新型コロナウイルス感染症の感染拡大で社会に閉塞(へいそく)感が満ち、深刻な経済危機にある現在。しかし日本は、大災害に襲われながらもその都度立ち上がってきた。本シリーズでは、逆境に負けない日本企業の技術力やマインドを取り上げ、「コロナ後」のビジネスのヒントを探っていく。
今回お話を伺ったのは、10代でベンチャーを立ち上げ、全国で数々の地方創生事業に携わってきた株式会社ワンテーブル代表取締役の島田昌幸氏。東日本大震災後、支援活動の中で目にした課題を解決するために新しいコンセプトの備蓄食「LIFE STOCK」を完成させ、現在は産学連携で「防災ソリューション」づくりに取り組んでいる。
避難所が抱える課題を解決する備蓄食を開発
北海道教育大学の学生だった18歳の時に、教育と農業を組み合わせたベンチャー事業を立ち上げた島田氏。単なる生産だけではない、1次産業の持つ知的財産の側面を活用し、子どもたちが農業を学びながら自然を体験する教室を始める。その取り組みは注目を集め、「顔の見える農家」と消費者をつなぐソーシャルビジネスモデルの先駆けとなったという。
島田 「創業一家でしたので、自分がやってみたいことを事業にするのが当たり前の感覚でした。2005年には経済産業省のチャレンジコミュニティプロジェクトに参画し、24歳の最年少プロデューサーとして全国の地方創生に関わることになります。
ほかにも北海道にいながらさまざまな事業を手掛けていましたが、株式会社舞台ファーム(宮城県仙台市)の針生信夫社長が『日本一の農業法人をつくりたい』と、私を仙台に呼んでくださったのが東日本大震災の前年。仙台 では『マルシェジャポンセンダイ』というイベントをプロデュースしたり、200もの農林漁業者とつながりができたので、その方たちのブランド支援や開拓支援を行ったりしていました」
東日本大震災では自身も被災したが、発災翌日から避難所を回って支援を始めた。そこで目の当たりにした状況が、「LIFE STOCK」開発の原点となった。
島田 「『いままでの災害はずっとこういう対応をしてきたのか』ということに驚かされました。避難所が抱える問題は阪神・淡路大震災から分かっていたはずなのに、そこから何も変わっていなくて、備蓄食も100年以上前からある乾パンにビスケット。『これからも同じことが続いてはいけない。そろそろアップデートすべきだ ろう』と冷静に考えていました。
乾パ ンは 堅く、食べるにはどうしても水が飲みたくなりますし、味も栄養バランスも良くない。赤ちゃんやお年寄り、療養中の方にも向いていないし、元気な子どもでもアレルギーの心配があるので渡すときに不安が残ります。
そこで、目の前で見た、感じた問題を一つひとつ解決できるようにつくったのが「LIFE STOCK」です。「LIFE STOCK」は水がなくても食べやすく、栄養バランスが良くて、アレル ギーの心配 、ごみの問題もない。未開封であることが分かるので、テロ対策にもなるという特徴を備えています。
避難生活で気持ちが落ち込んでいるときに、いかにも非常食という銀色のパッケージの食事では、なおさら暗くなりますよね。なので、子どもが見た目でおいしそうだと喜んでくれるようなデザインにしました。もちろん味にもこだわっています。
日本人はがまん強くて、災害時は食料がもらえるだけでありがたいと感じる人が多い。逆に言えば、だから商品が成長してこなかった。気がめいっているときこそ、本来はおいしいものを食べたいと思うはずです」
その機能性やデ ザイン、コンセプトが評価され、「LIFE STOCK」は全国に広がっていく。しかし、ゼリーという「もの」をつくることだけがワンテーブルの事業ではない。
災害の経験を糧に、世界に貢献する防災ビジネスをつくる
島田 「ワンテーブルはゼリーメーカーではなく『防災ソリューション』をつくる会社で、『LIFE STOCK』はマスコットキャラクターのような位置付けです。政府や東北大などが設置した『防災ISO』の国 内委員会に、民間事業者としてワンテーブルが入っており、そこでは防災備蓄シミュレーションシステムをつくっています。
現在、防災の備蓄に関していま、国の指標はありますが基準が示されていません。1歳の子どもも100歳のご年配の方も 同じ 『1人』になっているのが現状。必要なものはそれぞれ異なるはずで、その『基準』をつくるのもわれわれの仕事です。
近所の防災倉庫や避難所に、年齢に対応した形で『どういう備蓄がどれくらいあるか』を情報開示し、見える化することによって住民がまず『自助』を果たせます。
これまでは救援物資のミスマッチも起きていましたが、情報が開示されていれば、どの避難所にいま何が足りないかがピンポイントで分かる。それによって『共助』も 働きます。そうすれば自治体の『公助』は限られた財政の中で、絞り込んで効率的に行うことができる。こうした東北発の防災システムの『仕組み』をつくっています。
その先の防災の『文化』づくりにも取り組んでいます。その一つとして、サッカーの本田圭佑選手にアンバサダーとなってもらって『BOSAI POINT』を立ち上げました。これは、災害時に防災用品を届けるポイント寄付システムです。またJAXAとは、『防災×宇宙 』の視点から社会課題解決に取り組む『BOSAI SPACE FOOD PROJECT』として、自治体やさまざまな企業と事業共創を進めています」
防災に関わる「もの」にとどまらず、「基準」、「仕組み」、そして「文化」をつくる事業を積極的に展開するワンテーブル。その根底には、被災地が本当の意味で復興を果たすために、元に戻すだけではなく創造することが重要だという島田氏の思いがある。
島田 「東日本大震災から10年を迎えようとしていますが、20兆円を超える財政支出や世界の寄付金が使われた先に、本当の意味でのイノベーションは生まれたでしょうか。たくさんの方々が頑張って地方を建て直しましたが、復興ではなく復旧にとどまってしまっていると感じます。あのときたくさんのものを失った一方で、創造することが圧倒的に足りなかったと感じます。
私たちはあの経験を通して、目の前で見た課題を全て解決しようと思って『LIFESTOCK』をつくり、防災ソリューションに取り組んでいます。
日本は地震や津波だけでなく、 噴火 もあり、河川の氾濫もあり、夏は熱中症、冬は雪害もある。防災に関するビジネスは経験によって積み重ねられていくビジネスモデルであるため、世界で最も多種多様な災害の経験をしている日本は優位性 があるともいえます。私たちの経験を知的財産化し、それを世界に輸出していくことをビジネスの一つの軸として考えています」
うまくいかないときこそ社会と向き合うことが重要
島田氏の言う防災ソリューションのビジネスは、東日本大震災後の経済活動と社会課題の解決を両立する、いわゆるCSV(共通価値の創造)に当たる。では、未曾有の災害になりかねない新型コロナウイルス感染症が世界を揺るがし、これから経済と社会に新たな課題が生じる中、企業は課題の解決とビジネスをどう結びつけていけるだろうか。
島田 「災害もコロナウイルスも経済危機も、全て日常の先にあるものなので、いままでBCP(事業継続計画)をどう捉えていたのか、平時の 積み重ねが表れるのがいまだと思います。厳しい言い方にはなりますが、起きてからでは遅くて、いままで何をしてきたかということが問われているのではないでしょうか。
一方で、東日本大震災でもそうだったように、課題が顕在化する中で新しい関係性やビジネスモデルが生まれようとするものです。リモートワークもその一つで、国民の行動変異、意識も含めて変化をきっかけとしてビジネスの芽は生まれます。
これからのことを考えるには、分析できる過去を見るのがいいと思います。100年前に 起きたこととその50年後を見れば、何が起きてどう変化したかが分かる。私たちはSARSとリーマンショックを経験しているので、その後、経済ではどんな変化があり、何が起きていったのかを分析することで、未来が見えてくるのではないでしょうか」
不安定な社会情勢の中でも、目の前で起きていることを冷静に分析し、歴史に学び、ビジネスを成功させてきた島田氏。最後に、逆境を乗り越えるためのヒントを伺った。
島田 「うまくいっていないときというのは、人の気持ちが見えていないときだと思います。人が見えなければ、人によって構成されている社会のことも見えるはずがありません。いろいろな人と話をして、社会と向き合ってものをつくっていくことが本当に大事。
そうすると『島田君の言うことは理解できないし、想像もできない』という言葉の後に、『でも共感できるんだよね』と言ってもらえるようになってきます。この共感に未来が、イノベーションの可能性があると思っています」
逆境に冷静に向き合い未来へとつなげる
島田氏は自身も東日本大震災に自身も被災しながらも、支援を行った避難所で体感した問題点を、新たな備蓄食の開発や、防災に関する「 基準 」や「 仕組み」、「文化」をつくるビジネスへとつなげてきた。それを成し得たのは、島田氏が未曾有 の大災害に冷静に向き合い、過去を分析して未来を見据えてきたからだ。
東日本大震災後も、熊本地震、令和元年東日本台風 などの災害や、新型コロナウイルス感染症の拡大など、さまざまな 困難が日本を襲っている。そんな逆境の中でこそ「社会と向き合ってものをつくっていくことが大事」だという島田氏の言葉を胸に刻み、ビジネスを未来へとつなげていきたい。