「文化はなぜ必要なのか」と人に問うたら、様々な答えが返ってくるだろう。間違いなく、私たちの日常に影響を与えている一方で、自分にとっての文化の意味付けを行うことは難しい。
文化や芸術が持つ価値を非常によく言い表しているように思えるのは、元は音楽ジャーナリストであり、Kickstarterの創業者であるヤンシー・ストリックラー氏のこの言葉だ。
「クリエイティビティは、現状をポジティブに破壊できる唯一のもの」– (CINRA.NETのインタビューにて)
クリエイティビティは現状を変える力があり、文化には人の創造性を刺激する力がある。そう信じて活動しているのがクリエイティブやカルチャーをテーマに事業を展開するCINRA, Inc 代表取締役 杉浦太一氏だ。
カルチャーWebメディアの代表格「CINRA.NET」に始まり、様々な事業を展開する中で、カルチャーやクリエイティブの価値をどう見据えているのか。文化をビジネスにしていく中で、どのような苦労があったのか。
「文化や芸術の役割は救済と知覚の拡張にある」と語る杉浦氏の人生と、CINRAの挑戦を振り返る。
- 杉浦太一
- 株式会社CINRA 代表取締役
- 1982年東京生まれ。2003年大学在学時にCINRAを始動し、2006年に同団体を株式会社に。アートや音楽などのカルチャーメディア『CINRA.NET』の運営や、シンガポールやタイ、台湾などアジアを中心とした多言語クリエイティブシティガイド『HereNow』など、多数の自社メディアを運営。また、経済産業省、観光庁、福岡市、瀬戸内DMOなどの官公庁や自治体のほか、資生堂、森ビル、JALなど民間企業のブランディングやデジタルマーケティングに従事。2013年、シンガポール支店設立。2016年7月、博報堂グループのインバウンド専門会社「株式会社wondertrunk&co」と資本業務提携を行い、社外取締役CTOを兼任。
茨城で大学生活を送る“焦燥感”が自分を突き動かした
「この退屈な現状は、自分で行動を起こさなければ何も変えられないと思った」
大学時代、杉浦氏は退屈に喘いでいた。「新しい何かを生み出すクリエイターになりたい」そんな想いでのめり込んでいたバンドが解散してからは、ぽっかりと時間が空いてしまっていた。
杉浦「大学があまりに田舎で、毎日がつまらなかったんです。毎日が充実していないからこそ、自分で行動しなければ環境を変えられないと思いました。もし東京の大学に通っていたら、満たされてしまって、いまのCINRAはないかもしれません」
何かしたい、何に取り組むべきかと焦燥感を持って考えた末、杉浦氏が立ち上げたのが、CINRAだった。
杉浦「音楽を本気でやろう。そう思って、大学を休学しました。でも、音楽性の違いで意見が合わなくなり『俺ら友だちでいたほうが楽しいよね』とバンドを辞めて、友だちに戻りました。『クリエイターになりたい』とずっと考えてきた自分が、その価値を伝えていく媒介の立場も面白いんじゃないかと思った最初の瞬間でした」
杉浦氏が立ち上げた『CINRA』は、音楽に限らず、政治や科学、宗教などの様々な分野に関して情報発信をするポータルサイト。大学で様々な専門分野を持つ学生を巻き込みながら、情報発信を行っていた。
同時に、定期的に集まり、議論する場『CINRA SALON』も設けた。場に参加することで、普段自分が触れることのない知識を得られる楽しさがあったという。
杉浦「僕が大学生の時に、アメリカで9.11のテロが起きました。それまでの人生で築いてきた価値観が揺らいだ瞬間。その時に、漠然と自分が今まで受けていた教育では、これからの時代に太刀打ちできないのではないか、と感じたんです」
この先、時代はどうなるのか。その問いを持ち、社会に投げかけている活動の力を借りよう、そう杉浦氏は考えた。「芸術や学術の力を借りて、生きていくための知恵を身につける必要があると思ったんです」と、当時のことを振り返る。
CINRAに集まる人の規模は徐々に拡大する一方、扱うテーマはカルチャーやクリエイティブの分野に絞られていった。大学生の活動ではあったが、杉浦氏は単なるサークル活動で終わらせるつもりはなかった。社会との接点を持つ。杉浦氏が立ち上げ当初から重視していたことだ。
杉浦「学生の頃に今のCINRAの状況を予測していたわけではないですが、ビジネスとして成り立たせたいという意識は最初からありました。はじめはメディアだけではまったくお金にならないので、収益をあげるための方法として、Web制作の仕事も請け負うようになっていきました」
情報発信と議論の場として始まったCINRAが、一歩今の形に近づいた瞬間だった。
バンドとプロジェクトの仲間集め
新たな挑戦をするためには、仲間が必要だ。バンドも、CINRAも、杉浦氏はどのように仲間を集めていったのだろう。
杉浦「どちらも、最初は友だちからスタートしました。バンドは一緒に楽しめることが大切でした。でも、CINRAは一緒にビジネスを大きくして、夢を叶えたいと思ってくれる仲間を探したんです」
最初は他愛ないことを話す友だち同士でも、何かに真剣に取り組めば衝突も生まれる。杉浦氏にとってバンドは友だちの延長線上だったからこそ、真剣にコミュニケーションを取り、一緒に取り組むことが徐々に辛くなってしまった。
だが、CINRAは違った。友だちであっても、「一緒にCINRAを大きくしないか」と声をかける段階で、大きなビジョンを共有し、真剣に取り組める人に声をかけた。現在、CINRAの取締役を務める柏井万作氏は、その一人だ。杉浦氏と小学校から高校まで同じ学校に通っていた同氏は、CINRA開始当初のコアメンバーの一人としてCINRAに参加した。
黒字化できなければ「CINRA.NET」を閉じる決断をした
「CINRA」は、大学生を中心に50人規模のコミュニティに成長。杉浦氏自身もデザインやコーディングの仕事で収入を得られるようになっていた。
だが、卒業が近づくに連れて選択を迫られる。一度就職するのか、それともこのまま起業するのか。「大学生」という身分が保障されている間は、何事にも挑戦しやすい。時間はあるし、背負うリスクも少ない。だが、卒業すれば状況は変わる。
杉浦氏が選んだのは、起業という選択だった。ちょうど、会社法が改正され、起業しやすくなっていたことも杉浦氏の背中を押したとはいえ、大学卒業後にいきなり起業という決断ができる人は少ない。杉浦氏はどう決断したのだろう。
杉浦「新卒は色んなチャンスがあるタイミング。就職するか、CINRAにそのまま全力投球するか。迷いましたが、CINRAの事業には今しか取り組めないと思ったんです。もし失敗しても、就職すればいい。CINRAを道半ばで諦めて就職したところで「どうせいつか起業するから」と言い訳して、仕事に本気で取り組めない気がしていました」
起業は決断したが、「CINRA.NET」は黒字化への道はまだ見えていなかった。Web制作などの仕事を請け負い、会社としての収益は出ていた。自社事業と受託制作の2つがある中で、大学卒業のタイミングから「CINRA.NET」のコンテンツは全て柏井万作氏が担当。杉浦氏は主に受託の仕事を担当するという役割分担を行った。
杉浦「柏井になら安心して『CINRA.NET』を任せられる。そう思い、僕はコンテンツ制作には関わらない決断をしました。当時はメディア事業で1円も稼げていなかった。ですが、続けていくためにはお金が必要でした。だからこそ自分が取り組むべきは、受託制作でお金を稼いでくることだと思ったんです。泥仕事は自分が、的なかっこいい響きがするかもしれませんが、全然そんなことはなくて。受託は受託で、知らない世界が知れて、頑張れば頑張った分だけ対価を得られるから楽しかったというのもありますね」
起業して2〜3年が経とうとしても、「CINRA.NET」単体での黒字化は達成できなかった。歳を重ね、ライフステージが変われば、今の給料のままで仕事を続けていくことは、ますます難しくなってしまう。新たな決断の時期が訪れた。
杉浦「受託の仕事で稼いだお金をメディアにつぎ込むモデルは、サスティナブルじゃない。『CINRA.NET』を赤字の状態で継続させておくわけにはいきませんでした。でも、僕も取締役の柏井も、往生際が悪いんです。(笑) 自分が一度やりたいと思ったことを諦めたくなかった。もし諦めてしまったら、自分のやりたかったことが社会に認められず、受け入れられなかったということになってしまう。それが悔しかったんです」
杉浦氏は決断した。「決めた時期までに収益化できなければ『CINRA.NET』を閉じよう」スタッフにもそう伝え、CINRA全員で、期限までにできる限りのことをしようと決意した。強い決意の裏にあったのは、杉浦氏の持つある思想だ。
杉浦「社会に必要とされているものには、必ずお金は集まる。少なくてもその時はそう信じないと続けられなかったし、『お金が集まらないこと』に言い訳をしたくなかった。1990年頃までは、アーティストがパトロンに支えられ、活動を続けていくこともできました。でも、今は違う。インターネットの登場で、自分が取り組んでいることの価値をタイムラグなく世の中にプレゼンテーションできる時代になったんです。必要としてくれる人たちに届けば、お金は集まるはずだと信じていました」
黒字化を達成するために、できることには全て取り組んだ。スポンサーを探すために1日中テレアポをしたこともある。
杉浦「メンバーたちも、最初は、テレアポに抵抗があったんです。それまで良いコンテンツを作ることにこだわってきたのに、いきなり広告を取りに行くマインドに変えるのは難しかった。でも、その気持ち悪さを克服して取り組んでいくと、自分たちが作っているものが喜ばれ、お金になるとわかって嬉しかったんですね」
社員一丸となり努力したことで、「CINRA.NET」は事業として軌道に乗り、黒字化に成功した。CINRAの価値は社会に認められたのだ。
プロジェクトにオーナーシップを持つことで人は活躍する
「CINRA.NET」が軌道に乗り、会社は次のフェーズを迎える。クリエイティブ業界に特化した求人サービス「CINRA.JOB」や、オンラインセレクトショップ「CINRA.STORE」、2015年にはアジアのクリエイティブ・シティガイド「HereNow」をリリース。CINRAは事業を多角化していった。
「やりたいことのイメージや構想は、会社の創業前からありました」と、杉浦氏が語るように、最初から「CINRA.NET」だけに留まらず、様々な自社事業を手がけることを計画していた。
杉浦「『CINRA.NET』に自分の理想や理念を全て詰め込もうとすると、今のCINRAが好きな人を裏切ることになるかもしれない、そう思ったんです。自分の理想や欲求ごとに事業をつくることで、ユーザーにも受け入れられるサービスを提供していきたかった」
杉浦氏は自身やメンバーの「やりたい」という想いと、ユーザーを裏切りたくないという想いのバランスを取り、サービスを展開してきた。CINRAが提供する各サービスには、杉浦氏のある欲求が色濃く反映されている。
杉浦「CINRAは、カルチャーやクリエイティブの会社だと思われることが多いです。でも、会社のミッションは「幸せのきっかけを届ける」ことなんです。働く、暮らす、旅するといった生活の様々なシーンで、その人の生活をより良いものにするサービスを提供しようと考えて、事業をつくっています」
立ち上げる事業の根底には、CINRAが手がける必然性があり、事業同士にもシナジーがあるなどの条件がある。そして、事業を成長させるためにはコミットが求められる。
杉浦「自分の『やりたい』という想いだけではなく、実際にそれを担当してくれるスタッフがいるかどうかも大切でした。たとえば、『HereNow』は僕が旅に関する事業を手がけたいと思っていたところから始まり、今は同じく旅好きなスタッフが事業に取り組んでくれています」
立ち上がった事業を人に任せているといっても、強制ではないという。最終的には、スタッフが選択をする。人は自分が納得できていないことに本気でコミットすることは難しい。一人ひとりのスタッフが納得して働けるように、CINRAでは「オーナーシップを持つこと」を重要視している。
杉浦「プロジェクトにオーナーシップを持てば、その人は能力を最大限発揮できるし、気持ちよく働けるはず。『自分が選んだのだから、やる』という言い訳できない環境は、すごく気持ちいいと思うんです」
若い世代から生まれる新しい文化を支えたい
大学卒業と同時に起業して、10年以上が経過した。事業は伸び、組織も拡大した。一見、順調なようで杉浦氏は組織が成熟していくことに危機感を覚えているという。
杉浦「新しい文化は若い人からしか生まれないと思うんです。CINRAはいま平均年齢が30歳の組織で、僕が35歳。20年後を想像すると、僕は55歳になります。その時に「オレら、カルチャーの最先端だぜ」とは言えないじゃないですか(笑)。もちろん、まだまだ自分がバトンを持って作り出す事業もありますが、同時に、若い人が新しい文化を作るサポートをする立場に回りたいです」
CINRAにとって、希望につながる動きもある。2017年9月にCINRAは、自分らしく生きる女性を祝福するライフ&カルチャーコミュニティ『She is』をリリースした。産声を上げたばかりの「She is」は、それまでの事業とは違う始まり方をした。
杉浦「今まで手がけてきた事業は僕か柏井の「やりたい」という思いから始まったものです。でも、『She is』は違う。CINRAのスタッフが「やりたい」と手を上げてくれて、事業化しました。自分で事業を立ち上げるより嬉しいです」
「もう、最高ですよね」–そう杉浦氏は楽しそうに語る。創業者以外から新しい事業が生まれた。これはCINRAという組織の成長を象徴するような出来事だろう。次の世代にバトンが渡り、プレイヤーの世代交代が起きる。新陳代謝しながら、CINRAという組織体はどこを目指していくのだろうか。
杉浦「実は、僕自身も自分がつくった会社から自立できていないんです。心のどこかでまだ、自分の子どものような感覚を持ってしまっている。そこから自立することも大切だし、会社のあり方をもっと柔軟に捉えていきたいですね」
会社と個人の関係性が大きく変わりつつある時代。必ずしもひとつの企業に勤め上げる必要性はなく、同時に複数の企業で働いてもいい。そんな時代において、杉浦氏は、CINRAという会社の未来をどのように見据えるのか。
杉浦「人生の中で、自分のやるべきことをひとつに絞り、時間を全て費やす必要なんてない。いくつかの目的がある中で、自分はこの瞬間はここにコミットすると決める。『この指止まれ』で人が集まるような組織のあり方でも良いと思っています」
単なるプロジェクト型の働き方ではない。成し遂げたい社会的ミッションに共感し、人が集まるのが理想だという。
杉浦「これからの時代の会社は、より大きな社会的ミッションを持ち、それに共感した人が集まる場所なのかな、と。だって、プロジェクトが終わって『はい、解散』では寂しいじゃないですか。同じ志を持って、たくさんのプロジェクトで一緒に働けるほうが、きっと楽しいですよね」
カルチャーが背負う2つの役割–「救済」と「知覚の拡張」
杉浦氏は、カルチャーが背負うべき役割は2つあると考えている。1つは、「知覚の拡張」だ。
杉浦「文化や芸術には、新しい世界の捉え方や知覚を広げていく力がある。たとえば、『CINRA.NET』をはじめ、ぼくらのメディアを通じて取り組みたいのは、読者が欲しいと思っている情報をそのまま提供するのではなく、その人にとっての新しい発見や知覚の拡張になる情報の提供です。情報に出会う前と後で、人生の考え方や世界の知覚の仕方が変わることが何よりも重要なんです」
新しい世界を知れば、その人の考え方や価値観は変わる。CINRAがいま手がけている事業にも、その思想は色濃く反映されている。
杉浦「人は、自身の感性が豊かなタイミングに大きく変わる可能性がある。だから、そこに事業をあてたい。たとえば、旅をしている時は普段よりも感覚がオープンになり、自分が見るものや触れるものから何かを得たいというマインドになっているはず。CINRAは『HereNow』というサービスを通じて、現地のカルチャーとの出会いを生み出し、知覚の拡張を提供しようとしています」
東京で過ごしていると、情報量が多すぎて、街の変化に気付きにくい。旅に出ている間は、新たな発見や出会いを求める。マインドが変われば、情報への接し方も変わる。
人の感性が豊かなタイミングは、旅の最中だけに限らない。「次に取り組みたいのは、教育なんです」と、杉浦氏は教えてくれた。大人になるまでの過程にも、人が大きく変わる可能性が秘められているからだ。カルチャーを作ってきた会社が手がける教育事業も面白そうだ。
最後に、杉浦氏はカルチャーもう1つの役割について語ってくれた。カルチャーは、人々を「救済」する。
杉浦「僕自身は強烈な経験がないのですが、『文化や芸術に救われた』という社員もいます。この音楽に救われたとか、生きがいとして人生を支えてくれたとか。カルチャーがあったから、生きてこられて、今の自分がある。そんな人たちがたくさんいる。カルチャーの役割のひとつは、救済なんです」
文化の役割とは何か。この問いを深めながら杉浦氏率いるCINRAは様々な事業を手がけ、歩み続けてきた。CINRAのサービスが支持されてきた裏側には、カルチャーへの深い愛情と敬意がある。
2017年9月、CINRAはコーポレートサイトをリニューアルした。そこで掲げられたのは、「カルチャーの力でボーダーを壊す(Smashing borders with creative culture)」という言葉だった。
改めて、いまの時代に「文化はなぜ必要なのか」と問うならば、それは人々の間にある壁を壊し、人と人とが理解し合う手助けをしてくれるもの。CINRAが示す答えは、「社会の分断」を乗り越えようとする私たちを勇気づけてくれる。
Photographer : Hajime Kato