今も昔も、自動車産業は日本におけるキーインダストリーだ。2017年現在、乗用車の製造を手掛ける国産メーカーは8社。いずれ劣らぬ歴史を有しており、自社のヒストリーを彩る製品を中心とした、興味深い展示を行うミュージアムを構えるメーカーもある。

世界的にも珍しい、2ローター・ロータリーエンジン車の量産に成功したマツダもそのひとつ。広島にある本社敷地内には、歴史・技術展示を行うミュージアムを併設しており、2020年に創業100周年を迎える同社の歴史に触れることができる。

そんなマツダでは、現在「ONE MAZDA RESTORE(ワン マツダ レストア)」と銘打った、自社の歴史をたどるプロジェクトが進行中。これは、自社のヘリテージである往年の名車を復元する企画だが、発足のきっかけとなったのは、当時28歳のチームリーダーを中心とした、若手メンバーによる提案だった。彼らはなぜ、自社の名車を復刻することを思い立ったのだろうか?

ONE MAZDA RESTORE プロジェクトとは?

「このプロジェクトは、歴代の名車をレストア、つまり、修復・復元することで、マツダのDNAを発掘しようというのが狙いです。企画を思案している頃、若手社員がマツダブランドに愛着や誇りを持つためにはどうしたらいいのか? ということを考えていました。そんなある日、レストアを通じて過去にフォーカスすることで、マツダの哲学や思想を知ることができるし、自ら作業を体験することでブランドへの共感が深まるのではないか? と思いついたのです。まさに温故知新の発想ですね」

そう語るのは、発案者のひとりである阿部瑞穂さん。こうしてプロジェクトは、経営陣ら上層部からのトップダウンではなく、若手社員10名による企画として立ち上がった。その背景を、阿部さんはこう説明する。

「最初のきっかけとしては、イベントなどでマツダのファンの方にお会いする機会があったのですが、そこで皆さんとお話しているうちに『果たして自分たちは、どれだけマツダのことを知っているのだろう?』と思ったのです」

2013年、当時、副社長(現会長)だった金井誠太氏の指揮の下、マツダではブランド価値の向上を目指しての議論を繰り返されていた。その会合の事務局を阿部さんが所属する部署が担当していた関係で、日常的な会話の中にも“社員にもブランドを浸透させたい”、“愛着を持ってもらいたい”といった話題が上ることが多かったという。

「ブランド価値の向上というスケールの大きなテーマで、部署の本部長クラス以上が議論するような場があったのですが、そうした議論に若手も参加する機会があればいいな、と感じたのです。そこで上司に『若手でブランド価値向上を考えるプロジェクトを発足したい!』という提案を行ったのです」

“社風”という言葉では片付けられないかもしれないが、マツダはこのような“挑戦”に対して非常に理解がある企業。直属の上司も阿部さんの提案をすぐに受け入れてくれた。

「そして、社内の各部門から同年代の代表が集まり、意図を伝えて会合を重ねました。そして若手社員10名のメンバーの中に、クルマのメンテナンスが趣味という仲間がいたのです。そこで、マツダの古いクルマを自分たちで整備、復元するのは面白いかもしれない、と思いついたのです。“旧きを訪ねる”だけなら、図書館へ行って歴史を調べることで、知識を得ることは可能です。でも、クルマは走ってこそクルマ。自分たちの手で往年の名車をレストアすれば、当時のクルマの構造を知ることもできますし、完成した暁には、その乗り味を体験することもできますからね」

こうして、歴代名車のレストアという“社内に向けた”企画が立ち上がり、まずはメンバーで話し合いを重ねた。そして、2014年2月、ついに経営陣に向けた提案の日が訪れた。

「提案は、金井副社長たちが出席する会合で行いました。経営陣は15人ほどが参加していましたね。我々メンバーは3名で臨みました。もちろん緊張しましたが“企画の経緯、考え方、そして思いを提案する晴れ舞台だ!”という意気込みを持って臨みました」

そして、阿部さんたちの提案には、上層部からの「面白そうだ」という実に前向きな回答とともにゴーサインが出された。

「経営陣からも反対意見はありませんでした。そしてプロジェクトが動き始めると、若手メンバーはもちろん、上司からもさまざまな反響があり、『レストアするなら、あのクルマがいいんじゃないか』、『いや、こっちがいいぞ』といった意見を多数もらいました。むしろゴーサインが出た後の、そうした皆の声を集約するのが難しかったですね(苦笑)」

その後、1年をかけ、阿部さんをリーダーとする若手10名はカリキュラムの策定、場所や車両の確保、そしてメンバーの募集方法などを話し合った。そして、2015年初頭、具体的な企画として経営陣に2度目の提案を行い、プロジェクトは正式に承認を受け、実現の運びとなる。こうしてマツダの創業100周年に向け、毎年1台のペースで計5台のレストアを行うことが決定したのだ。

「レストア作業に参加するメンバーは、社内から公募しました。20名集めることが目標でしたが、通常業務をこなしながらの作業という制約がありましたから、内心は5、6名集まればいいとこかな、と思っていました。でも、実際に説明会を開くと、我々と同じ熱い思いを胸に秘めた、20歳代から50歳代までの20名がすぐに集まりました。しかも、開発や生産といった技術系部署の人間だけでなく、営業部門など事務系に所属する人間が多数いたのには驚きましたね」

こうして20名のメンバーが集結。プロジェクト作業は本格的に始動する。作業日は、毎週木曜日。当日は、本社内のファクトリーに集まってレストア作業に専念することになった。もちろん各メンバーとも、本来の業務が軽減されるわけではないため、その日のために通常の業務を効率良くこなす必要があるという。

「1週間5日分の通常業務を4日間で行わなければならないのでハードではありますが、“楽しい木曜日”のためにメンバーは懸命に取り組みました(笑)」

レストア作業の始まりは、ツールの使い方を学ぶこと

プロジェクト第1弾の“素材”として選ばれたのは、マツダ・ロータリーエンジン車の源流であり、2017年に誕生50周年を迎えた「コスモスポーツ」。しかし、実際の作業は、決して順風満帆とはいかなかった。

「マツダミュージアムのスタッフと相談し、20年以上前からミュージアムに展示されていた、輸出仕様の初期型コスモスポーツをレストアすることに決めました。エンジンは不動状態でしたが、実際に動いたらどんな音がするんだろう、と興味津々でしたね。ただ、新車時にプロモーション用としてヨーロッパに渡った可能性のある1台らしく、一見、キレイなのですが、荒れた道を走行していたからか、フロア部分などはサビて穴が開くほどコンディションは酷い状態でした」

レストアといえば、エンジンをはじめとしたメカニズムの修理のほか、車体の板金加工など特殊な作業の連続。とはいえ、メンバーは全員がマツダの社員で、クルマのプロフェッショナルではあるものの、分解整備の経験を持つ者はごく少数だった。そこで、レストア作業にも精通したベテラン社員にアドバイザーとして参加を依頼したところ、快諾を得た。

「メンバーは各々、自身の専門分野を持っていますが、例えエンジニア職であっても、車両メンテナンスの経験を持つ人間は、そう多くありません。そこで、まずはアドバイザーの方に、各種ツールの使い方から指導してもらいました。作業は安全が第一ですからね」

こうして、車両メンテナンスの初歩からスタートしたプロジェクトだが、軌道に乗ると数々の発見があったという。

「コスモスポーツは“10A型”という、マツダ初の量産ロータリーエンジンを搭載しています。ロータリーエンジンはエンジン内の圧縮を保つのが難しく、一般的なエンジンのピストンに相当するローターと、シリンダーに相当するハウジングとを密着させる金属製の“アペックスシール”が重要な役割を担っています。このシールはバネによって保持していますが、その装着部にわずかなクリアランスを設けることで、燃焼による圧力を掛け、密着性を向上させているのです。この構造は、後の『RX-7』や『RX-8』に搭載された“13B型”にも継承されていますが、最初の量産エンジンですでに基本の構造が完成していたことが分かったのです」

実用化は難しいとされたロータリーエンジンだが、その理由のひとつが、このシールにあったといわれている。マツダが障壁を突破できた背景には、当時のエンジニアたちによる不断の努力があったことを、レストアメンバーたちは自らの手で知ることとなった。そして、こうした先人たちの努力の痕跡は、エンジン以外でも散見されたという。

「ボディは複数のパネルをつないでつくったものですが、実車にはその継ぎ目がほとんど見当たりません。実はパネルどうしを重ねて溶接し、その後に接続部をしっかり研ぐことで、表面を平滑に仕上げているということが分かりました。『そこまで手を掛けていたのか!』と、メンバー全員が驚きました。

また、コスモスポーツはデビューからわずか1年2カ月で、ボディに大がかりな変更を加えられています。具体的には、ホイールベースと呼ばれる前後タイヤ間の寸法が150mm延長されたのですが、この作業は、クルマをゼロから設計し直すのと変わらないほどの手間が掛かります。当時、挑戦していた耐久レースを意識しての変更かと思い、かつての関係者に聞いてみたところ『直進性の向上が目的だとは思うが、レースとの関連性は分からない』という回答でした。そこで、さらに調査を重ねてみたところ、当時は名神高速道路が開通した頃であり、来るべき高速道路時代を見越し、操縦性や乗り心地の改善を図った結果であることが分かったのです。50年前も今のマツダと変わらず、ユーザーのことを第一に考えたモノづくりや改良を行っていたのだと、正直驚きましたね」

先人たちの苦労の跡を、自らの手を介して学んだメンバーたち。こうした発見が続く一方で、苦労も少なくなかったという。

「作業に馴染んでくると、どのような形でレストアを完成させるのか、という話が出てきました。例えば、ボルトひとつにしても、当時主流の着脱可能なワッシャーを使って固定するのか、現代流のワッシャー一体型ボルトを使用するのか、意見が割れました。またレストア作業は、エンジン、シャシー、ボディの3チームに分かれて行いましたが、そのチーム間でも、まっさらな新車当時の状態を再現するのか、使い込んだ感じに仕上げるのか、といったテーマで議論が紛糾したり……。それぞれのチームリーダー間では解決できず、結局、全員で話し合おう、となったことが何度もありました」

しかし、それらはすべて、参加者たちの“熱い思い”の表れであり、マツダというブランドへの愛着が深まったことの証ともいえる。阿部さんは、皆の意見を集約するため、涙をのんで“監督業”に徹したというが、それでも、コスモスポーツが形になった際には、やりきったという実感を得たという。

黎明期のモノづくりから先人の思いを知る

作業の経験やノウハウの不足、現在では手に入らない部品の製作、そして、メンバー間の意見の対立など、少なからぬ困難を乗り越え、第1弾コスモスポーツのレストア作業は2016年初頭に無事完成。社内でのお披露目を経て、イベント会場などで一般の人々にも公開された。

そして翌2016年度のプロジェクト第2弾では、メンバー交代を経て「R360クーペ」のレストアを行った。

「軽自動車のR360クーペは、マツダにとって初の乗用車でした。こちらも4サイクルエンジンなど、当時としては画期的なメカニズムを多数採用しています。発売された1960年頃はというと、舗装された道路は7%ほどしかありませんでしたから、クルマの乗り心地がとても重視された時代。その点R360クーペは、ゴムの弾性を利用したサスペンションを採用し、乗り心地と軽量化、さらにエンジン周辺のスペース確保にも成功しています」

「レストア作業を通じてさまざまな発見がありましたが、第1弾のコスモスポーツと同様、一番の成果は、当時の開発者たちの思いや考え方、そして、苦労の跡を直接感じとれたことでしょうね。これは参加したメンバー全員に共通する感想です」

“自社のDNAを発掘する”ことを目的にスタートしたONE MAZDA RESTORE プロジェクト。阿部さんの言葉からは、マツダ、そして同社で働く社員にとって、十分な成果が得られている現状がうかがえる。と同時に、プロジェクトを牽引する阿部さんには、新たな思いが芽生えているのだとか。

「自分自身も“マツダ愛”がより大きくなりましたね(笑)。もともとは社内に向けたプロジェクトでしたが、2017年はONE MAZDA RESTOREのブログを担当しているので、もっと多くの人にマツダのことを知ってもらいたいですね。マツダの歴史をたどると、確かに浮沈の時代もあります。今回、2017年度のレストア第3弾に選んだ素材『ルーチェ ロータリークーペ』は、商業的には成功しなかったクルマかもしれません。でも、これもマツダの歴史の一部ですし、そこから何かを学ぶことで、もっと良いクルマをつくれるのではないかと思っています」

ONE MAZDA RESTOREのプロジェクトリーダーも3年目を迎えた阿部さんは、そのように思いを語る。そして、これまでの活動を振り返り、決意を新たにする。

「先人たちのモノづくりに直接触れることで、連綿と受け継がれてきたマツダの哲学や思想に気づくことができましたし、マツダファンの方をはじめ、ユーザーの方々からの期待にしっかり応えていかなければいけないという気持ちも強くなりました。現在もプロジェクトは進行中ですが、2020年に迎える創業100周年以降も、こうした活動を提案・継続していきたいと考えています」

Cooperation:MAZDA“Zoom-Zoom Blog”