今ではすっかりおなじみの「CEO」という言葉は、1971年に初めて米国のビジネス誌「Harvard Business Review」に登場した。それ以来CFO(チーフ・ファイナンシャル・オフィサー)やCTO(チーフ・テクノロジー・オフィサー)、CIO(チーフ・イノベーション・オフィサー)など、チーフが頭に付く役職は増え続けている。
米国では「C-suite」と呼ばれるこうした役職は、ビジネスにおいて重要視されるスキルの変遷も反映してきた。1990年代初頭にはブランド力を強化しようとする企業がCMO(チーフ・マーケティング・オフィサー)をこぞって設置し、数年前にデザイン思考が話題になると、CDO(チーフ・デザイン・オフィサー)の採用が盛んになった。
そして近年注目を集めているのが、Chief Storytelling Officer(チーフ・ストーリーテリング・オフィサー)あるいはChief Storyteller(チーフ・ストーリーテラー)と呼ばれる役割だ。
組織のストーリーを集めて伝えるチーフストーリーテラーとは?
チーフ・ストーリーテリング・オフィサー、チーフ・ストーリーテラーは、組織のストーリーを社内外に発信する役割を担う。彼らが伝えるストーリーは社内の人物やプロジェクト、組織の歴史など多岐に渡る。
NIKEは他社に先駆けて1990年代から社内にチーフ・ストーリーテラーを設けている。経営層から店舗で働く従業員まで、ストーリーを通じて自社のカルチャーを浸透させるのが役割だという。
1999年のインタビューにおいて、当時のチーフ・ストーリーテラーNelson Farris氏は次のように語っていた。
「我々が伝えるのは途方もないビジネスプランや金融操作でもない。仕事をこなす人々がストーリーの中心だ(筆者訳)」
具体例として挙げられたのは、共同設立者Bill Bowerman氏がワッフル焼き機にゴムを流し込みNIKE特有のワッフルソールを開発したストーリーだ。このストーリーを通して、ワッフルソールの機能や由来だけでなく、Bowerman氏の「イノベーションを生む精神」を理解できるという。
Microsoftやデトロイト市も。フルタイム雇用で書き綴る
Microsoftでは、2010年よりSteve Clayton氏がチーフ・ストーリーテラーを務めている。彼は大学でコンピューターサイエンスを学んだ後、Microsoftで技術営業として働き始めた。
元々物書きに憧れていたClayton氏は、社内の些細な出来事を自身のブログで綴っていたところ、社内コミュニケーションの部署からフルタイムでの役職を提案された。
チーフ・ストーリーテラーとなった後、Clayton氏は社内の従業員やパートナー社員、サプライヤーが自身の物語を綴るウェブサイトを設立。現在もサイト上には社員紹介のみならず、Microsoftの携わるプロジェクトの解説や最新技術をアニメで表現した動画など、多彩なコンテンツが用意されている。
Clayton氏はストーリーテラーの役割について「私たちが何者で、何をしていて、なぜ存在しているのかを伝えるために必要なストーリーをかき集めてくること」だと定義した。
(TEDxLiverpoolにてチーフ・ストーリーテラーとしてのキャリアを振り返るClayton氏)
先日はデトロイト市がチーフ・ストーリーテラーを雇用して話題を呼んでいる。自治体初のチーフ・ストーリーテラーとなったのはアフリカン系アメリカ人のジャーナリストAaron Foley氏だ。
伝統的なメディアに登場しない「デトロイトの多様性を伝えたい」と語るFoley氏は、就任後すぐにウェブサイト「The Neighborhoods」を開設。1日1本のペースで更新される記事では、洗車業を営む家族や61歳のスイマー、往年のローラースケート場など、街に暮らす人々の日常が語られている。
近年デトロイトでは白人の移住者が増加しており、Foley氏は米国内で移住に関するニュースばかりが取り上げられる現状に不満を抱いていた。彼はデトロイト固有のカルチャーを描き出すべき理由を次のように説明する。
「誰もが自分の近所について知っていると思い込んでいる。けれど、近所はますます膨らんでいるし、定義があまりにも広すぎる。それぞれの特徴が混ざり合うことで、そこにあるはずのストーリーが失われてしまう(筆者訳)」
なぜ今ストーリーテリングが求められるのか?
世界的に著名なパキスタン人作家Mohsin Hamid氏は、イギリスに本社を置くコンサルティング企業ウルフ・オリンズ社でチーフ・ストーリーテラーとして勤務している。作家として培ったストーリーを構築する手法を元に、社内外でストーリーテリングのコンサルティングを実施してきた。
Hamid氏はストーリーテリングを「私たちが世界を捉える基礎」と位置づけ、小説家だけでなくCEOやビジネスリーダーにもストーリーを語る力が求められると指摘する。
「Nelson Mandela(ネルソン・マンデラ)はアパルトヘイト後のアフリカのストーリーを説得力を持って伝えられたからこそ、変化を巻き起こした。John F. Kennedy(ジョン・F・ケネディー)も人類が月に辿り着くストーリーを描き、人々にインスピレーションを与えた。過去の多大な功績は全てストーリーが起点になっている(筆者訳)」
同社の実施した調査によると、多数のCEOが社外よりも社内にストーリーを伝えることに困難を感じているという。Hamid氏もCEOが個々の社員と密にコミュニケーションを取る時間的な難しさを認めながらも、クリエイティブな若手人材を惹きつけ、イノベーションを生むには「ただ命令するのではなくストーリーテリングが不可欠」と強調する。
(米国の人気番組「Late Night with Seth Meyers」に出演したMohsin Hamid氏)
以前の記事で取り上げたPwCの調査では、ミレニアル世代は仕事を選ぶ際に「自分たちの仕事が社会にとって意義があるか」を重視する傾向も明らかになっている。
今後イノベーションを生む強い組織を作るためには、メンバーが共感できる固有のストーリーをいかに共有できるかが鍵になっていくだろう。
日本においてはオウンドメディアの設立が相次ぐなか、事業会社内で編集者として働く人材も出てきている。彼らのような「インハウス・エディター」の活躍に加えて、今後はチーフ・ストーリーテラーという肩書きを目にする日も近いかもしれない。
img : The Neighborhoods