キッチンステーションで火にかけられた複数の鍋の中では大量のスープ、ジャム、ペーストなどが煮込まれている。大量のサモサ、カリッと揚がるチップス、業務用フードプロセッサーが音をかき鳴らす。
ここでは常に「食の実験」が行われている。こんなに食欲を掻き立てられるコワーキングスペースは類を見ない。
ブルックリン発、新進気鋭のシェフのためのコワーキングスペース「FOODWORKS」
2016年にニューヨークのブルックリンに、シェフのためのコワーキングスペース「FOODWORKS」がオープンした。同施設は、シェフ起業家を育てるためのインキュベーション機能を有している。
「食」におけるイノベーションを考えた時に、様々なアプローチがある。UberEATSのようなフードデリバリーサービスや、レストランの予約台帳サービスを提供する「トレタ」、そしてnomaのように実験的な“料理“を発明し続けるレストランもあるだろう。
中でも、FOODWORKSが対象としているのは、少規模で食のオリジナルブランドを立ち上げたい人たちだ。
同施設の10のキッチンステーションには、コンベクションオープンからフライヤーユニット、食洗機、業務用フードプロセッサー、料理を急速冷凍するブラストチラー等、プロ向けの調理設備が備わっており、ごみ処理からリネンサービスまで提供される。
さらに、FOODWORKSでは、様々な分野のエキスパートからアドバイスを受けることができる。弁護士、投資家、ソーシャルメディアストラテジスト、栄養士、フードフォトグラファーといった50人以上の各分野のメンターに相談でき、ウェブデザインやパッケージデザイン、動画や写真撮影のサポートも行ってくれる。
929㎡の広々としたオフィススペースでは、オフィスワークだけではなく、入居しているシェフ同士のアイデアの交換や、イベントやワークショップなどへの参加が可能だ。FOODWORKSを起点とした食分野の起業家のためのコミュニティが形成されている。
今のところFOODWORKSには店舗機能やデリバリー機能はなく、食の実験を行うキッチンとオフィススペースのみが提供されている。そのため、店舗開設やECでの販売、デリバリーなどは入居者が行う必要がある。
月額の使用料は、プランによって異なる。月300ドルのスタータープランの場合は月10時間まで、月2000ドルのエンタープライズプランの場合は月80時間まで施設を利用できる。
2016年にオープン、345件もの新しいフードブランドが生まれる
2016年にFOODWORKSがオープンして以来、200件弱のプロジェクトが立ち上がり、345件もの新しいブランドが誕生した。アプリコットジャムやバナナパンのようなトラディショナルな食品を生産するシェフもいるが、実験的な食のブランドを生み出そうと取り組む会員もいる。
インドのエキゾチックな香辛料を用いたアイスクリームブランド「Malai」は、すべてのアイスクリームをFOODWORKSでハンドメイドでつくり、オンラインやフードマーケット等で販売している。
シトラスの香りがするコーヒーソーダ「Keepers」は、FOODWORKSに入居し、メイドインブルックリンの飲料をつくり主にオンラインで販売を行っている。
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スピリットを直接注ぎ、シェイクしてオリジナルカクテルを作るために、あえてボトルの半分は空の状態、かつスピリットと相性の良いジュースを追求しているボトルジュース「Swig + Swallow」は、小売店に卸したり、オンラインでの直売を行っている。
FOODWORKS共同創業者のNick Devane氏は、米国ビジネス誌『Fast Company』にて、設立した背景を次のように語っている。
「これまでの常識では、まず自分のキッチンを構築して、基本事業計画やマーケティングプランをつくり、自分のプロダクトが市場に受け入れられるかどうか調べるために、何十万ドルも必要としていました。でもそれは、FOODWORKSでは必要ないんです」
食に関するアイデアやレシピを持っているが、最初から大きな投資はできない。けれども、市場で勝負してみたいと考えているシェフ予備軍にとって、FOODWORKSは心強いコミュニティだ。
FOODWORKSは、今後アメリカのポートランドやロサンゼルス、シカゴやチャールストン、ニューオーリンズなどに展開していく。多地域に展開することで、その地域の食材を活かしたユニークなブランドが誕生するかもしれない。
日本でもシェフ起業家は育つか?
日本でも、実験的な食のブランドは生まれつつある。だが、自ら食のブランドをつくりたい人々が集う、キッチン設備やプログラム、メンター制度等が充実するコワーキング施設は、まだ存在しないと言っていいだろう。
先行事例が無いわけではない。JR中央線の武蔵境駅には、地域に開かれたシェアキッチン「8K(ハチケー)」がある。同スペースでは、食品衛生責任者の資格所得者であれば、店頭での販売・ネット販売・イベント出店が可能だ。オリジナルの屋号を使った営業もできる。
2016年11月には、“食のイノベーション”をテーマとしたシェアオフィス「SENQ京橋」が誕生した。スターバックスコーヒージャパンやキリン、クックパッドなどの企業がメンターとして名を連ねている。
「cookpad ACCELERATOR 2017」も開催されるが、小規模で、実験的な食のブランドを支援するのではなく、フード関連のスタートアップがその支援対象になるだろう。
小規模だがユニークな食のブランドを生み出す“仕組み“は整っていないものの、注目しておきたい食のブランドは存在する。
チョコレートを豆から製造する Bean to Barブランドを立ち上げた「Minimal」はユニークだ。Bean to Barとは「豆からチョコまで」を一つのメーカーが一貫して管理することを指す。
カカオの生産者と直接取引を行い、ほかの種類の豆を含まない「シングルオリジン」で、副原料は砂糖のみ。栄養価も高く、カカオ豆ごとにレシピを変えて調理するため、豆が持つ本来の味を楽しむことができるという新ジャンルのチョコレートだ。
デパートやメディアで特集され、大手菓子メーカーでも商品化されるまでになったが、Minimalは「Bean to Bar」の日本における先駆け的存在だ。創業者の山下氏はコンサル業界の出身で、カフェでBean to Barチョコレートと出会ったことをきっかけに独立。2014年に渋谷の富ヶ谷にMinimalの店舗をオープンさせた。
私がPRを務めるFabCafeと、301がタッグを組んだ「THE OYATSU」では、新進気鋭のシェフやフードスタートアップの第一人者とコラボレーションを行った。彼らの思想やコンセプトを「OYATSU」にして、その発想法や創作プロセスをシェアしていくプロジェクトが展開された。
グルメ的視点とは異なる「ものづくり」の視点から、食と人のあたらしい関係性を考えていく取り組みであった。
コーヒーやチョコレート、アイスクリーム…ユニークで美味しいブランドが生まれる余地はまだある。大手食品企業の研究所で行われるような製品開発だけでなく、個人や少人数のグループで、ボトムアップ的に食のブランドが生まれていくと、日本の食文化の多様化が進んでいく。
日本にもFOODWORKSのような食の実験をサポートするインキュベーション施設が登場すれば、少数の人々のニーズに応えるような、新しい食のブランドが生まれていくだろう。
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