「未来の放牧」はこれで決まり?ノルウェー生まれの“バーチャルフェンス“が畜産業を変える

北欧を旅すると、キャッシュレス化・デジタル化が進んでいることに毎回驚かされる。先日訪れたノルウェーでは、公衆トイレの支払いもクレジットカードしか受け付けていなかった。

テクノロジーを取り入れるスピードの速さは、決済手段だけではない。こんな技術が使われているのかと思わず驚愕したのは、ノルウェー西部の都市ベルゲンを訪れたときのことだ。

「バーチャルフェンス」で囲われたヤギたち

地元の観光名所として知られるフロイエン山にケーブルカーで登ったときのこと。丘の頂で数匹のヤギに出会った。

ヤギのそばには、「ドローン撮影禁止」のサインの横に「このヤギたちはNoFenceのテクノロジーを使ったバーチャルフェンスで管理されています」と書かれた説明書きが貼られていた。

丘でくつろぎ、観光客を和ませていたこのヤギたちは「バーチャルフェンス」なるもので管理されていたのだ。

周囲を見渡しても柵らしきものは見当たらない。「バーチャルフェンス」とはなんなのか? さっそく開発している会社にコンタクトを取ってみると、彼らの拠点はベルゲンから300キロほど北に離れたフィヨルド沿いの町にあった。

遠方であったため、直接取材に伺うことはできなかったものの「テスト中の農家がオスロの近くにあるので、私達の技術を紹介させてほしい」と提案をいただいた。

「バーチャルフェンス」とは一体なんなのか? ヤギの管理にどのように活用されているのか? いくつもの疑問を解明すべく、開発チームから紹介してもらったヤギ農家の元を訪れてみた。

ヤギがフェンスに近づくと首輪デバイスから音と軽い電気ショックが流れる

NoFenceのチームに紹介してもらったのは、オスロから電車で40分、南に50キロほど下った場所で農家を営んでいるタイルさんだ。タイルさんは4年前、「もっと自然に囲まれた場所で生活したい」と、それまで勤めていたオスロの会社を辞めて夫婦で農家に転身した。

ノルウェーでは珍しい南アフリカの品種のヤギを数十頭仕入れて、畜産業を始めた。ヤギの肉はノルウェーではまだそれほど知名度は高くないが、都市に住む若い人をターゲットに新たな消費者層を開拓したいと意気込んでいる。

雑草を刈りとるヤギたち

NoFenceが提供するデバイスとアプリをタイルさんが使い始めたのは昨年のこと。最新のテクノロジー製品への関心が強いタイルさんの夫がNoFenceのことを知り、すぐにコンタクトを取ったのだという。

NoFenceが提供するのは専用スマホアプリとヤギの首につけるデバイスだ。ヤギを管理するユーザーはスマホ上の専用アプリで、地図上に線を引くようにしてバーチャルフェンスで囲まれたエリアを設定する。タイルさんは使い始めて約1年、今では全体の1/3ほどの25頭のヤギにこのデバイスを使っている。

ヤギがアプリで設定されたフェンス部分に近づくと、デバイスから音が発生する。その音はフェンスに近づくにつれてより大きくなり、多くのヤギはその音を聞いて引き返す。それでもフェンスに近づいていくヤギが稀にいるが、フェンスを越えると今度は軽い電気ショックがヤギに与えられる。ヤギはそれで驚き、フェンス内の領域に引き返す。

首につけられたデバイス

デバイスをつけるヤギは最初の数日は「トレーニング」期間として、管理人に見守られながらバーチャルフェンスのシステムに慣れていく。「不快な音を聞いたり、電気ショックを受けたヤギは、数日でフェンスの場所を覚えて近づかなくなる」とタイルさんは言う。

電気ショックといっても、従来型のフェンスに流れる電気ショックの1~2パーセント程度の強さのものが0.5秒流れるだけだ。ヤギに与えるショックを極力抑えるように配慮されている。万が一フェンスを越えて逃亡した場合には、動物の身体を保護するためにも電気ショックは続かないように設計されている。

逃亡など、不測の事態が起きたときは、デバイス内のSIM経由でユーザーのスマホアプリに通知が届く仕組みになっている。

バーチャルフェンスを使う理由とは? ヤギを貸し出し、新たな収入源に

既存のフェンスがあれば、新たにこのバーチャルフェンス技術を使う必要性は生じないのではないかと思う。だが、話を聞くにつれて、タイルさんがNoFenceを重宝する理由が分かってきた。

タイルさんはNoFenceを活用して、自分の所有するヤギを貸し出しているそうだ。

メンテナンスをせずに土地を放置していると、雑草などが生えっぱなしになってしまう。だが、ヤギがいればその草を食べつくして土地を「きれいに」してくれるのだという。

この日見学した場所も、近所の人の要望でヤギを貸し出していた。機械を使って雑草を刈るよりも、ヤギを借りて草を食べてもらった方がいいというわけだ。

ヤギによる雑草刈りは、Googleが以前マウンテンヴューの本社のまわりの雑草を200頭のヤギを使って1週間かけて刈ったことでも注目を集めた。刈り取り機の騒音はなく、ガソリンを使わないから環境にも優しい。ヤギの空腹を満たすこともできる。

「コストは同程度ですが、刈り取り機よりもヤギの方がずっとかわいいですしね」とGoogleは同ブログでコメントしている

日本でもヤギによる除草は注目されている。ヤギによる除草は、除草費用の軽減につながり、フンが桜の木の養分になるなど利点が多い。たとえば、UR都市機構は東京都町田市にある「UR賃貸住宅町田山崎団地」でヤギ除草の実証実験を行った。ヤギによる除草は、ご近所などとの会話が増えたという結果も出ており、地域コミュニティの形成にも役立っていると報告されている

ヤギはとても人懐こく、温厚だ

ヤギはとても人懐こく、温厚な動物だ。タイルさんのヤギたちも、初対面の私に怯えることなく、すぐに寄ってきた。貸し出されるヤギも借主もお互いに安心して過ごすことができる。

だが、新たな場所にヤギを貸し出す場合には、まだ柵がないことがほとんど。従来のヤギ放牧用の柵には、逃亡防止のために電気ショックも張り巡らされており、そうしたシステムを構築するには手間とコストがかかる。

そこでNoFenceの出番だ。柵がない場所にも柔軟にバーチャルフェンスを設定し、放牧地をつくることができる。

この技術を活用して、タイルさんのようにヤギの貸し出しを柔軟に行うことができるようになれば、農家はその分、新たな収入源を得ることができる。

借主にもよるが、一頭のヤギを一日借りる場合は35クローネ(約500円)ほどを支払うことが多いという。20頭を貸し出せば、一日あたり1万円ほどの収入になる。

「これは本当に画期的な方法です。私たちは、より柔軟にヤギを活用することができるようになるのですから」とタイルさんは話す。

動物保護の意識が高いノルウェーでは規制も厳しい — 6年の歳月を経て一般販売を目指す

NoFenceの歴史は10年以上前にさかのぼる。創業者のオスカー・バーンセン氏は、小さいころから農場が近くにある環境で育ってきた。農家が管理する動物たちをそばで見ながら、柵などなく自由に動き回れる環境があればいいのにと思うことが度々あったという。柵を何キロも立てる手間も理解していた。

そうした思いから「バーチャルフェンス」というアイデアを思いつき、2006年にサイドプロジェクトとして製品開発はスタート。2011年には会社を創業し、数名のメンバーがフルタイムで事業に取り組んでいる。

GPSとSIMカードを内蔵し、筐体にはソーラーパネルを施して電気を供給する。「ヤギの進む方向とともに音が徐々に高くなっていく」という技術は、特許申請済みだという。

創業してから6年、「チャレンジはいくつもあった」と共同創業者でありCEOを務めるエリック・ハスタッド氏は振り返る。特に国の規制を満たすことには、非常に労力を要したそうだ。

2011年に創業し、動物福祉を管轄する当局から現場でのテストの許可が降りたのは2014年秋のこと。動物保護の意識が非常に高い国であるからこそ、動物に関しては新しい技術の導入にも慎重だ。現在は、大学と協力して現場の詳細なデータを集め、当局に提出する資料作成に尽力する。

NoFenceの製品開発の難しさは「バイオロジーとテクノロジーの融合」であるとハスタッド氏は語る。たとえば、デバイスの重みや動きで生じる皮膚との摩擦でヤギの首を痛めていないかどうかなど、考慮するべき点は多く、生物学の知識も必要になる。

何度も製品に改良を加え、現在テスト中のものは4つ目のバージョンになる。今後は、充電機能と音のピッチ調整機能に改良を加え、2018年4月末には一般販売を開始する計画だ。すでにノルウェー国内ではメディアに何度も取り上げられており、5000台の先行予約が入っているという。

これまでエンジェル投資家と政府のファンドから出資を受け、約1100万クローネ(約1億5000万円)を調達した。今後はシリーズAラウンドの調達を予定している。将来的には、市場をアメリカやオーストラリアなど国外に広げ、対象の動物もヤギ以外の牛などにも広げることで事業拡大を目指していきたいと、ハスタッド氏は将来への意気込みを語ってくれた。

11年前はまだアイデアにすぎなかった「バーチャルフェンス」も、粘り強いテストを繰り返した結果、行政の理解も深まってきた。今後、柵のない場所で愛らしいヤギたちが雑草を食べる光景が増え、同時に新たなテクノロジーを武器に収益を増やせる農家も多くなるかもしれない。

img : NoFence, Yuki Sato,

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