ここ数年、重要なビジネスワードとして挙げられ続けているのが「AI(人工知能)」という言葉だ。だが、それが具体的にどんなものなのか、また今現在、どんなことを可能にしてくれるのかまでは理解できずにいる人が多いだろう。そこで、AIを第一線で研究されている電気通信大学の栗原聡教授に“これを観ればAIの理解度が深まる”という映画やアニメを例に、現状のAI開発について教えてもらった。
昨今は、AI(人工知能)が様々な製品やサービスに活用されている。AIが加速度的に進化している現状を見て、AIは人の能力を超えて、雇用を奪っていくだけでなく、危険な存在になるのではないかという議論も盛んだ。だが、電気通信大学の栗原教授は、次のように語る。
「AIを含むこれまでの科学技術は、要は人を超える能力の獲得が目的なわけで、認識や計算、記憶、身体能力など、用途を限定すればほとんどにおいて人を超える能力が実現されているわけです。ことAIに関しては、。チェスや将棋、囲碁などで次々とトップクラスのプロに、AIが勝ち始めているのが象徴的な例です」
囲碁ではGoogle DeepMind社の開発した「アルファ碁」が、ニュースのトップを飾ったのは最近のこと。AI研究の手法の1つ、ディープラーニングが普及したことで、画像や音声認識技術を進展させ、Amazonの「Amazon Echo」などが代表する音声認識デバイスは、欧米だけでなく日本でも動向が注目されている。さらに接客やデータ処理などの定型型のAIは、積極的に実用化されつつある。
AIはディープラーニングにより、レベルの向上と、用途拡大を達成しつつあるのだ。こうした用途限定型のAIをつなぎ合わせていくことで、AIは汎用性を手に入れていくのだろう。
真の自律型/汎用型のAIを搭載した『ターミネーター』
栗原教授によれば、用途や機能を増やしたとしても、映画『ターミネーター』のようなAIロボットが出来るわけではないという。
「機能を100や1000と数だけ増やしても、AIが、ある目的のために自ら行動し選択する仕掛けがなければ、ターミネーターのようなAIロボットはできません。本当の意味の汎用型、または自律型とは言えないのです。
例えば人間もディープラーニングも、様々なことを覚えていくことで成長し進化していきます。でも僕ら人間は、世の中の全てのことをマスターしているわけではない。すべてを経験し学習できているわけではないのに、生きていくことができ、初めて経験することにも対応できます。人は、それぞれ各自がそれまでに経験し学習した技を組み合わせて、時には失敗して自ら学んでいきます。そうしたことは、今のAIにはできません。AIの次の大きな進化としては、そういったことができるように、シフトしていくことなのです」
AIが自ら、ある目的のために自らが何をすべきか、自律的に行動できるようにする。そんな研究に取り掛かるお膳立ては、出来てきているというのが栗原教授の考えだ。現状の技術では無理だが、ターミネーターのような汎用性の高い自律型AIの開発も、SFの世界だけのものではなくなっていくかもしれないのだ。
AIに“自我”が必要なのかを問う『アトム ザ・ビギニング』
AI技術が進化を続け、いつか「ターミネーター」のような自律型AIロボットを開発できるかもしれない。だがそうなったとしても、AIロボットが人類を脅かす存在にはならないのでは、というのが栗原教授の考えだ。
「そもそも科学技術は効率を上げるために開発されます。要は人をラクにすることが目的なんです。その文脈でAIを見れば、AIも科学技術でありクルマや家電、エクセルやワードなどと同様に、人をラクしてくれる“ツール”として進化していくはずです」
日本人の多くが、AIやロボットを考える時に「鉄腕アトム」や「ドラえもん」のような手助けをしてくれる存在を思い浮かべるのはそのためだろう。
「『アトム ザ・ビギニング』は、十万馬力の鉄腕アトムができる前の話です。天馬博士(午太郎)やお茶の水博士(博志)が大学生の頃に、いかにして鉄腕アトムを作るに至ったのかというストーリーです」
『アトム ザ・ビギニング』は、『月刊ヒーローズ』で連載されているほか、NHKでアニメ化された(Amazonプライムビデオで配信中)。午太郎と博志は協力して、自律型AI「ベヴストザイン・システム」を搭載した、研究用ロボット「A106(エーテン・シックス)」を開発している。「ベヴストザイン」とは、ドイツ語で“意識”や“自覚”、“自我”を意味する。
「天馬午太郎はパワーのある強いロボットを作りたい。一方でお茶の水博志は、純粋に人のために尽くす心優しいロボットを作りたいと言っています」
つまり午太郎や博志たちのストーリーは、今後のAIやロボットの研究開発に関して、研究者や開発者が葛藤することになるだろう道のりを、先取りしたものとなっているのだ。
「A106は人に尽くすために色々と考えています。アニメ版の第5話では自動運転トラックがハッキングされ、ブレーキが効かなくなってしまいます。前方には大勢の子どもたちを乗せたバスが停まっていて、このままだと事故になるという時に、A106はトラックの自動運転機能を強制停止させ、事もあろうにトラックを加速させるんです。そんな状況を、天馬博士とお茶の水博士とで、違う見解を述べているのが印象的です。
天馬博士はA106が暴走したと言います。
一方のお茶の水博士は、A106は人を救うために考えていると言うのです。
……ネタバレになってしまいますが、実はA106はトラックをわざと加速させて、ハンドルを急に切って横転させることで停めようとしたんです。人に危害を加えないように、今できる最善の方法を選択して、車を停めたんですよね」
『アトム ザ・ビギニング』のA106は、“人に尽くす”という目的達成のために、何をすべきかをその場で判断し選択できる初期の自律型AIロボットなのだ。
「人を始めとする生き物は、生きたいとか種を残したいという根源的な目的がありますが、今のAIには自我がありません。でも、十数年後に人間の脳全体の仕組みが解明され、自我や意識の仕組みが解明されれば、AIにもAIならではの自我を持たせられるかもしれません。A106やアトムのようなAIロボットも、開発できるかもしれませんよ」
“自我”を備えたAIロボットを人は制御できるのか? 『オートマタ』
ディープラーニングとともに、AIの脅威論として“シンギュラリティ”というワードが、昨今話題となった。AIが人の能力を凌駕するシンギュラリティ(技術的特異点)は、2045年ごろに起きると天才科学者のレイ・カーツワイルが提唱した。その2045年頃を舞台とした映画が『オートマタ』。地球は荒廃し、人口は激減している。雇用を補うためにAIロボットのオートマタが開発され、普及していく。
「作中では奴隷のようなAIロボット、オートマタがたくさん出てきます。オートマタは“人間に危害を加えてはいけない”ことと同時に“ロボット自身で修理や改造してはいけない”ことと決められていました。もしロボット自身がロボットを改造したりすれば、人間にはコントロールできないロボットが作り出されてしまうかもしれないからです」
作中では、“ロボット自身で修理や改造してはいけない”というルールを守らないオートマタが現れる。そしてオートマタは“自我”を獲得してしまう。
「“自我”を備えたフレンドリーなオートマタ2体を、多くの人が危険視して破壊しようとします。でも主人公は2体を逃してしまうというストーリーです。“自我”を美徳ととらえた新しい映画です」
そうしたシンギュラリティ、人がAIを主体的に制御できなくなる可能性を想定し、総務省AIネットワーク社会推進会議では、AI開発のためのガイドラインを策定した。
「用途限定のAIなら問題ありませんが、自ら目的をもって動き出すと、人が100%制御可能であると言い切ることはできなくなります。制御できないかもしれない。でも便利だからAIを導入することになるでしょう。そうした際、もし問題が起きた時に困るので議論しているというわけです」
栗原教授によれば、極めて高い自律性を持つAIはもはや新しい生命と同じだという。そのため、開発には閉ざされた環境でテストを重ね、入念な動作検証が必要になる。
シンギュラリティを想像した時に、映画などの影響もあり、脅威と感じる人も少なくない。だが、AIが進化するように、人もまた同じ時間をかけてAIとの関係性を模索することになる。その上で、人も学習し、変化に適応し進化していくことも忘れてはいけない。そう考えれば、シンギュラリティを迎えることを、無闇に脅威と感じる必要もないのだろう。
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