かつて、渋谷から二子玉川まで路面電車が走っていたことを知ってる人はどれくらいいるだろう。
東急玉川線と呼ばれる線路が引かれ、渋谷や池尻大橋の周辺を路面電車が走る姿は、なんとも趣のある光景だったに違いない。
「都心のローカル線」と呼ぶべき電車を、東急電鉄は今も走らせている。
東急電鉄が走らせる東急世田谷線は、2両編成の路面電車だ。沿線の若林駅周辺では、世田谷線が車のように環七の信号待ちをして止まる、路面電車らしい光景が見られる。
東急電鉄が走らせている東急池上線は、路面電車ではないものの、世田谷線と同じくローカルさを感じられる路線だ。同線は、五反田から蒲田を結ぶ全長10.9キロの路線。1928年に全線開通し、90周年を迎える。
池上線沿いの荏原中延や戸越銀座は、古き良き商店街が魅力的な駅だ。五反田や蒲田のような終着駅をのぞけば、下町情緒があるような駅が多い。
人口減少が進む中、池上線沿いに住む人を増やしたい
心惹かれる光景の池上線も、課題を抱えている。区の人口減少だ。同線が走る大田区は2020年を、品川区は2025年を境に人口が減ると言われている。東急池上線の鉄道事業本部 事業戦略部 沿線企画課 課長 平江良成氏は、池上線が抱える危機意識を次のように語ってくれた。
平江「品川区と大田区の人口が減っていけば、必然的に沿線に住む人も減っていってしまう。今のうちに先手を打ち、池上線を利用する人を増やしたいと思いました。しかし、池上線は東急電鉄の他の路線と比べて認知度が低く、沿線のイメージが確立されていません。東横線の場合は『オシャレ』、田園都市線の場合は『セレブ』、『じゃあ、池上線は?』となってしまうんです」
そこで東急電鉄が考えたのが、「生活名所」という言葉だった。有名な観光名所があるわけではないが、生活に密着した心地よい沿線であり、暮らしを支える様々な名所があることから、池上線の魅力ある場所を「生活名所」と表現した。
「乗車1日無料」で、池上線沿線を知る最初のきっかけをつくる
池上線沿線のブランドイメージを確立し、認知度を高めるためには、まずは池上線の存在を知ってもらう必要がある。そこで東急電鉄は「生活名所」プロジェクトを立ち上げ、平江氏がプロジェクト・リーダーを担うことになった。
10月9日には、池上線が1日乗車無料になる「池上線フリー乗車デー」を行う。池上線各駅の改札口で1日フリー乗車券を貰うと、池上線の各駅に限り何度でも乗り降り自由となる。首都圏の鉄道会社で、全線を1日無料にするのは初めての取り組みだ。
平江「首都圏に住んでいる人でも、池上線を利用したことがない人は多い。まずは一度、池上線沿いに遊びに来てもらって、その魅力を知ってもらいたい。ただ、池上線の乗車料金を無料にするだけでは人は来ないので、沿線の魅力を伝えるツアーの企画などを仕掛けていきます」
10月9日のフリー乗車デーには、池上線の生活名所をまわる「生活名所ツアー」を開催。アート、鉄道、スナック、写真など様々な切り口でツアーが企画されている。中には、若者向けに開催しているツアーもあるという。
平江「ツアーの中でも若者向けに行っているのが、『1駅1皿で巡る レストラン池上線』というグルメツアーや、『写真好きのための 絵になる池上線』という写真を撮りながら各駅をまわるツアーですね。沿線に住む上では、その地域に美味しいお店が多いかどうかは重要だと思うので、まずは池上線沿いの美味しいお店を知ってもらいたいですね」
自分が生まれ育った荏原中延駅でも、駅前にあるラーメン屋「多賀野」や、ホットサンド専門店「maple」は人気があった。特にラーメン屋は行列が途絶えているのを一度も見たことがないくらい繁盛していた。
電車の1日乗車無料キャンペーンや、沿線でのツアー企画を行い、まずは池上線を利用したことがない人との接点をつくる。池上線を知ってもらうことで、引っ越しを検討する際に、池上線沿いが候補のひとつに挙がる可能性が出てくる。
池上線沿いをクリエイターが集う街に
現在、池上線には30〜40代のファミリー層が多く住んでいる。平江氏は「池上線沿いに、もっと若者にも住んでもらいたい」と話す。
平江「池上線沿いは、渋谷や品川などへの交通アクセスが良い割に、賃料が安いんです。なので、デザイナーなどのクリエイティブな仕事に就いている若者が住んでいるという話を聞いたことがあります。池上線がクリエイターが住み、集う街になると嬉しいですね」
ニューヨークのブルックリンや、ドイツのベルリンといった都市では、地価が安いために、そこにクリエイターが集まり、エリアが発展したと言われている。そのような人々を、社会学者Richard Florida(リチャード・フロリダ)氏は、「クリエイティブ・クラス」と呼んだ。クリエイティブ・クラスを惹きつけることが、その都市の発展に重要であると、彼は指摘している。
池上線沿いにクリエイティブ・クラスが集まれば、沿線としての新しいブランドイメージの形成や、沿線価値の向上に寄与してくれるだろう。
インフラとして人々の移動を支えてきた鉄道であっても、そのままでは生き残ることが難しい時代だ。池上線のように、その路線が走る地域の価値を高めていくことが求められている。単なるインフラではなく、人々に愛される路線に進化することで、その沿線の価値は向上していくだろう。
img : maple, Yaguchi, Instagram
【他の地域関連記事】