金融、教育、広告……あらゆるものにテクノロジーが掛け合わさり、革新が生まれる昨今。誰もが期待し、また必要とする領域でもある「医療」や「ヘルスケア」でもその潮流は起きている。それら“Healtech”に関する取り組みは、AMPでも医療物資をドローンで輸送したり、AIを活用してがん診断をしたりと、さまざまにピックアップしてきた。
この日本でも、その流れは加速の兆しを見せる。高齢者が多い(またさらに多くなる)先進国として、医療費を抑えながら効率的に医療を提供すべく医療・ヘルスケア領域でのイノベーションが期待されており、各種の規制緩和とともに新しい技術を用いたサービスが産声を挙げ始めている。その最中、2017年12月5日・6日にかけて、ヘルステックのカンファレンスである「Health 2.0 Asia – Japan 2017」が開催される。
今回のカンファレンスで統括ディレクターを務める上田悠理は、1987年生まれの30歳。医師専用のコミュニティサイト「MedPeer」を運営するメドピア株式会社に所属する、現役の医師でもある。若くしてカンファレンスを取り仕切る上田氏だが、その歩みにはいくつもの変化があった。
一環して通ずるのは「変わっていく場所にいたい」という“変革”への想い。そして「自分が楽しいか、楽しくないか」で判断する意思決定の明確さ。人懐っこい笑顔を見せて話す彼女の行動力の軌跡は、ヘルステックだけに留まらない気づきを与えてくれる。
- 上田悠理
- メドピア株式会社 「Health 2.0 Asia – Japan 2017」統括ディレクター(医師)
- 早稲田大学法学部を卒業後、岡山大学医学部に編入し医師免許を取得。形成外科・訪問診療医として、在宅高齢者の褥瘡管理に携わる。臨床を継続する傍ら、2017年4月よりHealth 2.0 Asia – Japan統括ディレクターに就任。臨床現場で感じるニーズと、テクノロジーで可能なこととの間に大きな隔たりを感じており、この壁を破壊するべく、12月に開催されるヘルステック領域のカンファレンスHealth 2.0 Asia – Japan 2017に向けて活動している。
アイドルからIT企業のインターンも。大学4年生で変えた進路
幼い頃から「あれをしなさい、これしなさい」と言われるのが嫌いだった。高校時代の成績
は優秀で、周囲や両親から医学部へ進学を薦められるが、その生来の気質が疑問を投げた。
「潰しが効くし、人間が作った社会の基本ルールを知りたい」と、上田氏は早稲田大学法学部へ進む。そこから、彼女は回遊魚のごとく動き続けた。
上田「法律サークルで同級生と討論会をやったり、後輩向けに試験対策のノウハウを教える講座を開いたり。一時期は芸能事務所に所属していて、アイドルや女優の活動もしていました。あとは課外活動としてECやネット広告のIT企業でインターンもしていましたね。飛び込み営業や、テレアポを1日に何百件とかけることもあって……」
様々な経験を経て、上田氏は就職活動の時期を迎える。組織や活動の“歯車”になることが耐えられず、できる限り自らが全体を見たいという考えもあり、上田氏はプロジェクト単位で指揮をとれる(と考えた)コンサルタント業界などを中心に応募。
だが、交流会で業界の先輩たちから聞こえてくるのは激務にあえぐ姿ばかり。「歯がストレスで抜けたが時間がないから差し歯を作りに行けない」という声も耳にして進路を変えた。ただ、その変え方がダイナミックだった。
上田「専攻していた民法の不法行為法では、困ったことは基本的にお金で解決するんです。ただ、私としてはお金よりも精神的な満足や対人関係で解決を図るほうに携わりたいという思いもありました。そこで進路も、ヒト対ヒトの仕事で、サービスを施す相手の状態が見え、人を幸せにするようなことはないかと考え直して、医師だ、と。医療チームのトップであり、上からの指示で右往左往することも少ないですし」
かくして大学3年生の1月から猛勉強をはじめ、卒業と同時に岡山大学医学部への編入を果たす。医師免許を取得し、臨床の現場を目指すことと同時に、医師としてできることの「さらに先」の展望の野心に燃えていった。
上田「本当は、クリエイターとしてのアーティストになりたかったんです。それこそアイドルや女優をやっていたわけですが、そちらでは芽が出ず。何かを創りたいという思いはあっても、どうしたらいいのかわからなかった。だから自己評価としては“アーティストになりきれなかった人”なんです。でも、何かしらを創りたいという想いはずっと持っていて、医師になったその先で自らサービスを創り出そうと考えるようになっていきました。振り返ると、いろんなことに興味があって、いろんなところに顔を出した学生時代でしたね」
岡山でのバー経営に失敗、1年間の世界放浪。旅費はカジノで稼いだ
彼女の回遊魚っぷりはまだ続く。医学部へ通う傍ら、共同出資者として15席ほどのバーを経営するも失敗。リアルビジネスの難しさを肌身で知った。
医学部卒業後は「今後長期の休みはとれないはず」と1年間かけて世界中を放浪。高校時代にアメリカとカナダへ交換留学していた経験が生きた。
上田「まずは香港とマカオのカジノで宿代や飛行機代を稼ぎました。大きく賭けずに細めにチップを積んで、勝った分をコツコツと貯めていって(笑)。お金がまとまったので、電車で北京へ向かい、モンゴルへ飛びました。1ヶ月遊牧したモンゴルは私にとってインスピレーションを受けた場所です。何も持たないけれどすごく幸せそうなご家族に出会ったり、隣にいるトナカイが飲む川の水を一緒に口にしたり。元からおおらかなタイプでしたが、意外と人間はどんな環境でも生きていけるものだと、輪をかけておおらかになりました」
東南アジア、ヨーロッパ、中央アメリカとめぐり、夏には医師としての就職面接を日本で受けるために一時帰国し、またヨーロッパへ戻るようなこともあった。宿泊先はCouch Surfing(カウチサーフィン)を利用し、滞在先で友達を作りながら旅を続けた。モンゴルで共に遊牧し、彼女の「マイベスト・フレンド」だという歳の離れたタヒチ人の男性パイロットからは「型にはまらなくていい自由さ」を学んだという。
上田「私も日本だと自由人すぎるとよく言われていたのですが、私よりもっとフリーダムな人がいた(笑)。その出会いから、心のどこかに『ま、いっか』と常に思える余裕みたいなものが生まれたんだと思います」
“ドクターズバー”のバーテンダーが、カンファレンスを任されるまで
研修医としての日々を終え、日本で医師としてのキャリアをスタートした上田氏に転機が訪れる。その転機は、まさにこれまでの活動すべてに結びつくようなものになった。
ある日、友人から「医師が集まるバーがあるらしい」と声をかけられ、「誘われたら断らない」をモットーに掲げる上田氏は足を運ぶ。そのバーは医師たちが共同運営しており、上田氏も岡山でバーを経営していた経験を話した。すると、一人の運営者から「スタッフをやってみないか」と呼び込まれ、バーテンダーとしてカウンターに立つようになった。そこで出会ったのが、メドピアの創業者であり、現在もCEOを務める石見陽氏だった。
上田「ある日、石見さんから『英語もできるし、ネットワークも広いよね』と言われて、今回のカンファレンスでディレクターをやらないかと誘われたんです。正直、こんなに大きなものだと思っていなかったので気軽に引き受けたら、いまは結構大変で涙目ですよ(笑)」
日頃から上田氏は「医療にITを活かしたい」と情報収集やイベントへの参加を続け、模索していたのも効いたのだろう。フットワークを軽くし、「生きた情報を自ら得る」というのが今も変わらない上田氏のスタンスだ。
現在も週2.5日は医師として臨床現場に立ちながら、契約交渉、プログラムの計画、スポンサー営業、登壇者アサインなど、イベントに必要なことはすべて行う。
自らテックカンファレンスに出向き、スピーカーに直接名刺を渡して登壇者の依頼をすることもザラにあったという。上田氏がそこまで精力的に動くのは、技術を持つ企業と、それを活かす医師のあいだにある情報格差を課題に挙げるからだ。
上田「今回のカンファレンスが情報ハブになり、この場から事業を作れるようなイベントにしたいとイメージを持っています。ヘルステックは注目されている領域ですが、法規制などから参入障壁が高く、ニーズも顕在化しにくいため、ビジネスとしては難しいといわれています。たとえば、新商品の飲料があれば、マーケティングを考えるのは当たり前ですが、ヘルステックはそこにも至っていない。データを出し、実験も行い、プロダクトを作ったところで満足してしまうものが多いんです。他の業界ならばありえない、そういった慣習を少しでも変えていきたい」
ヘルステックが進まなければ、日本の医師は潰れる
現役医師の上田氏から見ても、医療現場は「明らかにIT化されつつある」という。しかし、そのIT化は業務効率化を図るためだけでなく、より切実な問題に立ち向かっている。
上田「現場にテクノロジーが入らなければ医師が死ぬ、という状況だと思います。患者さんは次から次へと来る、参加すべきカンファレンスもある、アカデミックな活動もするなかで、いまだに無駄と思える業務も多い。患者さんが何十人と待っているために1人には時間を5分しか割けず、その5分も症状の記録に一生懸命で、診察や診療が十全にできているとは言い難い。『もっと患者さんに向き合いたい』。ドクターなら、きっとみんなが感じているジレンマです」
テクノロジーが現場に入れば、状況は変わる。たとえば、チャットボットを用いた事前問診ができれば、待ち時間を減らせるかもしれない。診察中の会話をAIが解析して自動的に記録が残れば、その分だけ患者と向き合えるかもしれない。
ヒューマンエラーが起きやすいアナログの「お薬手帳」ではなく、患者の情報共有がデジタルに一元化されればより適切に処方できるかもしれない……今なお医療現場に従事する上田氏からは、いくつも現実的な観点からのアプローチを聞くことができる。
ただ、医療には法制度の壁がそびえ立つ。健康保険の適用、医療機器認定などのハードルは高いままだ。しかし、高齢化に伴って医療費の高騰が見込まれる中で、ヘルステックが担える可能性は大きく、むしろ現場の疲弊を見るに「そうならなければいけない」ともいえる。
その突破口が、ヘルスケアに関してテクノロジーを「利用する需要」を増やすことだ。つまり、僕らを始めとした「使う側」のアクションが大切になる。言わば、仮に現在の自分に必要なくとも、未来の自分のために「今」を投資するともいえるだろうか。そのために昨今、アメリカを基点にヘルステックにもデザイン思考が導入され、「スタイリッシュで使いやすいアトラクティブなものへの方向性が見えてきた」と上田氏は話す。
上田「アプリでかわいいアバターが出てくるとか、素敵な女性の声で話しかけてくれるとかもそのひとつですね。実際にある生活指導の事例だと、チャットボットでの食生活指導より、栄養士による1対1のメール案内で、なおかつ名前や写真で個人が見えるほうが継続性は高かったという日本のアプリメーカーの実験結果もあります。ぜひ、20代や30代の世代からも魅力的なコンテンツを作る意見を出していただきたいなと思っています」
もっとも、上田氏はテクノロジーで医療現場の問題がすべて解消するとは考えていない。医師の根本にはリアルでの診察があり、ITはあくまでツールにすぎないという。
上田「遠隔で電話相談をいくらしても、実際に手を握って『大丈夫ですよ』と伝えたほうが患者さんは喜んでくれる。ネットだけでは完結しないし、リアルだけでは解決しないのが医療のIT化だと思うのです。だからこそ、ヘルステックにおいても、ネットとリアルの融合を常に念頭に置いています」
「Health 2.0 Asia – Japan 2017」を統括する若きディレクターは、人に会い、足を運び、現場で体験し、自らの頭で考えることを続けてきた。今回のカンファレンスには国内外からスピーカーやピッチコンテストの審査員がそろい、製薬企業をはじめ多数のスポンサーも集まっているのは、その継続の賜物ともいえるだろう。
彼女の「統括ディレクター」という立場は与えられたものかもしれないが、これまでの軌跡からそれを「作り上げたもの」と称することに、それほどの異論はないのではないだろうか。
“My life didn’t please me, so I created my life.”
人生は自分で作るもの。ココ・シャネルのそんな名言も、思い出される。
Photographer: Kazuya Sasaka