「ヘルスケア」「Wellbeing」という言葉が日常に登場し、数年が経過した。今では健康的に生きるための一環として、ITやIoTを使いパーソナルデータを管理する人も増えている。

こうした日本社会の変化を受け、データ活用に向けた情報社会の取り組み、新たな医療ビックデータの活用基盤や法制度を整備しようと産官学の連携が活発になってきた。

今回は、神奈川県川崎市殿町(とのまち)にあるLiSE(ライズ)川崎生命科学・環境研究センターで開催された「Tonomachi Day 2019」にて、「次世代の医療ビックデータ基盤”PeOPLe(ピープル)”と産官学を巻き込んだ各企業・団体のAI・IoT取り組み事例」を取材した。

PeOPLe(Person centered Open Platform forWellbeing)というのは、医療機関や行政に散在する各々の個人データを一か所に統合し、管理することを目的としたヘルスケアデータ・情報基盤だ。さらにPeOPLeを共創・活用するためのPeOPLe共創・活用コンソーシアムも設立されている。

コンソーシアムに参加する自治体や企業、研究機関で、PeOPLeを共有することにより、新たなビジネスモデルの確立、地域のWellbeing向上を実現するための施策、アカデミアによる科学的検証など、それぞれの団体が一体となって取り組めるような仕組み化を目指す。

PeOPLeそして、PeOPLe共創・活用コンソーシアムでは、個人と社会に最適化された健康増進、疾患や介護予防の研究開発、そして持続可能なWellbeing社会の実現を目指す。

「転換点に我々はいる」PeOPLeのデータ活用がそっと支えるみんなの未来

はじめに「The New Civilization: Health andWellbeingにおける必須の論点とは何か」というテーマで慶應義塾大学医学部医療政策・管理学 宮田 裕章教授が登壇した。

開口一番、宮田教授は次のように語りはじめた。

宮田教授(以下、敬称略):「まさに転換点に我々はいます。新しいイノベーションに向け、企業、アカデミア、自治体が各立場で行動していく自覚が必要な時期です。それはPeOPLeをはじめとする次世代ヘルスケア・システムの構築を含め、データ駆動型社会(※1)への変革がSociety(ソサエティ)5.0(※2)と並んで国家成長戦略として重要視されているからです」

(※1)データ駆動型社会:現実とサイバー空間のつながりをあらゆる領域に取り入れることによって、そこから得られるデータを活用して大きな価値を生み出していく社会。
(※2)Society(ソサエティ)5.0:ドローンやAI家電、ロボットやビックデータを駆使した医療・介護などが新しい社会として到来する超スマート社会。

PeOPLeというのは、”患者・国民を中心に保険医療情報をどこでも活用できるオープンな情報基盤”として産官学が連携となり整備を進めているプラットフォームだ(※3)。その重要性について宮田教授は次のように述べる。

(※3)引用:厚生労働省 保健医療分野におけるICT活用推進懇談会 提言書概要 P.5

宮田:「今後重要となってくるのがPeOPLeのような、個人を軸とした質の高い多様なデータを集め、産官学で共有できるデータインフラです。ここに集められたデータをそれぞれの機関が公的な学術研究に使用していくことはもちろん、パンデミックや災害のように命に直結するようなケースにおいては、患者への同意なしに使えるような環境を作ろうとしています」

宮田教授は他国のプラットフォームに触れながら、次のように続けた。

宮田:「日本だけでなく、エストニアやインド、タイのように他国とのグローバルな連携の中で価値を作ることも必要です」

中でもエストニアは国家規模でプラットフォームを形成し、すでに運用している。エストニアの医療国家プロジェクトについての現地レポートも、この機会に併せてご覧いただきたい。

さらに医療分野においては全世界的に”お金よりも価値”とし、社会信用スコアが重要だと宮田教授は説明する。

宮田:「医療では患者、社会の価値が重要視されており、お金目的での参入や事業は失敗する傾向にあります。どのような価値を患者さんたちに提供・実践したいのか、それによってお金や人を割り当てていくことが求められます」

では、我々がより健康に生活を充実させるにはどのような要素や考え方が必要なのだろうか。宮田教授は健康の概念に触れながら以下のように語った。

宮田:「一つ言えるのは『楽しさの先に健康がある』ということです。健康は多くの人にとって人生の手段であり、捉え方も異なります。だからこそゲームや仕事、地域との関わりを通して楽しんでいる人たちが自然と健康になれば、新しい一般大衆の民主主義が生まれるかもしれないと考えるのです」

さらにそのあり方を支える方法として、PeOPLeをはじめ、ITやAIに話題が移る。

宮田:「PeOPLe、この後のSpecial Sessionでご紹介いただく技術が、ひとりひとりの生き方をそっと支えるためのデータ活用に役立つはずです。個人を軸に、その人の価値観にあったものを、そっと提案できる日はそう遠くないかもしれません」

情報社会に向けたヘルスケアのデータオープン化

ここからは、Special Session「最先端の取り組みが拓くWellbeingの未来」として本事業と縁深い5つの企業・団体からプレゼンテーションが行われた。発表順に沿って、簡単に紹介していく。

1:Society5.0を支えるPlatformの革新と応用(株式会社日立製作所)

日立製作所では、Lumada (ルマーダ)という収集した顧客データの分析をし、価値を提供するプラットフォームを提供している。今回はその医療応用として、米国ユタ大学と共同開発が進められている糖尿病の治療薬の選択支援システムが紹介された。

日立製作所 ヘルスケアイノベーションセンターの伴氏は米国における医療の状況を次のように述べる。

伴:「政府誘導による医療の質と医療費の抑制の両立は、世界的な潮流です。特に米国では、Value-based Payment(※4)へ移行したことで、医療費抑制の動きが強まっています。だからこそITを活用し、患者への価値を最大限に提供することが求められるのです」

(※4)Value-based Payment:保険会社から医療機関への支払いを治療成果やコストに応じて増減させる制度

2:Quality Dataで実践をつなげる、リアルワールドソリューション(一般社団法人National Clinical Database)

一般社団法人National Clinical Databaseは、世界最大級の臨床症例レジストリプラットフォームNCDを持つ。国内5200以上の施設と連携し、日本において手術されたおよそ95〜98%の患者情報(術前、手術中、術後)が集められている。

同団体に所属する東京大学 医療品質評価学講座の隈丸先生は以下のように説明する。

隈丸:「データは質が重要です。NCDでは全ての術式においてデータを集めることで、AIが患者バックグラウンドを判断し、成績評価、比較までができるようになります。特定の手術における国内の死亡率、自施設における死亡割合、予後なども確認できます」

3:IoT、AIが実現するLife Innovation(KDDI株式会社)

KDDI株式会社からは、個人のリアルタイムデータやプライベートビックデータといった日常から得られる「パーソナルデータ」を活用・利用するために欠かせない組織としてAPPM(Advanced Privacy Pollicy /Preference Maneger)が紹介された。

KDDI フューチャーデザイン2部門 首席アナリスト平林氏はAPPMの重要性について、同意社会へと移行する未来を踏まえ次のように語る。

平林:「将来的にパーソナルデータの同意取得の重要性は高まります。皆さんが確認を求められる機会も間違いなく増加していくはずです。その手助けをし、円滑にやり取りをするためにもAPPMという団体を組織することが重要です」

4:医薬品R&Dの新たな展開:テックジャイアントが参入するHealthcare Solution(グラクソ・スミスクライン(以下、GSK)株式会社)

GSK株式会社というのは、ロンドンに本社を置く世界的な製薬企業だ。彼らが新薬開発と並行して5年前から取り組んでいるのが「ビックデータ」「デジタルテクノロジー」の領域である。IoTやAIを駆使して、創薬開発から患者サポートに取り組もうとしているのだ。

10年以上前にはイングランド サルフォードの全医療機関を対象に、患者情報を一元管理できるプラットフォーム構築に成功している。2018年3月からは沖縄県・慶應義塾大学と連携し、すでにある地域基盤とPeOPLeを活用したプラットフォーム形成に動き出した

こうした地域を巻き込んだ動きについてGSK株式会社メディカル本部MAストラテジー・イノベーション&パフォーマンス部 張家氏は、「産官学が一体となったことで、リアルワールドにおけるエビデンスを日本でも評価できる環境が整いつつあります」と述べた。

5:石油からデータへの転換:共有財を支えるために必要なCodeとは何か(世界経済フォーラム 第四次産業革命日本センター)

同団体では、急速に発展が進むテクノロジースピードに対して、イノベーションの社会実装を阻む「ガバナンス・ギャップ」を取り除くための世界的なルール作る。日本センターのテーマは、「ヘルスケア」「スマートシティ」「モビリティ」の3つだ。

ヘルスケアにおいては、大手企業や行政支援のもとヘルスケアにおけるデータガバナンスの新しいモデルを考えている。同センターのヘルスケア・データ政策プロジェクト長を務める藤田氏は自身の取り組みについて次のように語った。

藤田:「こうした仕組みを進める上で必要となるのは、サービス提供に対するリワード、つまり価値の実現につながる仕組み化です。そのためにはプライバシーや人権を侵害しないためのデータ流出を防ぐ法整備やモデルが必要となります」

「Wellbeingの再定義」岐路に立つ社会

そのまま先のセッションに参加した5人がそれぞれの専門領域とヘルスケアの将来を見据えたパネルディスカッションを行なった。ここでは、その中から一部を紹介する。

ヘルスケアにおいて将来的には個人データやその取り扱いが欠かせない。その点についてコメントを求められた平林氏が次のように語る。

平林:「PeOPLeの活用を通して業界を活性化するためには、APPM加盟企業間の協調領域を確保していけるかが重要です。10年後からバックキャストすると、将来的には両手から溢れるぐらいの同意書が来ると予想しています。状況によってはETCのように政府も交え、対策措置を練る必要があるはずです」

この後はIoT、AIを活用した社会連携の可能性など多岐にわたり議論がされた。最後に宮田教授はWellbeingの価値について語りセッションを締めくくった。

宮田:「Wellbeingという言葉が生まれてから、およそ50年が経ちました。その間、定義は全く変わっておらず、曖昧な概念が羅列されたままです。我々はもしかしたらWellbeingを再定義し、データの価値やソリューションを乗せるフェーズに来ているのかもしれません」

ヘルスケアデータの可視化、情報社会への活用が論点であるが、これらを踏まえた上で「改めてWellbeingとは何か?」をひとりひとり考え直すことが求められているのではないだろうか。今後の情報社会とその暮らしのあり方を自分ごととして捉えることが、“生きるの再発明”につながるはずだからだ。

文:スギモトアイ