昨年ポートランドを訪れた際、スーパーに並ぶクラフトビールの多さに驚いた。様々なラベルと味のビールが、日本のコンビニのドリンクコーナーぐらいの広さの棚に並んでいる。
1週間ほどの滞在では、毎日飲み比べてもとてもじゃないが全種類制覇できない。街にはビールのブリュワリー(醸造所)がいくつもあるし、クラフトビールのお店には平日の昼間でもたくさんの人が集い、ワイワイとビールを飲んでいた。ビールをとりまく環境がポジティブで、なんだか、とても豊かな景色だなぁと感じたことをよく覚えている。
日本でも成長するクラフトビール市場
最近は、日本でもクラフトビールが話題だ。クラフトビール事業者だけでなく、大手も市場に参入してきたことで、一般消費者もビールの多様性を認識し始めているだろう。
日本のクラフトビール市場を牽引してきたプレイヤーといえば、ヤッホーブルーイングが思い浮かぶ。ヤッホーブルーイングは、個性豊かな味わいを日本のビールにもたらし、ミレニアル世代の支持を獲得してきた。
ヤッホーブルーイングのマーケティング、ブランディングはどのように展開されているのだろうか。今回、同社のマーケティングディレクターである稲垣 聡さんに取材した。
日本のビールマーケットの歴史と未来、20周年の節目に初めてリニューアルされた 「よなよなエール」、そしてビールから見たミレニアル世代の分析などをじっくり話してもらった。
日本で「クラフトビール」が生まれる前、1990年代には「地ビール」ブームが起きていた。
ヤッホーブルーイングは、画一的な味しかなかった日本のビール市場にバラエティを提供し、新たなビール文化を創出することをミッションにしたクラフトビールメーカーだ。
20年前からつくり続けている「よなよなエール」を主力製品とし、若い女性に向けにした「水曜日のネコ」、苦味が強烈な個性派ビール 「インドの青鬼」など、小規模な醸造所がつくる、多様で個性的な”クラフトビール”を日本全国に届けている。
日本で「クラフトビール」という言葉が知られる前、1990年代には「地ビール」ブームが起きていた。かつて、ビールの製造免許をとるのに必要な最低製造量が年間2,000KLと決まっており、大規模に製造できる大手しか参入できなかったビール産業。1994年の酒税改正により、清酒と同じ60KLにまで引き下げられたことから全国で町おこしとして地ビールがつくられた。地ビールブームの90年代と今のクラフトビールの状況は何が違うのだろうか。
稲垣「1990年代後半、地ビールブームがありました。珍しいビールやご当地のビールが増えて、日本全国にブリュワリーができましたが、当時はただの”お土産”でした。温泉宿で売ってみたり、自治体が第三セクターと造ってみたり。一方、今のクラフトビールは日常的に選べて買える飲み物です。つまり、お土産としてめったに買えないものから日常の飲み物に変化したわけです」
造り手の舌が肥えているわけでもなければ、本格的な研修や修行を経てつくられたものでもない、有象無象の地ビールが日本全国に溢れた。真剣にビールづくりに励んでいた会社も巻き込み大きな話題となったが、程なくしてブームは終わり、多様なビールは衰退した。
2000年代に入り、アメリカではクラフトビールが人気を集めるようになった。日本では地ビールブームのあとも製造を続けた数少ないメーカーが、少しずつ今のクラフトビールマーケットの下地を作り続けた。
その数少ないメーカーの一社が、ヤッホーブルーイングだ。ビールが売れずに苦難の日々が続いたが、Eコマースに注力したことで売上を伸ばすことに成功する。その経緯は井手社長の著書に書いてあるので、詳しい説明は書籍に譲るが、その頃から少しずつクラフトビールが受け入れられる土壌が出来上がっていった。
稲垣「日本にクラフトビールという言葉が入ってきたのは2009年ごろ。2011年ごろには、クラフトビールを専門に提供する飲食店が増え始めました。飲食業界は常に新しい商材を探してるので、うまくマッチしたんです」
コモディティ化から抜け出したクラフトビール
ビールの品質を磨き、Eコマースの活用や地道な販売活動を続け、苦難の時代を生き残った会社が今のクラフトビールマーケットの下地をつくり、飲食店が知名度の向上や、クラフトビールを飲む体験の提供を行った。そして、消費者のニーズの変化もクラフトビールを受け入れる土壌を整えた。
稲垣「今の日本のビールはコモディティ化されすぎて、話のネタにならないんです。友達と昨日飲んだビールについて会話したりしないでしょう?でも、クラフトビールはいろいろな種類のものや醸造所があって、珍しいビールを飲んだら話したくなる。今の社会は、話のネタになるようなものづくりが求められています」
なるほど、と感じた。クラフトビールはおいしいだけでなく、楽しいのだ。飲み比べて楽しく、人と話して楽しく、酔いもあってさらに楽しい。戦後、ありとあらゆる製品が、多様化、個性化、細分化の道を辿ってきたのに対し、ビールは多様化しなかった。
大手が独占的に、しかも画一的なビールをつくってきたし、国も小さな会社にビールを造らせてこなかった。飲んだときに新しい発見があって、つい人に伝えたくなるクラフトビールは、ミレニアル世代の新しいものを求めるマインドに刺さったのだろう。
稲垣「細分化が進んであらゆる手法がやり尽くされている市場と違って、ビール業界は新しさが分かりやすく、目立つこともそんなに難しくないんです」
長さ・深さ・驚きを、リアルなコミュニケーションを通じて提供。熱狂的なファンを育てる
地ビールブームのあと、頑張り続けられた会社は多くない。苦しい時代を生き抜いてきたヤッホーブルーイングは、大手には持ち得ないユニークなマーケティング手法と身軽さを活かし、今では日本のビール業界でひときわ目立つ存在となった。
そのヒミツのテクニックを少しだけ教えてもらおうと、ファンの中でもさらにコアなファンである “熱狂的なファン” を増やしていくための施策を聞いた。
稲垣「まずは “長さ” です。短期的に飲んでもらうのではなく、リピートしてずっと飲み続けていただく。忘れがたい楽しい思いを体験してもらう”深さ”も大切です。そして、その長さと深さと、常識をひっくり返すような”驚き”。この3つをface to faceで伝えていきます。どんな人がつくって働いているのか、どんな会社なのかが分かるし、私たちからすればどんな人達が飲んでいるのか、どんな場面で、どんなことを思いながら飲んでいるかが見えてくる。ファンを超えた熱狂的なファンになって、私たちを支えてくれています」
ファンとヤッホーの間に生まれた親近感、ファンとファンの間に生まれた連帯感、それがファンを超えた熱狂的なファンを作っていく。
ヤッホーブルーイングは、年間契約などのロイヤルティの高いファンとスタッフが集まる飲み会イベント「宴」を不定期で開催している。「宴」の進化版として、北軽井沢のキャンプ場にて開催している野外ファンイベント「超宴」は、熱狂的なファンを生み出す仕掛けのひとつだ。
ほぼすべての運営を同社のスタッフが担当し、入場券にビール引換券をつけて、ライブはもちろん、ビールにちなんだワークショップや学びの場をつくり、1泊2日をかけてじっくりコミュニケーションをはかる。
稲垣「人と人とのコミュニケーションによって、お互いを身近に感じるし、共感も生まれる。仲間ができて、参加者の心には特別な思い出が残ります。テレビCMを打つよりはお金がかからない代わりに、すごく手間がかかるんです。お金と手間、どちらを取るかという話ではあるんですが、手間をかけるほうが差別化できていると思います。SNS時代にも合っていますしね」
この他、超宴の東京開催や、同社スタッフが案内する醸造所見学ツアーなど、手間のかかるイベントを開催している。
ブランドが大きくなっても、ファンとの相互理解があれば離れていかない
こうしたファンとの親密な関係がある一方、少しひっかかるニュースもある。2014年のキリンビールとの資本業務提携や、銀河高原ビールの譲受などだ。熱狂的なファンであればあるほど、 自分の好きなインディーズのバンドがメジャーに行ってしまうような寂しさを感じるのではないだろうか。
稲垣「相互理解が大事だと思うんですよ。日本にバラエティのあるビール文化を築くというビジョンは、常にお客さまに伝えています。そのためにもっと多くのお客様に製品を届けなけられるようにならなければいけない。もちろん尖っていることは大事にします。日本のクラフトビールで一番おいしいと思ってもらえるようなクオリティは絶対に維持する。『クラフトビールと言えば、これ』というような本質的な味にはこだわります。でも、どこを目指すかというのは、また別の話です。お互いに理解しあって、前に進もうということ」
確かに、はじめから「僕らはメジャーを目指します!」と宣言していれば、素直に応援したくなる。でも、どうしても自分だけのヒミツにしておきたかったというある種の独占欲は芽生えてしまうのだけど(笑)、それはクラフトビールの未来ためにグッとこらえることにしよう。
質にこだわりながら成長を目指す。以前AMPで取材したブルーボトルコーヒーも、同様のスタンスで事業に取り組んでいた。ネスレに買収されたことは、決してネガティブな影響を与えるものではなかった。
クラフトビールを代表し、マーケットを押し広げる
今回話題になっている「よなよなエール」のリニューアルも、味を大きく変えて大衆に迎合するのではなく、愛してくれているファンの方向を向き、その味をクラフトビールらしくアップデートしたものだ。
よなよなエールを造り続けてきた20年間で進化した技術と設備を総動員し、20年前には実現できなかった理想のよなよなエールに近づけることができたという。
稲垣「日本で一般的なラガービールしか飲んだことがない人にとっては決して飲みなれたビールとは言えませんが 『これがクラフトビールだ』 と言えるものを造りました。本格的なクラフトビールを世に出して、クラフトビールの世界をもっともっと広げるのが私たちの役目です」
自分たちで理想を求めると同時に、お客様へのヒアリングも行い、よなよなエールらしさのすり合わせも行っている。
稲垣「例えばホップの香りの出し方にしても、こうすればもっといい香りが出るという技術を様々なビールを開発していく過程で生み出しています。それを20年間大きなリニューアルをしなかった、よなよなエールにフィードバックしました。原材料はほとんど変更していませんが、量や配分の変更を行いました。熱狂的なファンのみなさんにも、良くなったねと言ってもらえるような正統進化です」
ミレニアル世代は、ジェンダーレス
味やデザインのリニューアルを経ても、よなよなエールのペルソナ像は変わらない。40歳前後の「知的な変わりもの」の男性。人とは違う趣味や価値観持った知的な方に向けた製品だ。その方針は変えていないが、最近は30代前半、つまりミレニアル世代のファンが増えてきたという。
同社のビールの中にも、ミレニアル世代をターゲットにしたものがある。「僕ビール、君ビール。」というビールは、30代前後の男性に向けて発売されて、大ヒットとなった。
稲垣「とにかくいままでのビールっぽくならないようにしたんです。ターゲットへのヒアリングの結果、ビールは嫌いじゃないけど、自分たちの世代の飲み物じゃないと感じていることがわかりました。ちょっとやさぐれた親父が飲むイメージが強いと。だから、既存のビールの概念からかけ離れた、ぶっ飛んだものをつくりました」
パッケージのカエルのイラストに行き着く話は、ミレニアル世代をよく表している。
稲垣「この世代はジェンダーレス化が進んでいると思いました。男性でも可愛くて親しみのあるキャラクターを好む傾向があります。我々の世代で男性が好むキャラクターといえば、かっこいい系なんですよ。アメコミとか、スターウォーズとか。でも、そうじゃなかった。昔からある男性らしさ・女性らしさを取っ払うのだけど、可愛くなりすぎないようにパッケージをデザインしました」
綿密な計画のもと発売されたこのビールは、3ヶ月の期間限定として発売されたにも関わらず、あまりにも売れすぎて1ヶ月で在庫がゼロになった。再発売を望む声を受けて1年後にもう1度発売し、これもすぐに売り切れ。この人気を受けて、レギュラーの製品となった。ローソンにおいては、並み居る大手のビールを押さえて、ほぼ全店舗に必ず棚に入る「基本商品」のひとつに選ばれた。
流行を文化にするには、コアなファン・アクセシビリティ・継続的なエンゲージメント
「僕ビール、君ビール。」のエピソードでも分かるように、若者のビール離れが進む日本において、クラフトビールは大きなチャンスだ。大手ビールメーカーも乗り遅れまいと次々に参入してきた。
だからこそ、広まりつつあるクラフトビールは、地ビールの二の舞いになってはいけない。今の流行りを文化にして、持続的にマーケットを育てていくために必要なことはなんだろうか。
稲垣「1つはジャンルに詳しいコアなファンがいることでしょう。趣味として自発的にやっているような人たちです。彼らにとっては流行りであることは関係がありません。趣味ですから。さらに、実際に買えたり体験できたりする場所が身近にあるかどうか。価格帯なども含めた、アクセシビリティの良さも重要です。コアなファンがいて、アクセシビリティが良ければ、世の中に広がり、定着しやすくなるはずです」
流行り物に夢中になった人が詳しい人になるために、ハードルを下げて、趣味にしやすくしてあげる導線が用意できると、スパイラルが勢いよくまわりはじめる。
稲垣「あとは繋がったファンとのエンゲージメントを保ち続けることでしょうね。そうすればまた、波がきます。ワインブームなんて十数年に1回ペースで来ますが、愛好者がたくさんいて、継続的にワインを愛し続けているからでしょう」
生活を豊かにするクラフトビールは、コミュニティも豊かにする
ヤッホーブルーイングをはじめとする規模の小さなブリュワリーが、様々なクラフトビールを生み出したお陰で、日本のビールは多様化・細分化し、日常的に飲める状況が整いつつある。
クラフトビールの未来を明るくする法改正も予定されている。ビール系飲料に関する酒税一本化とビールの定義の見直しだ。現在の法律だと副原料として定められている規定外の原材料を使用したクラフトビールは、酒税はビールと同じ(麦芽比率がビールと同等の場合)なのに、ビールとは定義されずに多くの場合、発泡酒と表記されている。だが、酒税の改正による定義の見直しにより、正真正銘のビールであると表記ができる。ビールの多様化に、国の制度がやっと追いついた形だ。
稲垣「これまでの日本にはおいしいビールを飲んで元気になるって発想があまりなかったと思うんですね。どちらかというと、疲れた毎日をビールを飲んで忘れようという飲まれ方が強い。そうじゃなくて、おいしい料理を楽しむのと同じように、おいしいビールを飲むこと自体を楽しむという意識になるのではないかと思います」
造り手の思いが伝わる”クラフト” ビールには、バックグラウンドがあり、ミレニアル世代の購入志向とマッチする。既存の商品に対抗し、造り手の顔が見えるような製品づくりを進めることは他の業態にも応用が効くだろう。
例えば、大量生産されたチョコレートに対抗する「Bean to Barチョコレート」というものがある。クラフトビールと同じく小規模な店舗で多様な味わいのチョコレートが生産されていたが、最近では大手企業も参入してきた。
すでにある業態やコミュニティにクラフトビールを加えるという手もあるだろう。横浜DeNAベイスターズは、野球観戦のお供にオリジナルのクラフトビールを提案した。
ポートランドで感じた豊かさは、ビールの多様さだけではなく、飲んでいる人の表情や会話からも見て取れた。複数のビールを飲み比べてあぁだこうだ言ったり、お店の人に好みを伝えてオススメを聞いたりしている。
何かを忘れるためだったり、酔っ払うためだけに飲むビールとは、異なる存在価値がある。法改正の後押しもあり、来年にかけてクラフトビールの勢いはさらに増していくのではないだろうか。
Photographer : Hajime Kato