を修了したのち、若尾さんはソーシャルビジネスを立ち上げる。
仲間を募り、バングラデシュにあるクリーンな労働環境の工場まで足を運び、直談判。トートバッグをチームで企画・デザインし、販売した。デザインが好きで買ったバッグが、社会問題を解決する一助になる。自分の行動が、社会に対して価値を生む感覚を購入者に肌で知ってほしかったからだ。
バッグは学生の間で話題となり、何度も追加生産を重ね、2年間で約2,000個を売り上げた(ブランドは現在も後輩に引き継がれ5年目を迎える)。しかし同時に、1ブランドとしての限界も感じた。たしかに商品は売れるし、街中で自分がデザインしたバッグを身につけた人を見かけることもあった。それでも、少人数から成る小さな組織で世界を変えるほどの波及効果を生み出すことには限界があった。
若尾さんは、自分たちの手で直接商品を届けるのではなく、商品が流布する仕組みを作ることこそが問題解決において肝要だと考えた。売れる商品を生み出す企画力、商品の良さを伝える編集力があれば、社会にムーブメントを起こすことができるのではないかーー。
人を巻き込み、価値ある取り組みを永続させるために、PR会社を就職先に選んだ。ターゲットに対して確実に価値を届けることこそが、学生時代に感じた、商品を多くの人に届けられなかった「力不足」を克服する最善の一手になると判断したからだ。
形のない価値に名前をつけたい。自分でハンドルを握れるベンチャーを選んだ
若尾さんは、PR会社での業務を「想像以上に形のない仕事だった」と振り返った。学生時代はバッグをつくることを生業としていたが、PRの仕事は形のない「企画」を売る。目に見えない価値を提案する力が求められた。
若尾「入社して間もなく、ベンチャーから大企業まで複数のクライアントを担当させていただきました。それぞれ仕事の進め方も、求められることも違う環境で、自分の企画力だけで勝負する難しさとやりがいを感じていましたね」
無形の情報から答えを生み出す「PR」は、ロジカルさとユニークさが求められる難しい仕事だ。しかし、「聞き上手でいて、企画を生み出すことが好き」な若尾さんにとって、PRはまさに“天職”ともいうべきものだった。
また、一社に勤めながら複数のクライアントと働けることも「多様な価値観に触れる貴重な機会だった」と語る。
「PRを軸に、答えのない問いを突き詰めたい」。次第に、おぼろげだった価値観が研ぎ澄まされ、輪郭がはっきりしていった。
若尾「ベンチャーの働き方と大企業の働き方に触れ、私はベンチャーに向いていると感じました。大企業との仕事は、すでにニーズが顕在化した市場に対して競争力のある企画を作ることが大半でした。しかしベンチャーがクライアントの際は、ニーズが顕在化しつつある市場の中で、まだ形のない価値に名前をつけ、世の中に送り出す編集力が求められます。ニーズが語り尽くされていない分野で、散らばった情報を集め、自分の手で編んで届けることに魅力を感じたんです」
まだ世の中に評価の定まらない価値は、名前を得ると同時に、水を得た魚のように輝きを放つ。たとえば「イクメン」という言葉がある。日本では「男性は仕事、女性は家庭」といった根拠のない風潮が蔓延っていた。仕事をしないで家庭にいる男性を「情けない」とする人も多かったことだろう。
しかしながら、社会情勢は刻々と変化していく。女性の社会進出が以前に増して求められるようになり、役割を固定的に分けるのではなく、夫婦ともに働きながら家庭の時間を分かち合うことが必然になった。そうした時代背景のなかに「イクメン」という言葉が生み出されると、家庭に時間をかける男性が魅力的に映るように変化していった。
彼女の中で本当にやりたいことが形になりつつある最中、転機が訪れる。
若尾「前職時代に仕事関係で知り合ったシタテルの事業内容に興味を持ちました。シタテルは、服を縫う人、デザインする人、着る人を近づける仕組みを構築しています。私が学生時代に思い描いたビジョンと重なりました。学生時代に思い描いた、必要なものが、必要な人に、必要な数だけ流通する世界を、実現できるのではないかと思ったのです」
「ベンチャー」とは、「冒険」を意味する言葉だ。まだ世にない価値を想像する旅を通じ、新たな文化を創る仕事だともいえるだろう。ましてや、学生時代の活動がリンクするファッション業界での仕事。決断をためらう理由はない、はずだった。
「自分をアップデートし続けたい」。常識よりも、自分を信じた理由
若尾「シタテルからオファーをいただいたときに、『まだ、今の仕事をやりきれていないんじゃないか?』と悩みました。『とりあえず3年』なんて言葉もあるくらいですし、不安がなかったといえば嘘になります。ただ、3年という時間には根拠があるわけではない。挑戦したいステージが目の前にあるのに、先延ばしにする理由はありませんでした」
若尾さんは今、未知なるワークウェアの可能性を導く仕事をしている。企業に属さず生計を立てるフリーランスや複数の企業を股にかけて働く複業家が増え、企業は深刻なリソース不足に悩まされている。ましてや、日本は人口減少が深刻だ。
そうした時代において、「働く」をアップデートする機運が高まっている。シタテルは共通のチームウェアをつくることで、この問題に立ち向かう。働く人の身体に寄り添う「服」に焦点を当て、ワークウェアをデザインすることでチームのあり方を定義する、未知への挑戦だ。
若尾「衣類から働き方をアップデートする取り組みは、まだ世の中で見出されていない価値のひとつです。メンバー間のコミュニケーションが円滑になり、モチベーションが高まることも、浸透しているとは言い難い。ただ、だからこそやる意義があるんです」
若尾さんの名刺の肩書きは、「企画/PR」。企業に属しながらも、職種にとらわれずに幅広く仕事を手がけているそうだ。就職するまでも、転職するまでも、転職してからも、常に自分の価値観をアップデートしながら働いている。
人生に「模範解答」は存在しない。心のコンパスが指す方向に進めばいい
働き方が多様になっているとはいえ、会社員であれば週に5日間出社することがあくまで通例だ。人生の大半は、仕事によって形成される。だからこそ、働くことが有意義であるに越したことはない。
人によって働くことの何に価値を見出すのかは異なるため、100人100通りの仕事が存在するはずだ。それにもかかわらず、人は誰かの仕事にとやかく口を出す。見栄や世間体など、個人の幸せに紐付かない陳腐な思想が邪魔をする。
しかし、自分の幸せの価値が何かを知る人は変化を恐れない。自らの人生に変化を起こし、選んだ道を自分の正解にしていくことができる。
若尾「私の選んだ働き方が正解なのかは分かりません。ただ、胸を張って充実した人生だということはできます。周りには『つまらない』『やめたい』とネガティブな発言をしながら働く人が多くいます。ただ、働くことは生きることと同義。それなら、私は楽しく働ける方がいいと思っています」
若尾さんが言うように、働くことは人生とイコールの関係にある。もしかすると、働き方に悔いを残すことは、人生の充実を左右してしまう一因になりかねない。「とりあえず3年」、「安定」、そうした世間体に自分の信念が曲げられるようでは、欲しい未来を手にすることは難しい。
若尾「肩書きや地位に固執するのではなく、自分が求めるやりがいが何なのかはいつも考えておきたいですよね。“今の仕事をどのようにして楽しむか”という視点も大事ですし、“自分が心の底から楽しいと思える仕事にたどり着く努力”も重要だと思っています。それは、副業でも趣味の延長でもいいですし、年々変わっていってもいい」
最後に「どうしたら、自分にとって最適な仕事に出会えるのでしょう?」と問いかけると、若尾さんはこう答えてくれた。
若尾「今の私があるのは、18歳の頃に勇気を出してフェアトレード講座に参加したからです。きっかけはなんであれ、興味のあることに足を運ぶ、外に出てみる機会を持つことが大切だと思います」
人生における選択肢に「模範解答」は存在しないが、ふとしたことから道を拓くことはできるし、自分の力で正解を導くこともできる。心の声に耳を傾け、素直に従うことで、誰の価値観にも左右されない自分だけの充実した働き方ができるのではないだろうか。
人はいつか死ぬ。それは50年後かもしれないし、明日突然やってくるかもしれない。悔いを残す人生ほど、悲しいものはない。だったら、悔いのない生き方を選びたい。