「人は生きているかぎり、夢に向かって進んで行く。夢は完成することはない」

写真家・星野道夫は生前こんな言葉を残している。これは起業家にも当てはまりそうな言葉だ。彼らは、常に新しいことを構想し、その実現に向けて邁進していく。

株式会社スクールウィズ代表取締役の太田英基氏も、新たなことへの挑戦を続けてきた人物だ。大学時代に「タダコピ」というアイデアで起業し、世界一周の旅で見聞を広めた後、留学の口コミサイト「School With」を立ち上げた。彼は、事業だけではなく、執筆や講演活動にも勤しむ。実にアクティブな人間だ。

英語が苦手だったという彼が、世界に関心を持ち、様々な挑戦をしてきた背景には、どんな思いがあったのか、彼の行動力の源泉はどこにあるのか。彼の歩みを振り返りながら、僕らが学ぶべきこれからの時代に必要な考え方に触れていこう。

太田英基
1985年生まれ。東北の温泉街出身。大学2年時にビジネスプランコンテストで最優秀賞を獲得し、株式会社オーシャナイズを仲間と起業。広告事業「タダコピ」を手掛ける。丸5年働いた後、会社を辞めて世界一周へ。「若者のグローバル志向の底上げ」を使命としたサムライバックパッカープロジェクトを立ち上げ、約2年間、50ヶ国を旅しながら、現地のビジネスマンを中心とした様々な人たち1,000人以上と交流をする。帰国した2012年7月以降、各方面から講演依頼・執筆依頼をうける。2013年、School Withを立ち上げ、代表取締役に就任。

自分を批判する人からこそ、多くのことが学べる

太田氏は宮城蔵王の遠刈田温泉で生まれ、高校までを仙台で過ごした。大学から上京し、中央大学の経営学科に進学。「経営者になることを志したから」−−太田氏は当時の進学理由を振り返る。

大学生活に夢を抱きつつ上京した太田氏だが、大学の授業が期待していたものとは違い、大学生活の歩み出しは順調とは言えなかった。太田氏の大学での生活は、スタートしてすぐに灰色になりかけた。

「何か、自分が夢中になれることはないか」

失意の中にありながらも、自らのエネルギーを注ぐ先を探して日々を過ごしていたからか、大学の教室で偶然にも「飲食店経営をしませんか?」というスタッフ募集のチラシが目に止まる。

太田「大学の教室に『一緒に飲食店経営をしませんか?』というスタッフ募集のチラシが落ちていたんです。今思い返すと相当怪しいチラシだと思うのですが(笑)なぜかピンときて。募集しているお店は中央大学の学生だけで、飲食店の経営やメニュー開発、マーケティングなどをやってきていました。チラシを手にとってすぐに電話して、何回か面接を経て、スタッフとして飲食店経営に参加することになりました」

「当時は、とにかく、自分が夢中になれることを探していたんだと思います」、そう太田氏は当時のことを振り返る。その飲食店はオーナーが昼間はカフェ兼花屋として運営している。「夜は空いているから」と、オーナーの方から中央大学の学生が代々任されてきた店舗だった。そのオーナーとの関わり合いの中で、太田氏は自身の価値観へ大きな影響を受けることになる。

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太田「それまで人に嫌われることなく生きてきました。でも、オーナーの年上の女性の方に物凄く嫌われてしまっていたんです。『あなたは自分はできると言うけれど、何もできないじゃないか。口だけじゃないか』と言われて、2回くらいクビになりかけました(笑)最初は悔しかったのですが、大人になってここまで自分のダメな部分を指摘してくれる人にはなかなか出会えない。その人が指摘してくれるポイントを直せば、それだけ成長できる、とポジティブに捉えて改善していきました」

年齢や経験を重ねるほど、批判される機会は減り、批判を正面から受け止めることは難しくなる。だが、自分を批判してくれる人から学べることも多い。太田氏はオーナーとの関わり合いの中から、自分の足りない部分を指摘してくれる人を肯定的に向き合うようになっていった。

飲食店経営の他に、インターン等も経験していた太田氏は、いずれも参加を即決していた。自分のやりたいことを決断していく秘訣はどこにあるのだろうか。

太田「飲食店経営もインターンも、経営者になりたいと思っていた自分に強く刺さったんです。日常的にアンテナを立てて、自分のやりたいことのレパートリーを増やしておく。準備を万全にしておけば、チャンスが目の前に訪れた時に決断のスピードが上がります」

太田氏が飲食店経営やインターンへの参加で得たものは、経験だけではない。そこで出会った仲間と学生起業に挑戦することになる。

最初は小さなアイデアでも、必要としている人に届けたい

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起業のきっかけは、些細なものだった。

太田「『大学でタダでコピーが取れたら便利だよね』という思いつきからはじまったんです」

タダでコピーできるようにするために、コピー用紙に広告を入れる。「タダコピ」の原型が生まれた瞬間だった。最初は、太田氏が在籍していた中央大学のキャンパスでトライアルを実施。ユーザーからどんな反応があるのかを確かめるため、メンバーとコピー機の側で待機し、実際にタダコピを使ってくれた学生全員にアンケートを取っていった。

太田「アンケートには『広告がダサい』とか『裏写りしている』とボロクソに書かれました(笑)。でも、『このサービスが実現することを望みますか』という質問には、全員が『YES』と答えてくれていたんです。求めてくれる人がいるならば、やめるわけにはいかない。そんな使命感が芽生えていきました」

幸運にも、メンバーは全員大学生で、時間はあった。時間、アイデア、そして仲間が揃っているならば、挑戦しない理由はない。 5人のメンバーで株式会社オーシャナイズを創業し、タダコピの事業化に本格的に取り組んでいった。タダコピは、ビジネスコンテスト「TRIGGER」で優勝するなど、注目を集めるサービスへと成長していった。

だが、いかに学生といえど、時間は有限だ。自分たちが今の道を進み続けるべきかの判断をどこかのタイミングでしなければならない。

太田「自分以外の4人は当時3年生の後半で就活中で、そのメンバーが大学を卒業する前にに、メンバー全員が月収20万円を稼げるだけの利益をあげる。できなければ、会社を畳むことも考えるタイムリミットを決めました」

5人で全力で取り組んだ結果、1年後には売上が立つようになった。大学4年生だった4人は卒業後もタダコピを育てる道を選び、太田氏も就活をせずにタダコピを続けることを決意する。

経営者として個人のためではなく、会社のための意思決定を

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会社のフェーズによって、起業家に求められるスキルは異なる。タダコピは順調に成長していき、社員の数も20名を超えた。だが、オーシャナイズは変化を求められる。

太田「創業期は、メンバー全員がどんな玉も打ち返せるようなジェネラリスト的スキルが求められます。規模が拡大するに連れて、5人の役員にそれぞれの専門性が求められるようになっていきました。社内からも『取締役が5人もいたら会社としての意思決定のスピードが遅くなってしまう』と言われ、各自の役割をはっきりさせる必要が出てきたんです」

社員の人数に対して、役員の数が多すぎることは組織のバランスを崩してしまう。決断を迫られた際、太田氏は「太田英基のためではなく、会社の成長のために最適な意思決定を行いたい」と、役員を退任し、その後1年をかけて新体制の組織を支えていった。会社で一番の営業成績も上げた太田氏は、会社を退職して次のステップへと進む。

「なんでもやりたいことをやれる」−−その状態になったときに、どんなことが思い浮かぶだろうか。太田氏が”やりたいことリスト”から選んだのは、「世界を見たい」というものだった。

自分の考える「世の中」は、「日本人」に限定されていた

太田氏は大学4年生の頃、外資系コンサルティングファームの日本法人の元代表の方が主宰する勉強会に参加した経験以来、世界が気になっていたという。

「グローバルにビジネスを展開する時はどのように始めるべきか」−−太田氏は勉強会でこう問いかけられた。当時、タダコピの中国展開を検討していた太田氏は「東京でビジネスを始め、軌道に乗れば全国に展開し、その後にアジアやアメリカに展開していく」と答え、真っ向から否定される。

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太田「『君はグローバルのことが全くわかっていないよ』と全否定されました。『良いアイデアがあるのに、なぜそれを東京から始めなければいけないの?』と問いかけられたんです。僕は知らず知らずのうちに、日本からビジネスを始めなければいけないと考えてしまっていて、勉強会への参加がきっかけとなって、固定観念が崩れていったんです」

現代は、世界の距離が近づき、どの国に行くのもハードルが下がっている。新しい何かを始める時は、最も必要とされている場所で始めればいい。今、自分が居る場所にとらわれて、発想が狭まっていたのではないか。そう太田氏は考えるようになる。

太田「世の中の役に立つサービスを作りたい、タダコピはそんな想いから始めたサービスです。でも、僕の言う『世の中』は『日本人』に限定されていたんです。日本人のために何かすることも素晴らしいけれど、まだ22歳なのだからもっと大きなことに挑戦したい、そう思うようになりました」

勉強会に参加したことで、太田氏には「30歳までに世界を舞台に活躍できるビジネスマンになる」という目標が生まれていた。太田氏は、学生時代に英語の成績が良くなく、英語には自信を持てなかった。タダコピを退職した太田氏は、ずっと胸に抱いていた、この目標に向けて進んでいくために、新たな一歩を踏み出した。

何歳になっても新しい山に登り続ける人間でいたい

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「自分は世界がどのような状況なのかを全く知らない」

世界のいまを知るためには、世界各地に足を運び、現地の人の交流を通じて、その価値観を深く理解する必要がある。世界を舞台に活躍できるビジネスマンになるために、まず太田氏が始めたのは、英語を学ぶために3ヶ月フィリピンに滞在すること。英語を学んだ後は、約2年間の世界一周の旅が始まった。

太田「世界中のありとあらゆる人に会って、その国の働き方や教育システム、流行していることなど、様々なことを聞きました。様々な価値観の人々と交流する中で、日本について聞かれることもありました。対話を通じて、改めて世界の中の日本をより深く理解していくことができました」

現地の人たちとの出会いが、彼に世界の状況を伝えていった。彼が旅の途中で出会ったのは、現地の人々だけではない。彼の旅のテーマの1つになっていたのが、「グローバルに活躍する若者をどう増やすか」だった。スポーツでは、イチローや中田英寿など海外で活躍する日本人のロールモデルがある。だが、ビジネスでは多くの人が関与している一方で、海外で活躍している日本人の情報はあまりにも少ない。

太田氏は旅をしながら、世界各地で働いている日本人の元を訪ねることを決め、「SAMURAI BACKPACKER PROJECT」という企画を立ち上げた。海外で活躍する日本人の考え方や経験を発信することで、日本の若者が将来のキャリアを考える上での選択の幅が広がり、グローバルに向き合うきっかけを生み出そうというものだ。

太田氏は、世界の様々な国で働く日本人に多く出会った。直接会うことは叶わなかったが、太田氏が強く影響を受けた人物として名前を挙げたのが、佐藤芳之氏だ。彼は35歳で「ケニア・ナッツ・カンパニー」を立ち上げ、70歳を目前に同社をケニア人に譲り、新しくルワンダで下水を浄化するスタートアップを始めたのだという。

太田「世界で活躍する日本人として最も尊敬しているのが、佐藤さんです。佐藤さんの会社には社員が4,000人いて、その家族を含めれば何万人という人の生活を支えていました。でも、70歳になってきっぱり会社を辞めて、次はルワンダで下水を浄化するスタートアップを始めて。70歳からまた新しい山を登ろうとチャレンジするバイタリティに影響を受けて、自分もずっとチャレンジし続けたいと思えるようになったんです」

世界で活躍できる人を増やすサービスを作る

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太田「世界を旅する中で、『日本人が英語を話せないこと』による損失に気づきました。また、僕がフィリピン留学の本を書いたことで、フィリピンに留学する人が増え始めていたんですね。でも、彼らは学校選びで苦戦していて。留学に行きたい人の学校選びをサポートすることは自分がやる意味がある、と決意したんです」

世界を見てきた太田氏が、二度目の起業のテーマに選んだのは「留学」。帰国後、太田氏はアイデアを具体的な形に落とし込み、留学の口コミ情報サイト「School With」を2013年4月にオープンする。

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最初はフィリピンの語学学校限定でスタート。徐々に口コミの数を増やしていった。2015年には対象範囲を広げ、他の地域の留学情報を掲載するプラットフォームへと進化した。

太田氏は語学を身に着けた人が海外で活躍できる機会を、と海外就職支援サービス「CareerWith(キャリアウィズ)」をリリース、海外から日本へ留学にやってくる人々に向けた日本語学校の口コミサイト「NihonGo!」をリリースするなど、自社のアセットを活かし、ビジョンの実現に向けて着実に歩を進めている。

School Withが目指しているのは、語学に限らず、日本人だけを限定としない世界的な留学の口コミプラットフォームを構築すること。今後は、海外の高校や大学、大学院への進学をサポートするプラットフォームとして成長させていくことを視野に入れていているそうだ。

「頭の中にある日本地図を世界地図まで広げよう」

太田氏はタダコピの創業、世界一周の旅、スクールウィズの創業と、次々と新しいことに挑戦してきた。

やりたいことがあっても「いつか挑戦しよう」と、先延ばしにしてしまう人は多い。太田氏はそうならないよう、タダコピを立ち上げた時も、School Withを立ち上げた時も、具体的な目標と期日を設定し、努力し続けた。

太田「目標と締切を決めることで、そこに到達するために必要な能力が明らかになるはずです。人間は何をしていても成長できるんですよ。具体的な目標さえ決まれば、どの能力を伸ばすべきかを判断できる。でも、日本人は選択肢が多すぎるあまり、目標を決められない人が多いんです」

目標を決めれば、そこまでの距離がわかる。では、その目標はどのように決めていくといいのだろうか。太田氏は、何かを決断するときは”ときめき”が重要だと教えてくれた。

太田「直感的に“ときめく”ものを見つけて、それを実現できる場所を探すことが大切な時代です。ときめきがなかったら、やっていてもつまらないじゃないですか。まずはときめくものを見つけること。まだ見つかっていないなら見つかるまで探し続けること」

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太田氏は最後に「頭の中にある日本地図を世界地図まで広げよう」と、読者にメッセージを残してくれた。人生の舞台は日本だけではない。自分のやりたいことが実現できる場所に赴き、挑戦できる時代だ。

そのために語学が必要ならば語学を身につければいい。世界のどこで挑戦するのが成功に最も近いのか、そんな発想を持つことが、新たな一歩を踏み出すために必要となってくるだろう。

太田「『目の前にある壁は扉かもしれない』座右の銘として、そんな言葉を信じているんです。未知のことへの挑戦が新しい道につながる扉であれば、その扉を開けて前に進み続ける人生を生きていきたい、そう思うんです」

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Photographer: Hajime Kato