インドの半導体産業への野心的な一歩
インド政府は、同国の半導体産業を大幅に後押しする重要な一歩を踏み出した。同国IT大臣のアシュウィニ・ヴァイシュナウ氏は、3つの新しい半導体工場の建設に1兆2,600億インドルピー(約152億ドル)の投資を承認したのだ。
承認された3つのプロジェクトには、インドで初となる最先端の半導体ファブ施設、アッサム州とグジャラート州に建設される2つの組立・テスト施設が含まれる。ヴァイシュナウ大臣は、これらの施設はすべて100日以内に着工すると述べている。
インド政府が半導体産業に対して大規模な投資を決定した背景には、グローバルサプライチェーンにおける同国の位置づけを高め、経済成長を加速させたいという思惑がある。過去数年間の世界的な半導体不足を受けて、各国政府は自国の半導体産業強化に乗り出しているが、インドもその流れに乗ろうとしているのだ。
Counterpoint Technology Market Researchによると、インドの半導体市場は2019年に220億ドル規模だったが、2026年には640億ドルに拡大する見込みであるという。インド政府は、2030年までにこの市場規模を1,100億ドルに拡大し、世界市場シェア10%を占めることを目指している。
インド政府が半導体への巨額投資を承認したもう1つの背景には、生成AIトレンドがある。生成AIトレンドを受け、インド政府は国内にスタートアップ向けのGPUクラスターを構築する計画を明らかにした。
現在、GPU供給の80〜90%を占めるのがNVIDIAであり、同社の最新モデルを購入するのは非常に困難になっている状況で、GPUを含めAI開発・運用に必要なチップ供給を国内でまかないたいという思惑も見え隠れする。またインドとしては、AIチップの製造拠点としての地位を確立することで、グローバルサプライチェーンにおける存在感を高めたい考えのようだ。
3つの主要プロジェクトの概要と目標
今回承認された3つの主要プロジェクトについて、より詳しく見ていきたい。
1つ目は、タタグループと台湾のパワーチップ・セミコンダクター・マニュファクチャリング(PSMC)が共同で設立する半導体ファブ施設だ。グジャラート州ドレーラに建設されるこの工場は、インドで初の半導体ファブとなる。月産5万枚のウェハー生産能力を持ち、年間30億個のチップを製造する計画である。電気自動車、ハイパフォーマンス・コンピューティング、テレコム、防衛、自動車、民生用電子機器、パワーエレクトロニクス、ディスプレイ向けの高性能コンピューティング・チップの生産を目指す。
2つ目は、タタ・セミコンダクター・アセンブリー・アンド・テスト(TSAT)がアッサム州モリガオンに設立する組立・テスト工場だ。投資額は270億ルピー(約32億ドル)で、生産能力は1日当たり最大4,800万個に上る。TSATはこの施設で、フリップチップのパッケージング技術およびシステムインパッケージを提供する計画だ。
3つ目は、ルネサスエレクトロニクス(日)、スターズ・マイクロエレクトロニクス(タイ)、CG Power and Industrial Solutions(インド)の合弁により、グジャラート州サーナンドに建設される専用チップ組立・テスト工場である。投資額は76億ルピー(約9億ドル)。防衛、宇宙、電気自動車、高速鉄道など、ニッチな分野向けの専用チップを製造する。日時の生産能力は最大1,500万個。
これら3つのプロジェクトは、インドの半導体エコシステムの構築に大きく貢献すると期待されている。特にファブ施設の設立は、インドが半導体バリューチェーンの上流に進出する重要な足がかりとなる。一方で、TSATとCGパワーの施設は、下流の組立・テスト能力の強化に寄与することが見込まれる。
インド経済とグローバル市場への影響
インド政府による150億ドル規模の半導体投資は、同国経済に大きな影響を及ぼすと予想される。同政府は、これら3つの新施設が開設されることで、直接雇用(ハイテク職)で2万人、間接雇用で6万人の雇用が創出されると推定している。
また、人材大手Randstadもインド半導体市場における雇用に関して強気の予測を展開。2024年には、半導体市場における人材需要は、前年比25~30%増、4万〜5万人に達し、今後5年間では80万〜100万人の求人が見込まれると予想しているのだ。
特に、半導体チップ設計、半導体製造、組立・テスト・マーキング・パッケージング施設での雇用増加が期待されている。エントリーレベルとミドルレベルの採用が増加しており、グジャラート州やベンガルール、テランガナ州、タミルナド州、アッサム州などで、営業職およびフィールドアプリケーションエンジニア、機器サービスエンジニア、購買マネージャーなどの求人が活発だ。
また、経営幹部レベルでは、フィールドエンジニアリング、オペレーションマネジメント、プロジェクトマネジメント、製品イノベーションなどの分野でVPやディレクターの需要が継続的に発生している。
こうした雇用創出に加えて、半導体産業の発展は、関連産業の成長も促す可能性がある。電子機器、自動車、通信、防衛などの分野で、国内の半導体供給が拡大することで、これらの産業の競争力が高まることが期待される。
また、インドの半導体生産能力の向上は、世界市場にも影響を与える公算が大きい。現在、世界の半導体製造の多くは中国と台湾に集中しているが、インドが新たな選択肢として浮上することで、サプライチェーンの多様化が進むことが想定される。
特に、地政学的リスクに対する懸念から、多くの国がサプライヤーの分散を求めている中、投資先としてのインドの魅力が高まっているところ。実際、Taiwan Powerchipの会長フランク・ホン氏が「インドには大きな国内需要がある。一方で、グローバル顧客はサプライチェーンのレジリエンスを求めてインドに注目している」と指摘するなど、半導体セクターの重鎮らからの熱い視線を集めている。
ただし、インドの半導体産業が世界の市場で存在感を示すためには、品質と価格競争力を備えた製品を安定的に供給できる体制を整える必要がある。そのためには、製造技術の向上と生産効率の改善が不可欠だ。
インド半導体市場の課題
インドの半導体産業は大きな可能性を秘めているが、同時にいくつかの課題にも直面している。
まず、インフラ整備が不十分な点が挙げられる。ファブの建設には大規模な用地と、安定した電力・水の供給が不可欠だが、インドではこれらのインフラが脆弱だ。また、部品や材料の多くを輸入に頼っているため、サプライチェーンの混乱に影響を受けやすいという弱点もある。
次に、熟練した労働力の不足が課題となっている。インドには数十万人の設計エンジニアがいるものの、チップの製造に不可欠なデバイス物理学やプロセス技術の知識を持つエンジニアがほとんどいない。需要の高まりに対して人材供給が追い付いておらず、海外から専門家を呼び寄せて人材育成を行う必要がある状況といわれている。
インド政府はこの問題に対処するため、全インド技術教育協議会(AICTE)を通じて、VLSI(Very Large Scale Integration)設計技術のBTechプログラムとICマニュファクチャリングのディプロマコースを導入した。インド工科大学(IIT)を含む多くの大学がすでにこれらのコースを開講。インド電子情報技術省(MeitY)は2027年までに8万5,000人以上の熟練労働者を創出することを目指している。
また、インドの主要IT企業各社も、社内での人材育成に力を入れ始めている。たとえば、L&Tセミコンダクター・テクノロジーズ(LTSCT)は、2024年にインドで350人以上の専門家を採用し、米国や欧州、日本でもグローバルチームを大幅に拡大する計画だ。新卒採用、中途採用、駐在員の採用など、複数の採用チャネルを活用するという。
AMD、サムスン、ウィプロなど、インドに進出している外資系企業も、エンジニアの採用と育成に注力している。それでも人材不足による給与の高騰は避けられず、エントリーレベルでも年収1,500万~2,000万ルピー(約270万〜350万円)、上位人材に至っては2億5,000万ルピー(約4,400万円)以上の高給が示される事例も報告されている。
さらに、インドは半導体製造の後発組であるため、技術面でも遅れを取っている。最先端の製造技術を持つ企業の協力が不可欠だが、現時点ではインドに技術移転を行う企業は限定的。加えて、莫大な投資を必要とする半導体産業では、長期的な政策の安定性が重要だ。政権交代によって方針が変更されるリスクへの懸念から、外国企業が二の足を踏む可能性もある。
インドは半導体グローバルサプライチェーンでの存在感を示すことができるのか。課題克服のプロセスを含め、今後の投資動向にも注目していきたい。
文:細谷元(Livit)